デリバティブを奏でる男たち【85】 クオンツの老舗、アローストリート(後編)

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 今回は老舗の米系クオンツ・ファンドであるアローストリート・キャピタルを紹介しています。この会社は日本ではあまり知られていませんし、ほとんど報道されることもありません。ただ、2023年6月に三井松島ホールディングス <1518> [東証P]の大量保有報告書でその名が挙がっていました。ほかには、その前月に米マグニフィセント・セブンの一角であるメタ・プラットフォームズ<META>を500万株買い増して保有株数が700万株強になった、と報じられた程度です。

三井松島ホールディングス <1518> 週足


メタ・プラットフォームズ<META> 週足


 しかし、創業は1999年と古く、運用資産総額も2023年3月時点で1710億ドルと、他の米系主力ヘッジファンドにも全く引けを取らない規模です。このファンドはパンアゴラ・アセット・マネジメントの最高経営責任者(CEO)であったブルース・エリック・クラーク(Bruce Eric Clarke)と同社の最高投資責任者(CIO)だったピーター・ラスジェンス(Peter Rathjens)に加え、ハーバード大学教授のジョン・ヤング・キャンベル(John Young Campbell)の3人によって創設されました。


◆現在のCEOは元政府高官


 創設当初はクラークがCEOを務めていましたが、2014年に会長となった後は、アンソニー・ウィリアム・ライアン(Anthony William Ryan)が後任のCEOを務めています。1963年に米国で生まれたライアンは、1985年に米ロチェスター大学を卒業し、1986年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の修士号を取得しました。1987年に米資産運用会社のボストン・カンパニー・アセット・マネジメントで働き始めますが、翌年にはパンアゴラに転籍し、1994年まで国際投資部門のマネージャーとして勤務します。前編でも紹介した通り、クラークは1988年にボストン・カンパニーで働き始め、1994年からパンアゴラに転籍していますので、彼らはほぼ入れ違いになっていたようです。

 ライアンはその後1994年から世界で屈指の米投資運用会社ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズで働き、2000年からは米投資運用会社グランサム・メイヨー・ヴァン・オッタールーのパートナーに就任しました。2006年には財務次官補(金融市場担当)、2008年には財務次官代理(国内金融担当)といった政府高官を歴任しますが、2009年には金融界に戻り、世界最大級の米投資運用会社であるフィデリィティ・インベストメンツの最高総務責任者(CAO、Chief Administrative Officer)を務めます。このような数々の転職を経て、ライアンは2011年にアローストリートに入社しました。

 アローストリートは創業当初、同社株式の30%を米プライベートエクイティ投資会社のラベル・ミニック・パートナーズと、全米最大の年金基金といわれるカリフォルニア州職員退職年金基金(The California Public Employees' Retirement System、通称カルパース)が保有していましたが、2008年には買い戻し、現在は100%従業員所有の会社になっています。また同社は、年金運用を中心とする機関投資家向けに資金管理業務を行っていましたが、2002年からはヘッジファンド事業を始めています。

 

◆アローストリートの投資アプローチ


 同社の基本的な投資戦略は、ロングオンリーとロング・ショート、アルファ・エクステンションが主流であり、スワップや先物などのデリバティブを含む複数の投資ビークルを活用します。アルファ・エクステンションとは、インデックス(指数連動型)運用に少し許容範囲を設けることで、インデックス運用を超える収益(アクティブ・リターン)を狙う戦略です。エンハンスト・アクティブとか、ショート・エクステンションともいわれています。

 代表的な手法として130/30のロング・ショートが挙げられます。これは投資元本100%に対して、130%の買い持ち(ロング)と30%の空売り(ショート)を組み合わせ、100%の買い持ちとリスクを揃えるという手法です。もっとも、この手法ではマーケットのリスク・リターンであるベータを、100%の買い持ちと揃えられるとは限りません。そこでアローストリートでは、これを調整するために先物の売り買いを20%加えられるようにした130/30/20戦略などを用いています。

 また同戦略において、どの銘柄をいつ買い持ちにし、どの銘柄をいつ売り持ちにするのかが、ファンド・マネージャーの腕の見せ所となります。しかし、かようなブラック・ボックス的指向の投資プロセスでは、機関投資家の理解はなかなか得られません。そのため、アローストリートでは、売買のシグナルをバリュエーション、クオリティ、モメンタム(勢い)、カタリスト(きっかけ)、極端なセンチメント、ハイフリークエンシー(高頻度)といった6つのファクターに分けた定量的指向の投資プロセスを用います。もちろん、単にこれら定量的データを使用して投資決定を下そうとするのではなく、事前に投資対象の過去データを使い、これらのアイデアを徹底的にテストし、分析を繰り返すのだそうです。

 ちなみに同社が、マッコーリー・アセットマネジメント(オーストラリア最大の投資銀行であるマッコーリー・グループの資産運用会社)向けに2006年から運用しているファンド、アローストリート・グローバル・エクイティ・ファンドのプレゼン資料では、2万5000銘柄を検討し、その後に投資対象を150〜200の個別企業に絞り込んでいます。また、国やセクターをまたいで各ファクターを分析するため、ファンダメンタルズ投資家が使用するのと同様のトップダウン分析を含めることができる、としています。

 このような投資アプローチを行うアローストリートの中心的な信念の1つは、市場は非効率的であり、それゆえよく考えられた(見落とされがちで株価にゆっくりと反映される洞察も考慮に入れた)投資プロセスを通じることで、優れたリスク調整後リターンを達成できる、というものです。この考えによって提供されるサービスは、高い運用実績も奏功して、多くの機関投資家から受け入れられているようです。そのため、派手な宣伝活動や広報活動を必要としないことから、あまり目立たず、よく知られていない存在になっているのかもしれません。(敬称略)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。