1998年 LTCM(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【5】

著者:MINKABU PRESS
ブックマーク

◆通貨危機


 国際金融論に「国際金融のトリレンマ」といわれる命題があります。対外通貨政策を実施する際は「通貨の安定」「自由な資本移動」「金融政策の独立性」という3つの目標を同時に達成することはできず、必ずどれか一つを諦めなければならないというものです。この3つの同時達成を目指した多くの主要な新興国は、1990年代にトリレンマの破綻により「通貨の安定」を捨てることになります。

 ヘッジファンドの売り仕掛けによって、タイを皮切りにアジア各国の通貨が切り下げを余儀なくされるアジア通貨危機が1997年7月に起きました。この背景には、①実質的なドルとの固定相場制度、②短期資本流入の急増と大幅な経常赤字、③脆弱な金融システムなどがあったとされます。

FRBの利上げや高金利政策後に生じた主な通貨危機
出所:リフィニティブ

 90年代後半のドル高などによって、実質的なドルとの固定相場制度を採用していたアジア通貨は割高となり、輸出の減少と輸入の増加などにより経常赤字が増えていきます。各国は膨れる経常赤字を海外からの短期資本で補っていましたが、それは過大な設備投資や株・不動産などでバブルを発生させ、金融機関による安易な融資の拡大を招きます。

これらは米連邦準備制度理事会(FRB)による利上げをきっかけにして “危機”の形をまとって浮上してきます。米利上げにより新興国に流入していた短期資本は、新興国から米国へと向かいます。短期資本で大幅な経常赤字を補っていた新興国は、輸出を増やして輸入を減らす必要に迫られ、通貨の切り下げを余儀なくされたのです。また、短期資本の流出によって株や不動産のバブルが弾けると、脆弱な金融システムは崩壊の瀬戸際まで追い込まれます。これらがヘッジファンドの売り仕掛けによって誘発されました。

1997年7月のタイ・バーツの切り下げの後にフィリピン・ペソが続き、8月にはマレーシア・リンギット、インドネシア・ルピアも固定相場制度を断念、11月には韓国・ウォンが急落に見舞われました。そして、国際通貨基金(IMF)によるインドネシア救済が1998年5月に頓挫し、同国のスハルト政権が崩壊します。
 

◆見落とされていたリスク


 こうした一連の危機により市場のボラティリティ(予想変動率)が上昇する際は、LTCM(Long Term Capital Management)が得意とするコンバージェンス(収斂)・トレードのチャンスでした。彼らがそうしたポジションを積み上げていくのと同時に、彼らの顧客である金融機関も似たようなポジションを積み上げていきます。しかし、危機的な状況が長期化、深刻化すると価格差は収斂するどころか、一層拡大していきました。

 想定されるあらゆるリスクを慎重に潰していったLTCMでしたが、多くの市場参加者が似たような取引をしていた場合、ボラティリティが大きく上昇すると、相関性が薄いはずの様々なコンバージェンス・トレードがことごとく評価損の拡大に見舞われる、というリスクを見落としていたようです。

 こうなると借入金によって膨らませたコンバージェンス・トレードは大きな損失を抱えることとなり、その損失の拡大に耐えられなくなるところも出てきます。1998年7月にLTCMの古巣であったソロモン・ブラザーズの債券アービトラージ部門が閉鎖されました。これによってコンバージェンス・トレードのリスクは世間の知るところとなります。更にロシア財政危機が重なりました。
 

◆深まる痛手


 アジア通貨危機による世界経済の低迷により、ロシアの主力輸出品である天然ガスや原油などの天然資源価格が下落し、既に逼迫していたロシア財政は危機的な状況に追い込まれます。加えて、アジア通貨危機はロシアからの短期資本の流出も招き、ロシアは1998年8月に債務不履行(デフォルト)に陥りました。
90年代後半に原油価格の著しい下落
出所:リフィニティブ

 このときソロス・ファンドなど、マクロ経済的な視点から世界各国のさまざまな金融商品を売買するグローバル・マクロ系のヘッジファンドは多大な損失を被ったと言われています。LTCMはロシア関連の金融商品には手を出していなかったようですが、一連の混乱で生じたボラティリティの上昇によって損失が拡大し、資本の毀損が著しくなりました。

 そこでLTCMは、顧客である金融機関や名立たる資本家を訪ねては、資本の提供や抱えているポジションの買い取りを提案しました。しかし、ロシア財政危機によってボラティリティだけでなく信用リスクも高まっていたことから、積極的にリスクを取ろうとする投資家は影を潜めます。加えて、LTCMが抱えているポジションは他の投資家も抱えており、同様の損失を出していましたので、とても引き受けられるものではありませんでした。

手の内が同じであれば、LTCMへの資本提供がいかにハイリスクであるかもよく分かっています。皮肉なことにLTCMがそうした提案をあちらこちらで行えば行うほど噂は広まり、余裕のあるヘッジファンドや金融機関はLTCMが抱えていると想像されるポジションの反対売買を行い、一層LTCMの損失が拡大していったのです。
 

◆破綻させられない


 LTCMが破綻の可能性を米金融当局に告げたのは、ロシア財政危機が起きた翌月の1998年9月でした。このときの状況を調査した米金融当局は、LTCMが総資産で1250億ドル以上を保有しており、これは次に大きいヘッジファンドの資産のほぼ4倍に相当していた、と後の報告書に記載しています。その額はあまりに大きく、例えば英国債の先物市場でLTCMのポジションが総建玉の半分にも及ぶなど、LTCMは幾つかの金融市場において規模が「鯨」と化していたため、LTCMが破綻すれば、それらの市場が急落に見舞われるだけでなく、全く機能しなくなるリスクさえ懸念されました。

 しかも、LTCMが破綻すれば、その主要取引先に約30億ドル相当の損失が発生する状態にありました。そして、LTCMが抱えているポジションを市場で叩き売るようなことになれば損失は更に膨らみ、似たようなポジションを抱えている投資家も同様の損失を被ることになります。

ここで破綻先が金融機関であれば、米金融当局は資産の差し押さえを実施してポジションの叩き売りを防ぐことができましたが、米金融当局はLTCMの資産を差し押さえられる立場にありませんでした。LTCMの資産は取引先に担保として押さえられており、一カ所でも融資の返済が滞るとクロスデフォルト条項によって、全ての担保は所有権が取引先に移るため、速やかに叩き売られる状態にありました。

 更にアジア通貨危機以降の混乱によって、かねてからリーマン・ブラザーズは破綻の危機にあるとの噂があり、ロシア財政危機後にメリル・リンチは債務超過へと陥り、ゴールドマン・サックスは上場延期を余儀なくされ、LTCMの最大投資家であったUBSは他の失態もあってスイス銀行との合併に追い込まれるなど、米国の金融システムは疲弊している状態にありました。ここでLTCMが破綻すれば、連鎖破綻が起きる可能性も考えられます。つまり、LTCMはとても破綻させるわけにはいかない存在でした。
 

◆コンソーシアム(共同出資団)救済


 そこで米金融当局は通称、暴落防止チーム(Plunge Protection Team)と言われる「金融市場に関する作業部会(Working Group on Financial Markets)」を招集して事態の収拾に着手します。米国の主要投資銀行を中心にLTCMの主要取引金融機関16社を集め、各2億5000万ドルずつ都合40億ドルをLTCMに資本注入するというコンソーシアムを提案します。

 しかし、LTCMとの取引が均等ではないのに、あるいは規模が小さいのに、均等負担を強いられるのは納得がいかないとの声が上がり、なかなか結論が出ません。LTCMの主要注文引受先であるベア・スターンズに至っては一切出資できない、と言い張りました。その真意は定かではありませんが、ベア・スターンズの最高経営責任者が個人的にLTCMへ出資していたため、個人の金融資産を守るために会社の資金をLTCMに資本注入した、との批判が出るのを恐れていたのかもしれません。

 結局、ベア・スターンズを除く主要11の金融機関で各3億ドルずつ、リーマン・ブラザーズとソシエテ・ジェネラル、パリバ銀行の3行合計で3億2500万ドル、都合36億2500万ドルをLTCMに資本注入するという結論にたどり着きました。これによりLTCMのポジションは叩き売りされずに済み、危機的な状況は回避されます。

その後、LTCMは注入された資本のほとんどを1年以内に返済し、わずか5年程度の華々しくも壮絶な歴史の幕を下ろしました。これがドリームチームと謳われた“史上最強のヘッジファンド”が危機の前になすすべもなく転落していった、金融史に刻まれた傷跡なのです。

このコラムの著者

MINKABU PRESS(MINKABU PRESS)

資産形成情報メディア「みんかぶ」や、投資家向け情報メディア「株探」を中心に、マーケット情報や株・FXなどの金融商品の記事の執筆を行う編集部です。 投資に役立つニュースやコラム、投資初心者向けコンテンツなど幅広く提供しています。