シタデルのケン・グリフィン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【8】― 

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◆目指せ!ゴールドマン


 前編で触れたようにシタデルLLCは金融危機が起きる度に、破綻するファンドや会社から新しい人材やポジションを取り入れたり、あるいは出資を行ってきました。そうした意欲的な姿勢がメルビン・キャピタル・マネジメントに対しても見られたのは、前編の冒頭に示した通りです。

 このようにグリフィンは「規模の大きさがヘッジファンドの強さ」と言わんばかりに次々と規模を拡大させていきました。シタデルの運用資産は、米国の投資家向けヘッジファンドであるウェリントン・ファンドと米国外の投資家向けヘッジファンドであるケンジントン・グローバル・ストラテジーズを中心に、2021年5月時点で390億ドルにも上ります。

 もちろん、成功例ばかりではありません。シタデルは2007年、サブプライムローン問題で経営が悪化した米オンライン証券のイートレード・ファイナンシャル<ETFC>に25.5億ドルも投資しています。イー・トレードのモーゲージ関連証券のポジションなどを引き受けたほか、イー・トレードの普通株およそ2割を所有して筆頭株主となります。しかし、その後もイー・トレードの経営は思わしくなく、シタデルはイー・トレードに対して役員の更迭や身売りなどを提案しますが、結局2013年にはイー・トレードの株式を全て売却してしまいました。

 また、2008年のリーマン・ショック時には事実上、経営破綻して米大手商業銀行のバンク・オブ・アメリカ<BAC>に吸収合併されたメリルリンチなどから人材を引き抜き、投資銀行業務に進出します。当時のグリフィンはシタデルを、米大手金融機関のゴールドマン・サックス・グループ<GS>を上回る金融機関に育てようとの野心を抱いていたようです。しかし、これも上手くいかず、2011年には同業務からの完全撤退を余儀なくされました。

 加えて2008年の同じ時期に、シタデルの主力ファンドであるウェリントンとケンジントンは5割近くの損失を出します。この時はシタデルの破綻が噂されたのか、米ニュース専門放送局であるCNBCの取材班が同社前に陣取っていたほどでした。そして、この損失を穴埋めするのにシタデルは4年近くの歳月を費やしたのです。

 

◆ニューヨーク証券取引所で最大のマーケット・メイカーに


 シタデルは前編でヘッジファンドではなく、金融機関として紹介していますが、それは傘下に証券会社シタデル・セキュリティーズを抱えているからです。この証券会社はマーケット・メイク(値付け)を主に手掛けており、ニューヨーク証券取引所で最大のマーケット・メイカーでもあります。

 ニューヨーク証券取引所では設立当初から、上場している全ての銘柄に対して必ず1社ずつマーケット・メイク業者を公式に割り当てて流動性を高める「マーケット・メイク制度」を採用しています。この制度は東京証券取引所でもETF(上場投信)など一部の金融商品に採用されています。

 取引所が乱立する米国では、取引所間の競争が次第に激化し、それぞれが市場の売買高を増加させるためにさまざまな施策を打ち出しています。その中でも代表的な施策がメイカー・テイカー手数料モデルです。

 従来、取引所は注文を出す全ての証券会社から手数料を徴収していました。ところが、メイカー・テイカー手数料モデルでは、売りであろうと、買いであろうと、先に指値を提示する注文を出した証券会社が取引所から報酬(メイカー・リベート)を受け取り、後から指値を奪取する注文を出した証券会社が取引所に手数料(テイカー・フィー)を支払うという仕組みとなっています。そして、メイカー・リベートとテイカー・フィーの差額が取引所の利益となるのです。

メイカー・テイカー手数料モデルの概念図

 2002年に設立されたシタデル・セキュリティーズでは、先ほど触れたように投資銀行業務を展開しましたが、上手く育ちませんでした。しかし同証券は、設立当初からマーケット・メイク業務に定評がありました。

 そして、HFT(高頻度取引)業者であったナイト・キャピタル・グループ(2012年に同業の米ゲッコーと合併してKCGホールディングスとなり、2017年に米バーチュファイナンシャル<VIRT>に買収)の電子取引グループを率いていた人材を2011年に引き抜き、マーケット・メイク業務を一段と充実させます。

 2008年7月にニューヨーク証券取引所は、それまでスペシャリストと呼ばれる取引所会員業者が手作業で行っていたマーケット・メイク業務を電子化しました。これについて行けない米大手金融機関は同業務を次々とHFT業者に売却していき、この業務はHFT業者のほぼ独壇場(2021年現在、シタデル・セキュリティーズ、バーチュ・アメリカ、GTSセキュリティーズの3社のみ)となっていきます。

 シタデルは2016年にKCGのマーケット・メイク部門を買収し、ニューヨーク証券取引所で最大のマーケット・メイカーとなりました。ハウス・ファイナンシャル・サービスによると、現在シタデルは米国株式の約26%、米個人投資家との取引の約47%、そして3000銘柄の米国株オプションの99%に関して、マーケット・メイクを行っているとされます。

 

◆PFOF(ペイメント・フォー・オーダー・フロー)


 また、シタデルは、ロビンフッド・マーケッツ<HOOD>などディスカウント・ブローカーに手数料を支払ってまで注文取次を行っています。この取引慣行をPFOF(ペイメント・フォー・オーダー・フロー)といい、日本でもネット証券各社がこぞって売買手数料の無料化に走った2019年頃に話題となりました。

 シタデルのようなマーケット・メイカーが手数料を支払ってまで注文を取り次ぐのは、豊富な流動性を確保することで、メイカー・テイカー手数料モデルのメイカー・リベートが増大、もしくはテイカー・フィーが低下するからです。加えて、市場に流れる前の注文情報を得ることで、最適な戦略をとることが可能になるためでした。

 例えば、ある銘柄の最優良気配値が1000円買い・1003円売りだった場合に、それぞれ別のディスカウント・ブローカーから、成り行きの売り注文と買い注文がマーケット・メイカーに回送されてきたとします。通常であれば、成り行きの売り注文には1000円の約定(下図左①)、成り行き買い注文には1003円の約定(下図左②)となります。

 しかし、マーケット・メイカーが成り行きの売り注文には1001円の約定(下図右①)、成り行き買い注文には1002円の約定(下図右②)を返せば、マーケット・メイカーの手元には1001円買いと1002円売りのポジションが残り、これらを相殺(下図右③)することによって1円の収入となります。そして、それぞれの注文を回送したディスカウント・ブローカーに対して、0.3円ずつの手数料を支払っても0.4円の利益が残ります。

PFOFの概念図

 もちろん、これは単純化されたPFOFの考え方であって、現実には都合よく同じタイミングで売り注文と買い注文が回送されることはほとんどないでしょう。となると、一時的にもポジションを抱えることによる価格変動リスクをマーケット・メイカーが負わねばならないことも想定されます。

 また、そのまま取引所に出されれば最優良気配値となるような注文がPFOFによって歪められてしまう可能性も否定できませんし、場合によってはフロント・ランニングも行えるなどPFOFにはさまざま問題があります。

 フロント・ランニングとは、日本取引所グループ <8697>の用語集によると「金融商品取引業者またはその役職員が、顧客から有価証券の売買の委託等を受けた場合、その売買を成立させる前に、自己の計算において同一銘柄の売買を成立させることを目的として、顧客の注文より有利な価格(同一価格を含む)で有価証券の売買を行うこと」をいい、日本でも米国でも法律で禁止されている行為です。

▼日本取引所グループ用語集
https://www.jpx.co.jp/glossary/ha/408.html

 マーケット・メイク業務の電子化以降、これらの問題が次第に顕在化し、マーケット・メイカーによる取引慣行の不規則性、不正確もしくは不適切な当局への報告などが生じ、シタデルも何度か罰金を科せられています。

シタデルが支払った主な罰金や和解金
 

◆関係者を取り込むシタデル


 上の表の2020年の70万ドルの支払いは、米金融取引業規制機構(FINRA)から指摘された問題ですが、このときは米証券取引委員会(SEC)の元職員でFINRAの幹部も務めた人物が、シタデル側の法律顧問として交渉に参加し、同社はFINRAの指摘を認めることも否定することもせずに罰金だけ支払っています。

 また、シタデルは2016年にFINRAにおける資本市場の規制担当者や監督部門の責任者、SECの取引・マーケット部門でフラッシュ・クラッシュを調査していた担当者など、次々と規制当局の担当者や責任者を採用するなど、コンプライアンス重視の姿勢を強めていきました。この点は前回に取り上げたSACキャピタルも同様です。

 ちなみに、フラッシュ・クラッシュ(瞬間暴落)とは、ニューヨーク・ダウ工業株が数分間で9%も下落した2010年5月の出来事を指します。その背景として、株先の大口売りに追随したHFT業者のシステム・トレードが問題視されていました。

 シタデルは規制当局の担当者や責任者だけでなく、金融当局者の採用にも力を入れているようです。有名なところでは2015年にバーナンキ元米連邦準備制度理事会(FRB)議長を世界経済・金融問題の上級顧問として迎え入れています。

 このようにシタデルは他のヘッジファンドと大きく異なる収益構造を有していますが、ヘッジファンドの儲け方が時代によって大きく変化し続けていることは周知の通りです。今後はシタデルのように単なるトレードだけでなく、フィンテックを利用した金融関連業務を手掛けることが、ヘッジファンドの新しいスタイルになっていくのかもしれません。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。