今回は、アクティビスト(物言う株主)でショートセラー(空売り投資家)のスコーピオン・キャピタルの創業者であるグルキラット・カロン(Gurkirat Kahlon、通称キル・カロン)が一時、師事していたアイカーン・エンタープライジズ
米主要航空会社だったトランス・ワールド航空(TWA)の経営権を取得した翌年の1986年、アイカーンは米国を代表する鉄鋼会社USスチール<X>(1986年に社名をUSXに変更、以降USXと表記)の株式も買い集め、ジャンク・ボンド(投資不適格債)を利用するLBO(Leveraged Buyout、借入金を利用した企業買収)を仕掛けました。
これに対してUSXは、34億ドルの条件付き借り入れを実施し、LBOを断念させます。その条件とは、同社が外部者によって買収された場合、貸し手は直ちに返済を要求できるという内容でした。これによりアイカーンの買収費用は大きく膨れ上がることになり、LBOによる買収は断念へと追い込まれます。
しかし、アイカーンはめげずに同社株を買い続けました。そしてUSXの株価が低迷している原因と考えられていた鉄鋼事業の分離を株主総会で訴えるべく、1990年にプロキシー・ファイト(委任状争奪戦)を展開します。USX側は57%という僅差の支持で分離を阻止することができましたが、この問題を重く見て1991年にトラッキング株式の導入を発表します。
◆トラッキング株式と後の分離
このときのトラッキング株式について、堀一郎[2005]『US スチール社のリストラクチャリング-事業の転換・集中と分離』(愛知県立大学 外国語学部 紀要第37号)は、以下の二点からなっている、としています。
① USXは、石油・ガスのエネルギー部門と鉄鋼・多角化事業の鉄鋼部門の2大部門に株式を分割し、おのおの業績を反映するマラソン株USX -Marathon Group(MRO)とスチール株U.S. Steel(X)を発行する。現在のUSX株はUSX社のエネルギー部門(Energy Stock)の業績を反映させ、現在の普通株は1対1でUSX-Marathon Group普通株に交換され、そして各自が保有する普通株1株に対して0.2株の割合でUSX-U. S. steel Groupの株式が配布される。
② 株主にはその一方か両方を保有するか、売却するかのオプションが与えられ、投資家はエネルギーにも鉄鋼にも投資が可能になる。
一企業、二株式制度という異例の対応によって、USXは鉄鋼事業を手放すことなく、それぞれの事業の成果が投資家によって評価されることになり、株主を満足させることに成功しました。その後、アイカーンは同社株を売却し、2億ドルの利益を得たそうです。
なお、同社は2000年に再び資本構成を見直し、マラソン株とスチール株をそれぞれ独立した会社に分離することにしました。前者は現在のマラソン・オイル<MRO>となります。後者は現在のユナイテッド・ステイツ・スチール(USスチール)<X>となりましたが、2023年末には日本製鉄 <5401> [東証P]が同社の買収に合意したことで、再び物議を醸しています。
◆様々な確執
このようなアイカーンの投資行動は、全米の上場企業経営者から身構えられ、様々な確執を生むことになりましたが、アイカーンは他でも多くの問題に遭遇しています。例えば第17回で取り上げた同業のパーシング・スクエア・キャピタル・マネジメントを率いるウィリアム・アルバート・アックマン(William Albert Ackman、通称ビル・アックマン)とのトラブルです。アックマンの最初のヘッジファンドであるゴッサム・パートナーズが破綻したばかりの2003年に、アックマンは保有する不動産会社ホールウッド・リアルティを売らねばならなくなりました。
当時、同社は1株60ドルで取引されていましたが、アックマンは140ドルの価値があると考え、80ドルでアイカーンに売却することにします。しかし、このときの売買契約にシュマック保険などが組み込まれていました。シュマック保険とは、後で高く売れることになった場合に備える保険です。このときのシュマック保険の具体的な内容は、アイカーンが3年以内に同社株式を売却し、10%以上の利益が出た場合、その利益をアイカーンとアックマンが分け合うというものです。
2004年にホールウッドは1株およそ137ドルでHRPTプロパティーズ・トラスト(2010年に社名をエクイティ・コモンウェルス<EQC>に変更)と合併しました。アイカーンはこの取引で利益を得たので、アックマンは契約に従って分け前を要求します。しかし、アイカーンは売却したわけではないので支払いを拒否しました。そこでアックマンはアイカーンを訴えます。裁判の結果、アイカーンは分け前と金利負担で約900万ドル、加えて裁判費用の支払いを2011年に命じられました。
しかし、この話には続きがあります。それは2012年12月にアックマンが、栄養補助食品を製造・販売するハーバライフ<HLF>に、10億ドルの空売りを仕掛けたときのことです。アックマンは同社のマルチ商法戦略を「ねずみ講」だとして、「株価はゼロになるだろう」との考え方を示し、同社の株価は急落します。翌月にアックマンとアイカーンはテレビに生出演し罵詈雑言が飛び交う大論争を繰り広げ、アイカーンはハーバライフを買い向かいます。2014年のテレビ出演で両者は仲直りしますが、アックマンは2018年第1四半期にハーバライフを買い戻して約10億ドルの損失に見舞われたそうです。一方のアイカーンは紙の上では「10億(ドル)を稼いだ」と発言し、2018年第2四半期に同社株を売却したようです。
ハーバライフ<HLF>月足、2012年~2018年
◆空売り投資家の標的
アイカーンは1990年からアメリカン・リアル・エステート・パートナーズの株式を買い集めて主導権を取得する一方、2004年にヘッジファンド、アイカーン・パートナーズを設立します。これらを2007年に合併させてアイカーン・エンタープライジズ<IEP>としました。もっとも、ここ数年は同社傘下のプライベートファンドの成績が思わしくないとみられています。アイカーンは近年、金融市場が暴落すると予想して90億ドルを失ったことも認めました。そんな矢先の2023年5月に、同社は空売り投資家の標的となってしまいます。
アイカーン・エンタープライジズ<IEP>週足
空売りで知られる米投資会社ヒンデンブルグ・リサーチが、アイカーン・エンタープライジズは過大評価されており、同社の高い配当は新規投資家からの投資を利用して支払っているために維持は不可能だ、と主張します。2017年にネイサン・アンダーソンが創設したヒンデンブルグは、2020年に電動トラックメーカーのニコラ<NKLA>や2023年1月にはインドのコングロマリット、アダニ・グループの空売りレポートを公表し、それぞれの株価に多大な影響を与えて話題になりました。同社によるアイカーン・エンタープライジズに対する指摘について、ニューヨーク州南部地区連邦地検が調査に乗り出しています。これに対してアイカーンは5億ドルの自社株買いを発表して対抗しましたが、株価の戻りは今ひとつのようです。彼は「きついゲームだ」と述べていますが、過去の言動を振り返ると、どこかで反撃のチャンスを狙っているものと考えられます。(敬称略)