タネンバウムのファー・ツリー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【44】―

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◆ESG投資の先駆け


 今回はビットコインに投資する投資信託、グレースケール・ビットコイン・トラストの運営会社を訴えたヘッジファンド、ファー・ツリー・キャピタル・マネジメントを取り上げています。創業者のジェフリー・デイビッド・タネンバウムは2000年に、テュレーン大学の同級生であり、新興国市場投資で有名だったエベレスト・キャピタルに勤めているアンドリュー・フレッドマンを招聘しました。
 
 その後にタネンバウムは投資権限の委譲を進め、2010年半ばまでには日常のポートフォリオ管理に関与しなくなります。そして、社会に持続可能な利益をもたらす産業とビジネスの成長を加速させるため、タイタン・グローブを設立しました。同社では米国最大の太陽光発電施設の建設に貢献するエス・パワーや、建物のエネルギー改修に資金を提供するペースネイションなどといった企業に投資する活動を展開していきます。その意味ではESG投資の先駆けと言えるでしょう。
 
 ESG投資とは、環境(Environment)・社会(Social)・企業統治(Governance)に配慮している企業を重視・選別して行う投資のことです。従来のキャッシュフローや利益率などの財務情報などで評価する投資手法に、これら非財務情報を考慮することで、国連が提唱するSDG’s(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)達成に大きく貢献するものです。

 東京証券取引所を傘下に持つ日本取引所グループ <8697> [東証P]でもESG投資促進の取り組みを進めるべく2017年12月、SSEイニシアティブ(Sustainable Stock Exchanges Initiative)に参加しました。SSEイニシアティブは、証券取引所がサステナブル(持続可能)な社会の構築に向けて、投資家や上場会社などのステークホルダーと協働しながら、主体的にその取り組みを検討していく活動で、国連貿易開発会議(UNCTAD)、国連グローバル・コンパクト、国連環境計画・金融イニシアティブ(UNEP FI)、責任投資原則(PRI)により運営されています。
 
 また、世界のESG投資額はGSIA(世界持続的投資連合:Global Sustainable Investment Alliance)によると、2020年に35.3兆ドルに達し、調査対象となった機関投資家の全運用資産98.4兆ドルの35.9%にあたるとのこと。もっとも、同投資の運用成績はコロナ禍後が芳しくなく、投資を今後さらに拡大させていくための課題になっているようです。

 タネンバウムがこうした活動に専念できたのも、フレッドマンの活躍があってこそのことでしたが、そのフレッドマンは2015年に退任。イングルシー・キャピタルというファミリー・オフィスの運用に転じますが、2020年に亡くなっています。フレッドマン退任後のファー・ツリーは、1999年に投資銀行ウェルフェンソン・アンド・カンパニーから転職してきたデビッド・スルタンが引き継いだものの、サポートする役員の半分が数年以内に辞めてしまい、現在はブライアン・マイヤーが最高執行責任者(CEO)についています。彼は2005年から同社で働く前は、メディアに特化したプライベートエクイティ会社および投資銀行であるヴェロニス・スーラー・スティーブンソンのマネージングディレクターを務めていました。
 

◆JR九州に投資


 ファー・ツリーが日本で知られるようになったのは、同社が2018年にJR九州 <9142> [東証P]の発行済み株式数の5.1%を取得した、との大量保有報告書を提出してからです。ファー・ツリーはJR九州の株式を上場した2016年から保有していたものの、株価が過小評価されているとして、自社株買いなどを求めるアクティビスト活動を始めます。2019年の株主総会では、発行済み株式10%の自社株買い(上限720億円)や指名委員会等設置会社への移行、3人の社外取締役の選任などを提案。これに対してインスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)やグラスルイスといった米議決権行使助言会社は、賛成を推奨します。

JR九州 <9142> [東証P] 月足
JR九州 <9142> [東証P] 月足

 しかし、JR九州側は徹底抗戦の構えを見せ、ことごとく株主提案に反対したほか、ファー・ツリーが株主名簿に記載のない「実質株主」であることを根拠に、株主総会での発言を認めない方針を打ち出します。加えて、JR各社との株式持ち合いを強化するなど、2015年に金融庁が策定したコーポレートガバナンス・コードに反旗を翻してまで対抗したのです。同株主総会では、株主提案の賛成率が最高41.7%まで高まりましたが、必死の抗戦の甲斐があって何とか抑え込むことに成功します。ただ、株主提案が一定の支持を集めたことを受けてか、JR九州は2019年11月に、100億円を上限とする自社株買いを2020年3月末までに実施する方針を発表しました。
 
 2020年の株主総会でもファー・ツリーは、不動産や金融に詳しい取締役の選任や不動産事業の収益情報の開示など4議案を提案します。しかし、JR九州側は更なる株主対策を講じ、JR各社の他にも西松建設 <1820> [東証P]や大林組 <1802> [東証P]など40社余りが新たにJR九州株を保有したり、買い増したりしました。その結果、株主提案の賛成率を最高32.6%と前年よりも低く抑えることに成功しています。このように激しい攻防を繰り広げた両者でしたが、JR九州株への投資を行っていた担当者が辞めたため、同総会後にファー・ツリーはJR九州株を手放す、といった煮え切らない形で結末を迎えたのでした。
 

◆テザーUSDT・ショート


 ファー・ツリーの最近の活動で大きく取り上げられたものに、グレースケールの提訴以外に、ステーブル・コイン(価格が安定するよう設計されている暗号資産)であるテザーUSDTの大量空売りがあります。テザーは業界最大のステーブル・コインであり、ドルが裏付け資産となっていますが、その全てがドルで保管されているわけでなく、米短期証券やコマーシャルペーパー(企業が発行する無担保の約束手形)、企業などへの有担保融資も含まれており、詳細は開示されていません。

 これに対して規制当局などから不透明過ぎるとの批判が出ており、テザーUSDTを発行しているテザー・ホールディングスは全面監査を約束しているのですが、これまで一度も実行したことがありません。そのため、ニューヨーク州司法当局は数年がかりの捜査の結果、テザーUSDTに関する虚偽の説明を行ったとしてテザー・ホールディングスを提訴します。しかし、テザー・ホールディングスは虚偽を認めないまま、1850万ドルを支払うことで当局と和解しました。
 
 こうした不透明感からテザーUSDTは、折りに触れてヘッジファンドの空売り対象となります。ところが、第43回のスリー・アローズ・キャピタルの破綻(後編)でも取り上げたように、2022年5月にステーブル・コインであるテラUSDが先に暴落してしまいました。このときテザーUSDTも0.998ドルまで売り込まれますが、その後は回復しています。というわけでファー・ツリーによるテザーUSDTの大量空売りは、今のところ上手くいっているわけではないようです。ただ、テザー・ホールディングスが頑なに開示を拒否する姿勢が疑惑を呼んでいるのは事実です。しかも、暗号資産の大手交換業者であるFTXの経営破綻も重なったことで、今後も情報開示に対する圧力は強まっていくことでしょう。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。