TCIのクリス・ホーン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【21】―

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◆日本における活動の一歩もまずは取引所から


クリス・ホーン卿が率いるザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド・マネジメント(TCI)の日本におけるアクティビスト活動は、電力各社への電力卸を営むJパワー (電源開発)<9513>の一件が有名です。しかし確認できる範囲では、大阪証券取引所(現在は日本取引所グループ <8697>の子会社)への投資が彼らの活動の最初の一つだったと考えられます。2006年に「TCIが大証の株式を2~3%程度取得したようだ」との観測記事が報じられました。

 前編でも触れましたが、TCIは2004年にドイツ取引所の株式を短期間で10%近くも買い占め、ロンドン証券取引所への買収提案を撤回させ、当時の最高経営責任者(CEO)を退任に追い込みました。その後もTCIはドイツ取引所の株式を保有し続け、同取引所傘下の金融先物取引所ユーレックスが大証と提携交渉を進めていることを知り、大証に興味を示したと推測されます。

 一方、2005年に村上世彰が率いるMACアセットマネジメント(通称、村上ファンド)が大証の株式を10%も買い占め、大幅増配による内部留保の吐き出しを要求。これを巡って経営側と対立した経緯があっただけに、大証にしてみればTCIの大証株取得には肝を冷やしたと思われます。

 ちなみに、村上ファンドは2005年末までに保有していた大証株の過半数をCSKホールディングス(現在のSCSK<9719>)に売却。残りを市場などで売却していることから、TCIはこれを買い集めたのでしょう。また、TCIは大証以外にも、ほぼ同じタイミングで中部電力<9502>やJパワーにも投資していますが、その後に焦点をJパワーに絞っていったようです。
 

◆立ちはだかる日本政府


 TCIはJパワー株の9.9%を買い集め、株主配分が足りないとして増配や約600億円もの自社株買いの要求を突き付けます。その要求が受け入れられないとなると、更に買い増しを検討。外為法の外資規制で安全保障や重要インフラにかかわる企業の10%以上の株式保有が制限されていたため、株式保有を20%まで高める申請を日本政府に提出しました。

 また、「取締役の業務執行義務違反に関する実態調査依頼」と題する書簡をJパワーに送り、卸売電力価格などの値下げで失われた利益を賠償金として役員全員に支払いを求める提訴の検討を監査役会に要求しました。加えて、みずほフィナンシャルグループ<8411>や鹿島建設 <1812>など、Jパワーの株式持ち合い先数社の株式も取得。Jパワーの株主に対しても圧力を掛けていきます。

 しかし、2008年の同社株主総会を翌月に控えた5月に、日本政府から買い増し申請は却下されてしまいました。そのため、TCIは退却を決意します。Jパワーが7月末に決めた小規模なグループ再編に反対して、9月に株式の買い取り請求をJパワーに出します。組織の再編に反対する株主から保有株の買い取りを求められると、会社側は「公正な価格」で買い取らなければならないことが会社法によって規定されています。TCIはこの点を利用したものと推察されます。交渉の結果、Jパワーは9月末に時価よりも3割以上も高い価格で買い取ることにしたのです。

電源開発<9513>株価(円)
出所:各種報道、2006年2月に実施した1株→1.2株の株式分割を遡及
 

◆Jパワー以降の投資活動


 その直後からTCIは東芝<6502>や日本電産 <6594>、シャープ<6753>、ソニーグループ <6758>、三菱重工業<7011>、みずほフィナンシャルグループなど、日本の主力銘柄の空売りをまとめて仕掛けます。いずれも発行済み株数の5%未満と大量保有報告を求められない程度に規模を抑えましたが、リーマン・ショックからの強烈なリバウンド相場に巻き込まれ、およそ半年で買い戻しを余儀なくされる結果となりました。

 しかし、買い戻しの翌年となる2010年から今度はJT<2914>の株主として登場します。そして、2011年には大株主である財務省に書簡を送って社長交代などを求め、2012~2015年の株主総会では毎回のように自社株買いや大幅増配を提案。2014年には当時の安倍晋三首相にJTの早期完全民営化まで要請しました。

 これらTCIの要求はいずれも却下されましたが、こうした圧力を受けてJT は2013年3月に2500億円分、2015年3月に1000億円分の自社株買いを実施。配当性向も2013年度の40%から2015年度には50%へ高める計画を掲げ、2014年の株主総会では配当性向に50%の下限を設定するなど、大きな変化を見せました。その結果、株価は上昇し、TCIは2015年9月末までに持ち株をほぼ全て売却します。

JT<2914>株価(円)
出所:各種報道、2012年6月に実施した1株→200株の株式分割を遡及
 

◆買収断念による株価上昇


 さて、このようなアクティビスト(物言う株主)・ファンドTCIが2021年に好成績だった背景には、投資先であるカナダの鉄道会社カナディアン・ナショナル・レールウェイの株価上昇が貢献したとみられます。

 カナディアン・ナショナルは2021年4月に、同業の米鉄道大手カンザスシティー・サザンの買収を発表します。しかし、既に同業のカナディアン・パシフィック・レールウェイ<CP>がカンザスシティーを約250億ドルで買うことに合意していました。これにカナディアン・ナショナルは横槍を入れ、現金と株式交換による議決権信託という手法で約337億ドル相当の買収を提案したのです。

 議決権信託とは、委託者(今回のケースではカンザスシティーの株主)が保有株式自体を受託者(今回のケースではカナディアン・ナショナル)に信託し、その株式にかかわる議決権その他すべての権利を受託者に行使させる信託方法です。今回のケースでは委託者が権利を譲る代わりに現金とカナディアン・ナショナル株を受け取ることになります。

 ところが、カナディアン・ナショナル株を2018年から保有していたTCIは、この買収に反対します。今回の買収は買収する側がカナダ・米国・メキシコをつなぐ鉄道網を獲得できるというメリットがあるものの、カナディアン・ナショナルとカンザスシティーは重複している部分が多いなどの理由により、米陸上運輸委員会(STB、Surface Transportation Board)が認可せず、その際にはカンザスシティーに支払う違約金10億ドルとカナディアン・パシフィックに対する交渉決裂違約金7億ドルの支払いが発生する可能性があったからです。

 カナディアン・ナショナルの買収提案を受けてカンザスシティーは良い条件になびき始めたため、カナディアン・パシティックは買収額を270億ドルに引き上げます。しかし、STBは2021年8月末に、カナディアン・ナショナルの議決権信託という方法を承認しませんでした。カンザスシティーとカナディアン・ナショナルの統合が公正な市場の競争を妨げる可能性があり、公益と一致しないから、という理由でした。

 このSTBの判断を背景にカナディアン・パシティックは、期限が過ぎれば引き上げた買収額を堅持するつもりはない、と強気に出ます。やむを得ずカンザスシティーはカナディアン・ナショナルに7億ドルの違約金を支払い、買収提案を一方的に解除しました。これを受けてカナディアン・ナショナルの株価は上昇します。

 また、STBの判断を受けてTCIはカナディアン・ナショナルの取締役会に対して、カンザスシティー買収断念と最高経営責任者(CEO)ならびに会長の交代などを提言します。そして10月には、同業で2021年のヘッジファンド収益ランキングの5位となったポール・シンガー率いるエリオット・マネジメントが、カナディアン・ナショナルの株を大量に保有していると報じられます。TCIの提案に賛同したためなのかどうかは定かではありませんが、この話はまだまだ続きがありそうな気配です。どのような展開となっていくのか、今後の動向に期待しましょう。(一部敬称略)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。