デリバティブを奏でる男たち【90】 マーシャル・ウェイスのマーシャルとウェイス(前編)

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 今回は英国を代表するロング・ショート戦略のヘッジファンド、マーシャル・ウェイス・アセット・マネジメントを取り上げます。前回に取り上げたルイス・ムーア・ベーコン(Louis Moore Bacon)が率いるムーア・キャピタル・マネジメントは、ピーク時に60億ドルの資産を運用していましたが、マーシャル・ウェイスは2024年10月現在、その10倍以上の690億ドルを運用しています。同社は1997年にポール・ロデリック・クルーカス・マーシャル卿(Sir Paul Roderick Clucas Marshall)とイアン・ジェラルド・パトリック・ウェイス(Ian Gerald Patrick Wace)らによって創設されました。

 

◆政治活動に勤しむマーシャル卿

 

 マーシャル卿は1959年に英国ロンドンで生まれました。彼の父親がフィリピン・リファイニング・カンパニー(1993年に社名をユニリーバ・フィリピンに変更)で業務執行役員を務めていたことから、フィリピンや南アフリカなど各地に移住しており、その際に彼は英国の寄宿学校に通っています。大学はオックスフォードのセント・ジョンズ・カレッジに進学し、歴史と現代語を学びました。その後に世界トップクラスのMBA(Master of Business Administration、経営学修士)スクールといわれるフランスのINSEAD(インシアード、Institut Européen d'Administration des Affaires、欧州経営大学院)でMBAを取得します。

 彼はかつて政治家になることを志していました。1985年には、後に英自由民主党の党首となるチャールズ・ピーター・ケネディ(Charles Peter Kennedy、1959–2015)の研究助手として働き、1987年には英社会民主党・自由党連合の公認候補として国会議員に立候補します。しかし、当選できなかったため、金融業界に転向しました。

 彼は英投資銀行だったS.G.ウォーバーグ・アンド・カンパニー(1995年にスイス銀行に買収され、最終的にはUBSグループ<UBS>の一部に)に就職し、同社のファンド運用部門であるマーキュリー・アセット・マネジメント(1987年に同部門が上場する際、ウォーバーグ・インベストメント・マネジメントから社名変更)で働きます。マーキュリーが米投資銀行のメリルリンチ(2008年にバンク・オブ・アメリカ<BAC>が救済合併)に買収される1997年に、マーシャル卿はマーシャル・ウェイスを共同設立しました。その後、マーキュリーは2006年に第12回で取り上げたブラックロック<BLK>が買収しています。

▼ブラックロックのラリー・フィンク(前編)―デリバティブを奏でる男たち【12】―
https://fu.minkabu.jp/column/1145

 もっとも、彼はその間も政治的影響力を求めることを止めていません。英自由民主党の元党首であったニコラス・ウィリアム・ピーター・クレッグ卿(Sir Nicholas William Peter Clegg)やジョン・ヴィンセント・ケーブル(John Vincent Cable)博士など、同党の主要人物が執筆した「オレンジブック: リベラリズムの回復」[2004]の共同編集者として英国政治界では知られた存在です。また、ロンドンの金融界にあって、中道派である自由民主党の数少ない支持者の一人でしたが、同党が英国のEU(欧州連合)残留を支持すると、離脱を望んでいた彼は離れていきました。

 マーシャル卿はEU離脱が決まった2016年に、教育と慈善活動への貢献からナイトの称号を授与されています。彼は現在、英ニュースサイトである「アンハード」や右翼系ニュースメディアである「GBニュース」を所有していることに加え、やはり右寄りである世界最古の週刊誌「スペクテイター」を、2024年9月に1億ポンド(1ポンド=1.34ドルとして1.34億ドル)で買収しました。また、英日刊紙「デイリー・テレグラフ」の買収にも意欲を見せています。そのため、左翼系の英週刊誌「ニュー・ステーツマン」が、彼を2023年に英国で17番目に強力な右派政治家に指定したほか、日本経済新聞社の傘下である英フィナンシャル・タイムズ紙は、彼を「米文化戦争の英国版における熱狂的な戦士」と評しています。彼のメディアに対する貪欲さは、ジャーナリストである彼の母親と姉の影響なのかもしれません。

 

◆たたき上げのウェイス

 

 マーシャル卿とともにマーシャル・ウェイスを創設したウェイスは、1963年にイギリスで生まれました。彼の兄であるチャールズは、世界的なテレビ制作会社トゥーフォー・グループを1988年に創設し、最高経営責任者(CEO)を務めます。2013年に同グループを、中堅企業に投資するプライベート・エクイティ・ハウスのLDC(ロイズ・デベロップメント・キャピタル、ロイズ・バンキング・グループの子会社)に売却した後、CEOを辞任しました。その後は知的財産を中心とするさまざまなビジネスや不動産に投資しています。

 一方、本稿の主人公の一人である弟のイアンは大学を卒業していません。しかし、S.G.ウォーバーグ・アンド・カンパニーに入社した後は25歳で史上最年少の取締役に就任し、欧州株式販売の責任者に任命されます。1993年には自己勘定取引の責任者に、1994年には国際取引の責任者に任命されました。こうした経緯からは彼の高い営業能力と優れたマネジメント能力がうかがわれます。しかし、実力だけでは認められず、学歴が彼の出世を阻んだのかもしれません。1995年には投資銀行ドイツ・モルガン・グレンフェル(1999年にバンカーズ・トラストと合併し、現在はドイツ・アセット・マネジメント)に転職し、株式およびデリバティブ取引の責任者を務めます。しかし、2年後の1997年にはマーシャル・ウェイスを共同設立しました。

 ウェイスには、第88回で取り上げたカーコスワルド・キャピタル・パートナーズの創設者、グレゴリー・ジョン・コフィー(Gregory John Coffey)と似たような趣味があります。英国のほぼ北端に位置するスコットランド・サマーアイル群島、中でも最大の島であるタネラ・モールを2017年に170万ポンドで購入しました。そこは元々バイキングの停泊地として使われ、19世紀後半にはニシン漁で賑わっていたそうです。しかし、現在はほとんど無人の地になっていましたので、ウェイスは「最大60人の有料ゲストを収容できる牧歌的な隠れ家」といったリゾート地にしようとしています。ただ、許可が下りる前に建設を始めたことが問題視され、現在は近隣住民との関係構築を急いでいるようです。

 そんなマーシャル卿とウェイスが創設したマーシャル・ウェイスとは、どのような会社なのでしょうか。

▼オズの魔法使いと呼ばれたカーコスワルドのコフィー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【88】―
https://fu.minkabu.jp/column/2491

(敬称略、後編につづく)

 

 

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。