デリバティブを奏でる男たち【72】 ジャック・マイヤーのコンベクシティ(後編)

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 今回はジャック・リーダー・マイヤー(Jack Meyer)率いるコンベクシティ・キャピタル・マネジメントを取り上げています。同社は2006年の設立時にスタートアップのヘッジファンドとして過去最大の資金を集めたことで大きく注目されました。マイヤーは63億ドルもの運用資金を集めましたが、これほどの資金が集まった背景には、高い運用成績(トラック・レコード)を誇っていたから、だと考えられます。

 彼は同社の設立以前に、ハーバード大学の寄付金や年金を運用するハーバード・マネジメント社において最高経営責任者(CEO)を務めており、運用資金を48億ドルから15年間で4倍に成長させました。ところが、彼や投資マネージャーに対する報酬額が高過ぎる、との批判が大学側より起こります。そこで優秀な投資マネージャーらとともに同社を飛び出し、自らのヘッジファンドであるコンベクシティを立ち上げました。このコンベクシティがハーバード・マネジメント社の資金を一部運用することで、問題の落としどころになったと考えられます。
 

◆クリムゾン・カブ


 もっとも、このような事例はマイヤーが初めてではありませんでした。1998年には株式担当の上級投資マネージャーとして頭角を現していたジョナソン・S・ジェイコブソンがハーバード・マネジメント社を退職し、ハイフィールズ・キャピタル・マネジメントを設立します。2001年には同じく株式を担当していたロバート・アッチンソンとフィル・グロスが退職して、アデージ・キャピタル・マネジメントを立ち上げました。2004年にはジェフリー・B・ラーソンが14人を引き連れて退職し、ソーウッド・キャピタル・マネジメントを設立しています。彼はハーバード・マネジメント社で13年間、外国株式を担当したトップ・マネージャーでした。ソーウッド創設の際に大学から5億ドルの初期投資を受けています。また、同年には信託担当副社長のデビッド・W・スカダーが他の3人の投資マネージャーと退職し、アリア・アセット・マネジメントを立ち上げました。このように2005年までの7年間で、少なくとも12人の経営トップと数十人のスタッフが同社を離れ、7つのファンドが設立されています。

 第2回で取り上げたジュリアン・ロバートソン(1932-2022)が率いたタイガー・マネジメント出身のヘッジファンド運用者は「タイガー・カブ」と呼ばれ、本コラムでも過去に何人も取り上げてきました。それと同様にハーバード・マネジメント社出身のヘッジファンド運用者を「クリムゾン・カブ」と呼ぶそうです。クリムゾンとは元々はカイガラムシから採取する赤い染料のことを指す言葉でしたが、そこから転じて一般的に赤色を意味する言葉になりました。ただし、明るい赤のレッドと区別し、深く豊かな赤の色合いを指す際に用いられています。この色は米国で幾つかの大学のスクール・カラーにも採用されており、ここではハーバード大学を指す通り言葉として使われています。ちなみに同校の学生新聞の名前は「ザ・ハーバード・クリムゾン」です。

 タイガー・カブには、そこから派生したファンドもあり、それらをタイガー・グランドカブといって、ここでも幾つか紹介しました。もちろん、クリムゾン・グランドカブと呼べるファンドもあるようです。例えばラーソンのソーウッドからは、プライベートエクイティ担当として働いていたスチュアート・ポーターが2007年に32人を引き連れ、デンハム・キャピタル・マネジメントとして独立しました。また、コンベクシティからも新興国債のトップ・マネージャーのエドワード・ヴィトー・デノーブルが2014年に退社し、2015年にはマクロ系ヘッジファンドのフロントライト・キャピタルを立ち上げています。

 

◆栄枯盛衰


 ただ、クリムゾン・カブの運用は上手くいかないケースも散見されました。前述のソーウッドからポーターが独立した背景のひとつとして、2007年にソーウッドが壊滅的なダメージを受けたことが考えられます。ソーウッドはサブプライム住宅ローン問題に端を発する債券市場やクレジット市場の大混乱に巻き込まれてしまいました。そのため、運用資産の評価額が急減し、第8回で取り上げたケネス・コーデレ・グリフィン(通称ケン・グリフィン)率いるシタデルに安く買い取られることになります。その後にソーウッドは閉鎖に追い込まれました。これにより大学側は3.5億ドルもの損失を被ります。2018年にはジェイコブソンのハイフィールズが運用資産120億ドルを顧客に返還し、ファミリー・オフィスに転向すると発表しました。コンベクシティから派生したフロントライトも3年足らずで閉鎖に追い込まれます。運用成績の低迷が原因だったようです。これはコンベクシティも同様でした。

 2006年に注目を集めてスタートしたコンベクシティは、その後も順調に運用資産を増やします。他の一般的なヘッジファンドと異なり、管理手数料2%、成功報酬手数料20%といった2-20の手数料体系を導入しませんでした。その代わりにS&P 500などのクライアントが選択したベンチマークに対する結果に基づいて成功報酬を徴収する手数料体系を導入して好評だったようです。同社の主戦略は、債券のオプション、およびオプション関連市場においてミスプライスを探して裁定を効かせることでした。この戦略は市場が荒れる際に大きく稼ぐことができますが、市場が安定してしまうとミスプライスが生じにくくなるので裁定の機会が減るようです。マイヤーに言わせると、2008年のリーマン・ショック以降、米連邦準備制度理事会(FRB)が実施した量的緩和(QE)政策によって、そのような環境が醸成されたそうです。

 コンベクシティの運用成績は2013年に150億ドル近くまで膨れ上がりましたが、運用成績の低迷はその頃から始まったようです。こうしたタイミングでのデノーブルの独立も、社内での運用方針の食い違いがひとつの要因となったとみられます。2016年にはブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)問題やトランプ米大統領の誕生により、市場が混乱したことから運用成績は多少持ち直しますが、2017年には再び低迷しました。これにより大学側から資金の返還を求められ、2019年にコンベクシティは資金返還を投資家に通知して閉鎖します。

 その後のマイヤーは、健康、教育、就業、コミュニティ、文化芸術の5分野を中心に助成を行うボストン財団の理事、および公益財団法人アジア女子大学支援財団の名誉会長、ボストン・バレエ団の会長を務めているとのことです。コンベクシティが辿った経緯をみると、ひとつのファンドが高い運用成績を、いつまでも出し続けることが如何に至難の業であるかが、改めて確認できます。(敬称略)

 

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。