今回は米名門投資銀行であるゴールドマン・サックス・グループ<GS>出身者で、オメガ・アドバイザーズを創設したレオン・G・クーパーマン(Leon G. Cooperman)を紹介しています。彼は1989年にゴールドマンの資産運用部門であるゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント(GSAM)の会長兼最高経営責任者(CEO)となり、最終的にゴールドマンのゼネラル・パートナーにもなりました。しかし、1991年末に退職してヘッジファンドであるオメガを設立し、会長兼CEO兼最高投資責任者(CIO)になります。バリュー株投資を主要戦略として平均年間収益率12.5%という高い運用成績を誇り、ピーク時には100億ドルを超える運用資産を管理していました。
ところが、1997年のアジア通貨危機、1998年のロシア・デフォルト(債務不履行)、そして1999年のドリームチームLTCM(Long Term Capital Management)の破綻などによる市場の混乱で打撃を受けます。このため、顧客の解約による資金流出や主力ポートフォリオ・マネージャーの退社など、厳しい局面を迎えました。
◆プラハの海賊に騙されるオメガ
追い打ちを掛けるようにオメガは「プラハの海賊」といわれたヴィクトル・コゼニーに1億ドル以上もの資金をだまし取られる被害に遭います。
チェコスロバキア生まれのコゼニーは、1992年に自国で国営企業の民営化プログラムが始まった際、ハーバード投資基金という投資会社を設立しました。社名は彼の母校であるハーバード大学に因んでいますが、ハーバード大学とは何の関係もありません。民営化プログラムはチェコ国民に対して、民営化入札に参加できるバウチャー(特定の目的または特定の商品のみに使用できる金券)を販売する形式で行われました。
彼は同基金にバウチャーを投資すれば1年以内に10倍になると宣言し、最終的に82万人以上の人々からバウチャーを集めます。これを使って同基金は民営化企業50社の株式を保有しました。その後に民営化企業はチェコ株式市場に上場し、この基金は同市場の15%を支配するチェコ最大の投資ファンドになります。しかし、コゼニーは1994年に西インド諸島のバハマに亡命し、翌年には保有株を全て売却して数億ドルを稼いだと推測されています。この売却によってチェコ市場は暴落に見舞われたほか、バウチャーを投資した人には何も戻ってこなかったそうです。
その後に「プラハの海賊」は世界の超富裕層と親睦を深めつつ、世界旅行をしている間に、アゼルバイジャンが「二匹目のどじょう」になるかもしれない、という予感を抱き始めました。当時のアゼルバイジャンでもバウチャーを通じた国営事業の民営化が始まっていたからです。北はロシア、南はイランに挟まれ、カスピ海に面した同国は石油資源の宝庫であり、その中心的な国営企業が石油大手のスカールでした。彼は同国の国家財産委員会のナンバー2から、スカールを民営化するという約束を取り付けます。
彼は同国を「眠れる森の美女」と呼び、「第二のクウェート」に投資すれば100倍の利益になると投資家を説得し始めました。これにオメガは1.26億ドルを投資します。このうち1億ドルは外国人がバウチャーを購入する際のオプション料でしたが、アゼルバイジャン当局が受け取ったオプション料は1300万ドルでした。残りはアゼルバイジャン当局者への賄賂になったほか、コゼニーの懐に入ったようです。ところが、同国の大統領がスカールを民営化しない考えを示したことで思惑は崩れてしまいました。
そもそも1年で10倍になるとか、100倍になるなどといった投資話は、絵に描いたような詐欺の典型と疑うべきですが、これを胡散臭いと思わせないところに、コゼニーの凄さがあるのかもしれません。当初の投資話がひっくり返ってしまったことで、2000年にオメガは損害賠償を求めてコゼニーを訴えます。彼はチェコと米国から国際指名手配され、2005年には米国の身柄引き渡し要求に基づいてバハマ当局に拘留されました。しかし、2007年にバハマ当局が引き渡しを拒否して釈放されています。
◆インサイダー疑惑と引退
その9年後の2016年に米証券監視委員会(SEC)は、オメガおよびクーパーマンをインサイダー取引で告発しました。SECによると、クーパーマンはオメガが投資しているアトラス・パイプライン・パートナーズ(2015年にタルガ・リソーシズ<TRGP>が買収)の幹部から得た重要な内部情報に基づき、2010年に同社のオプション、株式、社債を取引して利益を得たとされます。これに対してクーパーマンは「全く根拠がない」と徹底的に戦う姿勢を示しました。彼は自らの主張と「反対の結論に達した場合、私は店(ファンド)を閉めてお客様にお金をお返しします」と投資家に述べています。
当時、オメガはアトラス株式の9%を保有する主要株主でした。クーパーマンは2010年前半にアトラスへの投資を減らし、同社について「ひどいビジネス」と述べていました。ところが、その直後に同社の幹部から天然ガス処理施設の売却計画を知ったことで、同社のコール・オプション、株式、社債を買った、とSECは主張します。アトラスが処理施設を6.82億ドルで売却することに合意したと発表すると、10ドル前後だった同社株は3割以上も値上がりしました。この取引でオメガは約400万ドルの利益を得たとして、SECは不当利得および利息の返還、罰金、恒久的差し止め命令、ならびにクーパーマンに対し役員と取締役の資格剥奪を求めます。
クーパーマンは最後まで戦うことを誓っていましたが、顧客が耐えられずに投資資金を引き揚げ始めました。彼は「言葉を濁さない」「遠慮しない」「率直な意見を述べる」性格で知られていましたが、さすがに堪えたようです。2017年にSECと和解し、不正行為を認めないまま、民事罰金と利益没収で490万ドルを支払いました。彼は証券業界から締め出されることはありませんでしたが、インサイダー取引に関与していなかったという証明書を2022年まで毎月提出することになります。
クーパーマンは2018年に外部の投資家に資金を返還し、オメガをファミリー・オフィスに転換しました。この決断の理由として、彼は75歳(当時)という年齢に加え、生涯インデックスを追いかけ続けたいわけではない点を挙げています。「店を閉めてお客様にお金をお返し」したわけですから、インサイダー疑惑による運用資金の流出が響いた、とみられますが、その後も彼は政治や経済に対して、言葉を濁さず、遠慮せずに、率直な意見を述べ、健在ぶりをアピールしています。(敬称略)