投機王ジェシー・リバモア(後編)―デリバティブを奏でる男たち【51】―

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◆4度の破産


 今回は伝説の投機王ジェシー・ローリストン・リバモア(1877-1940)を取り上げています。彼はトレードで生計を立てるようになってから、亡くなるまでに4度も破産を経験しました。前編では1度目と2度目の破産について触れましたので、後編は3度目の破産から始めましょう。

 1907年に起きた金融恐慌の前に売りを仕掛けて荒稼ぎをしたリバモアは、綿花市場でも相場を張っていましたが、ここでも売りスタンスでした。しかし、コットン・キングの異名を持つ人物の勧めで大量の綿花買いに転じ、1908年の綿花大暴落に遭遇します。このときにリバモアは小麦相場で出ていた利益を早々に確保して、綿花が値下がりしたら買い下がり、綿花の底打ちを確かめる前に買い増しするなど、曲がりに曲がって結局は莫大な負債を抱えてしまいました。

 彼はトレーダーとして自ら体得した「他人の情報に耳を傾けるな」「他人のゲームに乗るな」「損切りを急いで利益を伸ばせ」「(平均取得価格を下げるための)ナンピン買いをするな」「底打ちや天井を確かめる前に動くな」などのルールを、ことごとく破った報いを受けることになります。評価損や実現損、あるいは借金を抱えることで冷静さを失い、以前には普通にできていたトレード・スタイルを維持できずにルールを捻じ曲げ、結果的に素人よりも始末に悪い取引を行ってしまうことは、リバモアに限らず市場参加者であれば誰しも経験していることでしょう。

 その後も過去の名声から気軽に借金をすることができたため、何度もトレードに挑みますが、全く上手くいかず、リバモアはすっかりスランプに陥ってしまいました。そこで「何がまずかったのか」を徹底的に分析すべく、自らの失敗したトレードを振り返るといった「傷口に塩をすり込む」ような作業を繰り返します。その結果、借金を抱えることで焦り、冷静さを失っているとの結論に達し、彼は第1次世界大戦が始まった翌年の1915年に3度目の破産を宣言します。

 そして、すべての債権者に対して債権放棄を求める一方で、借金は必ず返済すると約束します。その甲斐あって借金から解放され、精神的に気が楽になったリバモアは再び冷静な判断力を取り戻して相場に向かいます。そして、3度目の破産から2年後に約束通りすべての借金を返済しました。このように思惑が外れたことで次第に冷静さを失っていくリバモアの人間らしい弱さや、再起して借金を完済するといったリバモアの律儀な強さが、時代を超えて多くの市場参加者を未だに魅了し続けているのだと思われます。
 

◆世界恐慌で悪名


 株式市場が天井知らずの強気相場を演じていた1929年、リバモアはいつか訪れる相場のピークを探っていました。彼は主力銘柄の株価が過熱し過ぎていると判断して、夏までに買いポジションを全て手仕舞い、手応えがあるまで打診売りを試します。そして、打診売りが利益になり始めたら売り乗せをしていきました。彼のトレード・スタイルのひとつにピラミッティングという手法があります。それはポジションの評価損が膨らんだら買い下がるナンピンとは逆の行為、つまり評価益が膨らんだら更に買い上がる、というものです。こうしたピラミッティングを資金が許す限り、あるいは相場が反転してポジションを手仕舞うまで続けました。

 そうしたなか、世界恐慌の引き金となった「暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)」が起きたのです。1918年の第一次世界大戦終結からの 10 年間である「狂騒の 20 年代」は、戦後の楽観主義に基づいた富と過剰の時代でした。ところが、1929年3月に米連邦準備制度理事会(FRB)が過度の投機について警告した後、投資家が急速なペースで株を売り始めたため、慌てて流動性を供給するといった事態が起きます。そして自動車販売、住宅販売、鉄鋼生産など、他の重要な経済バロメーターも減速もしくは低下するなど、次第に景気は悪化していき、株価の上値も重くなります。遂には同年10月に本格的な暴落が始まり、ニューヨークダウ工業株価平均は3年足らずで 89.2%も下落したのです。
 
 この暴落で多くの投資家が財産を失ったばかりでなく、多額の借金を抱えて自殺する者も出ました。しかし、リバモアは1億ドルの利益を得たといわれました。それと同時に、この暴落は「グレート・ベア」と称されたリバモアが起こしたとみなされ、脅迫を受けてボディーガードを雇うまでになります。確かに、彼の売りが暴落のきっかけになった可能性はあります。しかし、冷静に考えれば、彼一人の力で世界中を巻き込むような暴落が起きるはずはなく、暴落は起こるべくして起きたのです。それでも人々は自分の失敗を誰かのせいにしたがり、その対象となったのが「グレート・ベア」でした。

 これは律儀なリバモアにとって耐えられなかったことかもしれません。その後、私生活で様々な不幸が重なり、彼の精神は次第に病んでいったものと想像されます。暴落で稼いだ利益もなくなり、4度目の破産を申請。テクニカル分析システムを用いたファイナンシャルアドバイザリー事業を始めますが、これも上手くいきません。息子の勧めで株式の取引方法に関する書籍を販売しますが、彼自身の伝記小説『Reminiscences of a Stock Operator 株式オペレーターの回想』(邦題『欲望と幻想の市場 - 伝説の投機王リバモア』)ほどは売れませんでした。結局、1940年にリバモアは拳銃自殺を図り、その生涯を閉じます。
 

◆リバモアの資金管理ルール


 最後にリバモアがこだわった5つの資金管理ルールを紹介します。これらのルールはトレードをしている人にとっては「当たり前のこと」かもしれません。しかし、「言うは易く行うは難し」です。百戦錬磨のリバモアでさえ、これを守れずに破産したことは先に触れた通りですから、トレーダーならば改めて心に刻んでおくべきでしょう。

 第1のルールは、「種銭、資金を失うな」です。資金が残っていればチャンスはありますが、資金を失うと市場から退場せざるを得ません。手持ち資金を一度にすべて投入したり、10%以上の評価損を抱え込んだり、追証が出たら追加の証拠金を差し出すなどということは、そのリスクを高めるため「絶対にしてはいけない」と考えていたようです。

 第2のルールは、「投入資金をどのくらいに限定するのか、何度に分けて投入するのか、その際の投資比率をどうするのか、必ず事前に決めておくこと」です。そして、買いの場合であれば、常に買い上がること。もしも価格が値下がりして、それができなければ判断を誤ったと解釈して、すぐに手仕舞って次のチャンスを待つべきであり、決して買い下がることはしない、としています。

 第3のルールは、「休みなく相場に張り付かないこと」です。トレードに真剣になればなるほど、すべてのトレード・チャンスを手にしようとするものですが、これは資金を失うことにつながる、と彼は考えていたようです。どんな地合いでもチャンスがなくなることはありませんから、無理をせずに資金を休ませる(全くトレードをしない)時期を意図的に設けるべき、としています。そのときに大事なことは、トレードをしたい気持ちを抑える忍耐力である、といいます。

 第4のルールは、「評価益が出ている間は成り行きに任せること」です。評価益が出ているということは、判断が誤っていなかった証拠だからです。しかし、優良株だからとか、人気株だから、景気が良い時期だから、などといった漠然とした理由で買った株を成り行き任せにすることは、資金を失うことにつながると彼は考えていたようです。また、評価損に転じたら、10%のロスカットを待たずに手仕舞うこともありました。彼の直感がそうさせたようですが、それで何度か難を逃れたことがあったため、彼は直感を大事にしています。

 第5のルールは、「十分な利益が出たら、利益の半分を別に移すこと」です。利益が出れば投入資金も増えるので、それを次のトレードに投入すれば資金がさらに増えると期待するのは当然のことですが、期待通りにならないことも多いので、ここはもしもの時に備えて資金を蓄えるべきなのでしょう。リバモアは若い頃、このルールに十分な注意を払わなかったため、大きな代償を払う羽目になったと悔やむことがあったそうです。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。