1995年 ベアリングス(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【4】 

著者:MINKABU PRESS
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◆女王陛下の銀行


 第4回は前回取り上げた「オレンジ郡の破綻」の翌年、1995年2月に起きたベアリングスの経営破綻についてその経緯を追っていきます。200年以上の歴史を誇り、イギリス最古の商業銀行であったベアリングスは、「女王陛下の銀行」と謳われた英国王室御用達の由緒ある金融機関でした。それが、たった1人のトレーダーによる違法なデリバティブ投資の失敗により、最終的に8.69億ポンド(1ポンド=160円として約1390億円)の損失を出し、破産へと追い込まれてしまったのです。

 ベアリングスは企業への融資や手形引き受けといった保守的な商業銀行業務を主力としてきましたが、1980年代に台頭してきた米系金融機関などに対抗するため、英サッチャー政権が1986年に行った通称ビッグ・バンと言われる金融改革の荒波にもまれていきます。ビッグ・バン後、英国の商業銀行の辿る道は他社に買収されるか、総合金融機関を目指すか、あるいはニッチな分野に特化するかの3通りに分かれましたが、ベアリングスは総合金融機関を目指すべく、トレーディング業務を強化させます。このときに他社から日本のワラントに特化したチームを引き抜き、これが後のベアリング証券となります。

ワラントとは、ワラント債(新株予約権付き社債)から分離された新株予約権のことを指すデリバティブで、一定の期間において、事前に定められた価格で定められた数の新株を買い付ける権利のことです。個別株のコールオプションと似たようなもので、値動きの特徴もよく似ています。違いは、買い手が権利行使した際に株券を渡すのは、ワラントの場合は発行企業となりますが、コールオプションの場合は売り手という点にあります。

CBやコールオプションと似て非なるワラント債

またワラント債は、CB(Convertible Bond、転換社債型新株予約権付社債。商法改正前は転換社債と呼ばれていました)と似た社債ですが、権利行使する際にCBの場合、追加資金は必要なく社債が消滅するのに対し、ワラント債の場合は追加資金が必要になりますが社債部分は消滅しないという違いがあります。

ベアリング証券は80年代後半の日本のバブルに乗ってワラントで荒稼ぎし、1989年にはベアリングス全体の収益の半分以上を占めるほどになります。そのベアリング証券の子会社であるベアリング・フューチャーズ・シンガポールが今回の事件の舞台です。
 

◆ローグ(ならず者)トレーダー


 ローグトレーダーとは、未承認の自己売買取引で巨額の損失を出すトレーダーを指す言葉ですが、これはベアリングスを破綻に追い込んだトレーダー、ニック・リーソンの手記『The Rogue Trader(邦題、私がベアリングス銀行をつぶした)』に由来するものです。

ニック・リーソンは前職のモルガン・スタンレーでデリバティブの清算方法を学んでいたため、当初はSIMEX(シンガポール国際金融取引所、Singapore International Monetary Exchange)で行われるデリバティブなどの注文執行と清算業務を行う事務員としてロンドンから派遣されていました。ちなみにSIMEXは1999年にシンガポール証券取引所と合併し、現在はSGX(シンガポール取引所、Singapore Exchange)となっています。

彼は着任後まもなく「88888」というエラー口座を開設します。SIMEXでは昔の日本の取引所のように場立ちが売買する「オープンアウトクライ」を採用していましたので、売り買いの間違い、銘柄の間違い、価格の間違いなどが当然のように発生します。それらを処理するための口座の開設は至って普通のことでした。

ところが彼は、この口座を利用して「注文執行が非常に上手い」との評判を広めることを狙います。つまり、買い注文は指値より安く買えたとし、売り注文は指値より高く売れたと約定を返して、指値と約定の差額はエラー口座の損失にしたのです。そして、この損失を上司には報告せず、監査が入る時には損失を一時的に別の口座に避難させることで切り抜けていました。
 

◆プレイヤー兼審判


やがて、人手不足と「執行が上手い」との評判を背景に、彼は取引所でのフロア・マネージャーを兼務することになります。つまり、金儲けに突っ走るトレーダーのヘッドが、トレーダーが暴走しないように見張る清算事務を兼務するという、とんでもない立場になったのです。

もっとも彼に認められたトレード業務は、大阪証券取引所(現在の大阪取引所)とSIMEXにおける日経225先物のインターマーケット・スプレッド(同一銘柄の異なる市場における価格差)を狙う裁定取引のみだったようです。しかし、彼は裁定取引を装いながらヘッジなしの売買で勝負し、勝てば裁定取引の儲けとし、負ければエラー口座に損失を放り込む、という作業を繰り返していたのです。

やがて日経225オプション取引にも手を出します。彼はプットとコールの両方を売るショート・ストラドルという戦略を行いました。下の図は、①権利行使価格2万円でプレミアム300円のコールと②権利行使価格2万円でプレミアム350円のプットを1枚ずつ売った場合の③損益線です。こうした取引では証拠金が必要になりますが、650円のプレミアムがすぐに手に入ります。

ショートストラドルの損益図

この戦略はセータ(時間価値)の減少やボラティリティ(価格変動率)の低下を狙ったセル・ボラ戦略とも呼ばれるもので、日経平均株価が権利行使日まで大きく動かなければ利益が出るポジションです。しかし彼が狙っていたのは、目先に手に入るプレミアムを使い、膨らんできたエラー口座の損失を、見かけだけでも少なくすることでした。

もちろん、本当に損失が少なくなるかどうかは相場次第です。また、彼は日経平均株価が動くたびにショート・ストラドルを組んでいったようです。それら幾つものショート・ストラドルを組み合わせた損益線の形状から、この戦略をスペアリブ(骨付きばら肉)と呼ぶ市場関係者もいました。

 こうして損失を穴埋めするために、先物やオプションのポジションが次第に増えていったことで取引所に差し入れる証拠金も大きく膨らんでいきます。それを穴埋めするためのロンドンからの送金も大きくなっていったことで、シンガポールの業務を疑問視する向きもありました。しかし、なかなかシッポをつかむことができずに、そうこうしているうちに取り返しのつかない事態が起きることになります。 (後編につづく)

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