日経225miniとは?
日経225mini(ミニ)は、日経平均株価(日経225)を対象とした先物取引のこと。
先物取引は、将来の決められた期日に、現時点で決めた価格で売買することを約束する取引のことで、日経平均が上がると予想すれば「買い」から、下がると予想すれば「売り」から始められる。
1枚の取引単位は「日経平均×100円」で、日経225先物(通称ラージ)の10分の1。必要な証拠金もラージの10分の1で済む。
2023年5月には、さらにその10分の1となる「日経225マイクロ先物」(日経平均×10円)が上場した。値段の刻みはminiと同じ5円で、1刻みの損益は1枚あたり50円。よりきめ細かなリスク管理へのニーズの高まりを受けて生まれた小口の先物取引で、miniより少ない資金で取引できる。
プロフィール
塚本 浩敏(つかもと ひろとし)
株式会社大阪取引所 市場企画部長
デリバティブ市場の商品企画や制度企画、市場振興に長く携わり、現在は市場企画部長として、商品開発から市場制度の整備、利用促進までを統括する。2006年には戦略企画グループのグループリーダーとして、日経225miniの商品開発を担当した。
バブル崩壊で先物取引が「悪者」に
−− 塚本さんは1996年に当時の大阪証券取引所(大証)に入社されていますが、当時、日本の先物市場はどんな状況だったのでしょうか。
塚本:一言でいえば、冬の時代でした。日経225先物(ラージ)が上場したのは1988年、バブルの真っただ中です。ところがバブルが崩壊すると、「先物取引のせいで株価が下がった」という「先物悪玉論」が広がりました。そこで「自主規制」により、値段を動きにくくしたり、手数料や証拠金を引き上げたりと、先物取引をしにくくするルールが次々と導入されたんです。
でも、値下がりに備えたいといった先物取引の需要がなくなるわけではありません。取引は、同じ日経225先物を扱っていたシンガポールの取引所へ流れていきました。
−− 当時、先物取引を行っていたのはほとんどが機関投資家でした。個人まで投資家の裾野が広がる雰囲気はなかったのでしょうか。
塚本:まったくありませんでした。そもそも当時は、先物の口座を開くには証券会社に2,000万円程度の資産を預けていることが条件で、取引するには最低600万円の証拠金が必要でしたので、個人投資家にはかなりハードルが高い商品だったと思います。証券会社の側にも、バブル期にワラントなどを個人に販売して訴訟が相次いだ記憶が生々しく残っていて、「デリバティブを個人に売るなんて、もうごめんだ」という空気がありました。
追い詰められた大証の賭け
−− そんな空気のなかで、なぜ日経225miniが検討され始めたのでしょうか。
塚本:バブル崩壊後の大証は「生きるか死ぬか」という非常に苦しい状況にありました。先物取引は悪者扱いされ、機関投資家は海外に流れていく。そこに1990年代後半からの金融ビッグバンが重なりました。
昔は地元の企業は地元の取引所に上場するというルールがあって、関西の企業はまず大証に上場していたのですが、それが廃止に。さらに会計や取引のルールも変わり、地元の大手企業が大証への上場を次々と取りやめていきました。本当に追い詰められていましたね。
本業の先物取引でも、当時は取引所としての競合であった東京証券取引所(東証)のTOPIX先物(現在は大阪取引所の商品)の利用が伸びてきていて、自分たちの武器が何かを必死で探すしかない。そこで浮かび上がったのが日経225をさらに生かす道でした。
ネット証券の誕生が追い風に
−− 金融ビッグバンによる規制緩和を追い風に、90年代後半からネット証券が次々と誕生しました。証券業界では、どう受け止められていたのでしょうか。
塚本:当時の一般的な既存証券会社の捉え方としては「誰がネットで証券取引の注文なんか出すねん」といった冷ややかな声もあったように記憶しています。でも、その予想に反して、手数料の圧倒的な安さなどを理由にネット証券は、まず現物株で爆発的に広がりました。
−− 先物取引にも変化はありましたか。
塚本:流れに乗るつもりはなかったのですが、結果的にネット証券がデリバティブを取扱う流れを後押しする変化がいくつも起きました。
ただ、ラージは日経平均の1,000倍で、当時でも1枚1,000万円前後。個人投資家にとってはまだ敷居は高く、広がることはありませんでした。
−− miniの上場は2006年でした。なぜこのタイミングだったのでしょうか。
塚本:2003〜04年ごろに機運が一度高まりました。日経225は当時から国内、特に個人投資家に愛されている指数です。そこへネット証券が先物取引を扱い始めてくれました。だったら、日経225先物を個人に広げていくために、小さいサイズの先物を出そう、と。
ところが、当時の売買システムでは取引の増加に耐えられず見送りになりました。
その後、新しい売買システムへ切り替えることが決まり、2006年7月に上場を果たしました。なぜこの年だったのかの答えは「たまたま」です(笑)。ただ、結果的にはそのタイミングが功を奏しました。
「失うものがなかった」からできたminiの商品設計
−− 100倍・5円刻みという商品設計は、どのように決まったのでしょうか。
塚本:倍率は、500倍にするか100倍にするかで議論が分かれました。検討していた当時の日経平均は1万6,000〜1万7,000円ほどで、100倍なら1枚170万円前後。ネット証券以外の証券会社からは「そんなに小さな商品を上場してどうするのか」という声が強く、500倍を推す意見が大勢でした。
それでも100倍を選べたのは、ある意味で大証に失うものがなかったからです(笑)。反対意見に合わせたところで、取引が増える保証はない。それならネット証券など、新しいプレーヤーの声に耳を傾けようと考えました。
値段の刻みは、米シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の小型先物「E-mini」をヒントにしました。元の先物と刻みをあえて変えることで、両者の間の小さな価格差を狙うプロの業者を呼び込み、取引を厚くするという発想です。
CMEのE-miniは刻みを粗くしたのですが、当時の日経平均は1日に100円動けば大きい方で、ラージの10円刻みでは個人投資家には面白みに欠ける状況であったことから、CMEとは逆にOSEでは刻みを細かくし5円刻みにしました。さらに、ラージとminiを「同じもの」として扱えるよう同一限月の清算値段はラージと合わせたり、証拠金のルールをそろえたことで、miniは上場直後から厚い取引を確保できたのです。
誰も予想しなかった大ヒット
−− 上場後、miniは一気に広がりました。社内ではどのような反響があったのでしょうか。
塚本:ビッグサプライズでした。誰も想像していませんでしたからね(笑)。
上場前の社内での期待値は低く、大証としてはラージの1割程度の1万枚ほどの取引があれば大成功、という水準。ところが上場初日の出来高から2万2,345枚、2006年中は1日平均で約5万枚、さらに翌年の2007年の1日平均取引高が約20万枚にまで成長し、上場から2年に満たないうちのラージの取引高を追い越すほどの爆発的なヒット商品となりました。
−− なぜ、それほど個人投資家に受け入れられたのでしょうか。
塚本:結果論ですが、時代に恵まれました。ネットで株を売買するのが当たり前になり、信用取引もネットで一般的になった。その次に「先物もやってみたい」という人が出てきたところに、ちょうどminiを出せた。狙って計算したわけではなく、たまたまです。運が良かったと思います。
−− 結果、機関投資家中心だった市場が個人投資家が参加できる環境に変わりました。指数先物市場全体の参加者の裾野を広げる商品となりましたね。
塚本:そんなつもりはなかったんですけどね(笑)
−− miniは、取引所の姿勢も変えたのでしょうか。
塚本:大きく変えました。それまで取引所が説明する相手は証券会社で、個人投資家に直接お話しする機会はまったくありませんでした。商品設計に個人の声を取り入れる発想も、miniまではゼロ。今では、投資イベントやセミナー等で個人投資家の皆様の声を直接お伺いし、商品設計や市場運営の参考にするのが当たり前になっています。
個人の声で変わる取引所の姿勢
−− 夜間取引の導入や取引時間の延長も、miniがきっかけだったのでしょうか。
塚本:そうです。夕方の取引(イブニング・セッション)までの意識はありましたが、miniがなければここまで個人投資家を意識することもなく、夜間取引までという発想には至りませんでした。個人の皆さんの要望をうかがううちに、取引時間を広げるべきだという声が出てきたため、2007年に夕方以降の取引を始め、その後も段階的に延長を重ねています。
もっとも、ルールを変えれば必ず反対の声が上がります。「今のままで気持ちよく取引できているのだから、変えないでほしい」「夜くらい寝かせてほしい」「祝日くらい休ませてほしい」と(笑)。
−− そうした声と、どうバランスを取ってきたのでしょうか。
塚本:判断の基準は、声の大きさではなく「本当に個人投資家のためになるか」です。寝たい方は寝ていただければいい。私たちが取引所を閉めていても、相場は世界のどこかで動いています。であれば、取引の場を用意し、そこで取引したい方がいてもいいはずです。現物株など個別性の高いものは、なかなかそうもいきませんが。
−− この20年には、金融危機や震災もありました。
塚本:2008年の金融危機と2011年の東日本大震災は、証券市場を振り返るうえで避けて通れません。相場が急変すると、どうしても逃げ遅れる方もいる。損失が証拠金を上回る方も出て、レバレッジ取引の怖さを改めて痛感しました。以来、セミナーや資料の記載には「こうすれば儲かる」だけではなく、「ここに注意してほしい」もしっかりとお伝えすることをより重視しています。
日経平均の回復で「日経225マイクロ先物」が誕生
−− 2023年には、miniのさらに10分の1の「日経225マイクロ先物」が登場しました。どのような経緯だったのでしょうか。
塚本:検討を始めたのは2021年後半です。前年に日経平均は30年半ぶりに3万円台を回復し、miniの上場時から約2倍の水準になっていました。値動きも以前より大きくなり、それに伴って必要な証拠金も増えていた。miniでも、個人の方には負担が重くなりつつあったのです。加えて、同時に上場した日経225ミニオプションを取引する方がリスクを先物で細かく調整するには、miniでは大きすぎる。その意味でも、より小さな先物が必要でした。
−− 日経平均が今年6月には一時7万円台に乗るなど右肩上がりの曲線を描く今、マイクロの存在感はいかがでしょうか。
塚本:正直、ここまでの水準は想像していませんでした。日経平均が7万円なら、miniは1枚700万円。入門商品と呼ぶには大きすぎます。ネット証券にうかがうと、初めて先物取引をする方はマイクロから始めるそうです。結果的に、上場しておいて本当によかった。
一方でminiは、ラージに代わって価格形成の中心になりつつあります。海外の機関投資家にもminiを使う方が増えてきました。入門はマイクロ、市場の中心はmini。そうした役割分担ができつつあると感じています。
先物取引は、経済を学ぶ入り口になる
−− 最後に、これから取引を始めてみようと考えている読者へメッセージをお願いします。
塚本:今の日本は、インフレの時代に入ったと私は考えています。預金だけでは、お金の価値が目減りしかねない。手段は先物取引である必要はなく、現物株でも金でもいい。無理のない範囲で、勉強して動いてみてはいかがでしょうか。
そのうえで、デリバティブへの見方も少し変えていただけるとうれしいですね。現在、多くの機関投資家はデリバティブを資産運用に組み込み、リスクの管理に役立てています。そうした実態を踏まえると、個人投資家にとってもデリバティブを活用する意義は十分にあるのではないでしょうか。かつて日本は先物取引を規制しましたが、取引は海外に流れただけでした。必要とされるものは、なくならないのです。だからこそ、むやみに規制するより、日本でしっかり育てていくことが大切だと考えています。
儲かる、儲からない以前に、取引してみると経済の勉強にもなります。日経225miniやマイクロが、その入り口になればと思います。また、先物には他にも東証株価指数(TOPIX)を対象とした小口商品であるミニTOPIXもありますし、先物より多様な戦略が採れるオプションであれば日経225ミニオプションやかぶオプ(有価証券オプション)について知ることもデリバティブの様々な活用方法を考えるきっかけになると思います。