ブリッジウォーターのレイ・ダリオ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【9】―

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◆アルファとベータの分離


 1982年8月のメキシコ債務危機で全財産を失ったブリッジウォーター・アソシエイツのレイ・ダリオでしたが、彼が配信していたマクロ分析レポート「デイリー・オブザベーションズ」が高く評価され、1985年に世界銀行から国債を集めたポートフォリオの試験運用を依頼されます。この運用を通じて、彼はアルファとベータを分離させる「ポータブル・アルファ戦略」(後述)という革新的な投資アイデアにたどり着きました。

 運用成績の評価では一般的に、どれほどのリターン(投資収益)を稼いだのかではなく、どれほどのリスクを取って、どれほどの超過リターン(=ポートフォリオのリターン-無リスク資産のリターン)を稼いだのか、つまり下の計算式で表されるシャープ・レシオ(リスク1単位当たりの超過リターン)が使われます。

○シャープ・レシオ
=(投資対象のリターン-無リスク資産のリターン)/投資対象のリスク

 シャープ・レシオで用いる無リスク資産とは、リスクのない元本が保証された資産を指し、リスクフリー資産とも言われます。具体的には、先進国の短期国債のほか、個人投資家の場合は預貯金ということになります。もっとも、元本を保証する国や金融機関といえどもわずかではあってもデフォルト(債務不履行)リスクがあるため、厳密にいうと無リスク資産は存在しません。

 また、投資対象のリスクでは、投資対象のリターンの標準偏差、つまりリターンのバラつきを使います。このような計算式ですので、シャープ・レシオは数字が大きいほど、小さなリスクで大きなリターンを稼いでいることを表すため高い評価となります。

 ところで、投資対象のリターンは、ベンチマークを上回るリターン(アルファ)とベンチマークのリターン(ベータ)に分けられます。ベンチマークとは投資対象資産の指標を指し、例えば日本株の場合、東証株価指数(TOPIX)や日経平均株価などの株価指数が該当します。このベンチマークに連動するパッシブ運用で得られた部分のリターンがベータです。そして、ファンドマネージャーの裁量によるアクティブ運用で得られた、ベンチマークを上回る部分のリターンがアルファとなります。

 ベータは市場全体の値動きであるため、投資対象のベンチマークを先物やオプションなどで空売りしてベータを消し去ると、ファンドマネージャーの力量そのものを示すアルファが抽出できます。

アルファとベータの分離プロセス(イメージ)

 

◆ポータブル・アルファ戦略


 レイ・ダリオが提唱した「ポータブル・アルファ戦略」では、まず投資家にターゲットとするベンチマークを選んでもらい、指定されたベンチマークの先物などで投資金額に見合う分の買いポジションを構築してベータを確保します。次に残った資金で指定されたベンチマークと相関しないアルファを狙いに行きます。

 例えば債券に投資する場合、投資金額全てを債券に投資するのでなく、それに見合う分の債券先物を買います。次に先物を建てるために必要な証拠金を差し引いた残りの資金で、債券市場と相関しない株式市場などに投資します。もちろん、単純に投資するのではなく、先ほどの説明のように株式先物を売りながらベータを抹消し、抽出された現物株投資のアルファを狙うわけです。

ポータブル・アルファの組成イメージ


 この戦略では債券投資のベータに株式投資のアルファを乗せることが可能になりますので、ポータブル(持ち運び可能な)アルファというわけです。相関性の薄いマーケットに資産を幾つも分散させることで、リターンを維持しながらリスクを低減させることが可能になり、加えてレバレッジを効かせることでリターンの拡大を狙うことができます。ブリッジウォーターでは、ベンチマークならびにアルファを狙うマーケットはそれぞれ、投資家が選べるようにしました。

 インデックス運用をする場合、誰が運用してもほとんど同じ結果になりますが、ブリッジウォーターでは差別化を図るため、1989年にポータブル・アルファ戦略を用いたヘッジファンド「ピュア・アルファ」を創設しました。このファンドは今でも同社の旗艦ファンドであり続けるほど高い支持を得ています。
 

◆リスクパリティな全天候型


 この「ピュア・アルファ」に加えて、ブリッジウォーターが擁する有名なファンドには1996年に立ち上げた「オール・ウェザー(全天候型)」があります。このファンドは当初、ダリオ個人の資産管理用に考えられたアセット・アロケーション(資産配分)でしたが、後に顧客に開放されました。

 「オール・ウェザー」の基本的な仕組みはインデックス運用ですが、資産配分に特徴があります。投資家に許容できるリスク度合いを決めてもらい、その度合いによって資産ウェートを決めます。この手法を「リスクパリティ(均衡)」と言いますが、「オール・ウェザー」は世界で最初にこの手法を取り入れたファンドなのです。

 リスク度合いとはボラティリティ(予想変動率)のことを指し、ボラティリティは各資産によって異なりますが、あらかじめ決められたボラティリティになるよう資産配分を決定します。ボラティリティが高い資産のウェートを少なく、ボラティリティが低い資産のウェートを多くしながら調整するわけです。

 しかし、マーケットが変化するようにボラティリティも常に一定ではありませんので、あらかじめ決められたボラティリティになるよう定期的に資産ウェートを調整します。つまり、ボラティリティが高くなった資産のウェートを減らし、ボラティリティが低くなった資産のウェートを増やすわけです。

 この仕組みは大変な人気を呼び、すぐにコピーファンドが多数つくられたほどです。そのため多くの運用資産がリスクパリティを目指すことになり、マーケットがリスク回避地合いとなってボラティリティが高まると、元よりボラティリティが高い株式などのリスク資産が、資産ウェートを調整するタイミングで改めて売り込まれる、といった弊害を生むようにもなりました。

 このように幾つもの革新的な投資の考え方を提唱したブリッジウォーターは、リスク管理においても「クライシス・インディケーター(危機指標)」と呼ぶ指標を開発するなど、研究に余念がありません。この指標では主要マーケットがそれぞれ、マーケット全体のリスクとどれほどの相関性があるのかをみて、危機が近づいているのかどうかを判断しているようです。

 また、「Dプロセス」と称して、レバレッジ解消や金融危機に関する研究を行い、2008年のリーマン・ショック時には損失をかなり限定的に抑えています。ところが、2020年のコロナ・ショック時には成果をあげられず、ブリッジウォーターは2割近くの大きな損失に見舞われ、運用資産の大幅な減少を招いています。

 しかし、前編でも示した通り、レイ・ダリオの著書『プリンシプルズ(人生と仕事の原則)』には「痛みを感じ、そして反省して、初めて進化できる」と記されています。それならば、レイ・ダリオは、この逆境を踏み台にして更なる進化を必ずみせてくれる、と期待してやみません。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。