デリバティブを奏でる男たち【61】 コールバーグのKKR(前編)

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◆LBO業界のパイオニア


 前回は資金調達力が業界ナンバーワンといえるブラックストーンを取り上げましたが、今回はその地位を揺るがす存在であり、プライベート・エクイティおよびLBO(Leveraged Buyout)業界のパイオニアといわれるKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)<KKR>を紹介します。

 前回も示したプライベート・エクイティ・インターナショナルが毎年公表するプライベート・エクイティ・ファンドの運用資金調達額(過去5年間)PEI 300ランキングにおいて、KKRは2022年にトップとなりましたが、それ以外の年も2番手、3番手に名を連ねています。ちなみにLBOとは、買収する際に多額の借金、つまりレバレッジを利用した企業買収のことで、特に1980年代以降のLBOは、買収される側の資産が買収する側の借金の担保となることが特徴として挙げられます。


出所:Private Equity InternationalのPEI 300(再掲)

 KKRの共同創設者のひとりであるジェローム・シュピーゲル・コールバーグ・ジュニア(1925-2015)は、米ニューヨーク州のユダヤ人家庭で育ちました。第二次世界大戦中にアメリカ海軍に勤務しながら、スワースモア大学で文学士号を取得。ハーバード・ビジネス・スクールで MBA(Master of Business Administration、経営学修士号)を取得し、コロンビア・ロー・スクールで 法学修士号を取得しました。コールバーグは1955 年にベアー・スターンズ(2008年にJPモルガン・チェースが救済買収)に入社。企業財務部門の管理を担当していた際、KKRの共同経営者となるヘンリー・ロバーツ・クラヴィスとジョージ・ローゼンバーグ・ロバーツがコールバーグの部下になります。
 
 ここで彼らはブートストラップ投資についてアドバイスを始めました。ブートストラップとは本来、男性用ブーツの後方の上についている紐を指し、これに指をひっかけてブーツを履く動作から、他からの資本を頼りにせず、自力で経営されている会社を指します。これらの企業は上場できるほど大きくなく、同業他社に経営を譲る気もない小規模な会社であり、こうした企業をターゲットとしたレバレッジ投資を、ここではブートストラップ投資としています。1964年に最初のLBOを実施した後、次々と買収を成功させた彼らは、やがて報酬を巡って会社側と対立するようになりました。そして1976年、彼らは会社を飛び出し、わずか12万ドルの資金でコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)を創設します。

 コールバーグとともにKKRの共同創設者となったクラビスは、1944年に米オクラホマ州のユダヤ人家庭に生まれました。クレアモント・マッケナ大学で経済学を専攻。その後にコロンビア ビジネス スクールに進学し、1969 年にMBAの学位を取得します。学生時代にゴールドマン・サックス・グループのインターンとして仕事をしていたクラビスは、卒業後にニューヨークでマディソン・ファンドに就職して買収業務を行っていました。クラビスのミドルネームであるロバーツは母親の姓を引き継いだものですが、その母方の従兄弟であるジョージ・ローゼンバーグ・ロバーツが、もう一人のKKRの共同創設者です。

 ロバーツは1943年にテキサス州のユダヤ人の家庭に生まれました。1962年にカルバー陸軍士官学校を卒業した後はクラビスと同じクレアモント・マッケナ大学に通います。1966 年に卒業後、カリフォルニア大学のヘイスティングス・ロー・スクールに入学し、1969 年に卒業しました。学生時代にベアー・スターンズのインターンとして仕事をしていたロバーツは、そのまま同社に入社。ここにクラビスが合流します。二人とも30歳前後という非常に若い年齢でベアー・スターンズのパートナーになるほど、優秀な成績を収めました。

 

◆戦略の相違


 この3人が創設したKKRには初期段階で、米コングロマリット(多業種の集合体)のオーナーであるヒルマン家や、米老舗映画会社であるMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)とワーナー・ブラザース・ディスカバリーの大株主であるグリフィス家のほか、ファースト・シカゴ銀行(合併を繰り返した後、現在はJPモルガン・チェースの一部)を含む少数の投資家グループから資金を調達しました。ちなみにヒルマン家は、前回に取り上げましたブラックストーンから第12回で取り上げたブラックロックを取得した米国大手地銀グループ、PNCファイナンシャル・サービシズ・グループ の前身であるピッツバーグ国立銀行を1959年に設立しています。

 KKRは数多くの企業買収を手掛け、その規模を大きくしていきましたが、コールバーグが1985年に病気療養のために休職。ところが、療養中に共同創設者であるクラビスやロバーツとの間で、買収戦略に対する考え方を巡って隔たりが広がっていることに気づきます。この違いとは、彼らが買収規模の拡大に専念し、敵対的買収をも厭わない姿勢に傾いてきたことであり、コールバーグは違和感を覚えたようです。そして1986年、当時過去最大のLBOといわれた米食品大手ベアトリス・カンパニーズ(現在のベアトリス・フーズ)の買収が決定打となりました。この買収はMBO(Management Buyout、経営陣による自社買収)でしたが、コールバーグは敵対的だったとしてクラビスとロバーツを非難し、1987年にKKRを退職。自分の息子とともに新しいプライベート・エクイティ会社、コールバーグ・アンド・カンパニーを設立します。ここでコールバーグはベアー・スターンズ時代やKKR初期段階に実践していた、中小規模の企業を対象とするブートストラップ投資を再開しました。

 一方、考え方の相違はコールバーグが退職した後に一段と激しさを増し、KKRによるRJRナビスコの買収につながっていきます。RJRナビスコは1985年にR.J.レイノルズ・インダストリーズがナビスコを買収してできた会社でした。前者のR.J.レイノルズ・インダストリーズは、1875年にリチャード・ジョシュア・レイノルズが創設したタバコ製造会社で、現在はスピンオフされてR・J・レイノルズ・タバコ・カンパニーとなっています。一方でオレオ・クッキーが有名な後者のナビスコは、以前の社名をナショナル・ビスケット・カンパニーといい、1792年に創設されたピアソン&サンズベーカリーをルーツとする食品メーカーです。1988年にKKRのクラビスからの提案に基づいて、当時のRJRナビスコの社長兼CEO(最高経営責任者)だったフレデリック・ロス・ジョンソンが、上場していたRJRナビスコにMBOを仕掛けました。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。