プライベート・エクイティの巨人、アポロ・グローバル(前編)ーデリバティブを奏でる男たち【33】ー

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◆高まる日本での存在感


今回はブラックストーン<BX>やKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)<KKR>などと並び称されるプライベート・エクイティ(PE、未上場株式)の巨人、アポロ・グローバル・マネジメント<APO>を取り上げます。2022年7月、運用資産規模5128億ドル(3月末時点)を誇る同社と、日本の三井住友トラスト・ホールディングス <8309> [東証P]が業務提携し、三井住友信託銀行が総額15億ドル(約2000億円)をアポロのオルタナティブ・ファンドに出資すると発表しています。

     アポロ・グローバル・マネジメント 月足

 

アポロ・グローバル・マネジメント<APO> 月足


 また、ESG(環境:Environment、社会:Social、企業統治:Governanceの頭文字)投資の観点から「インパクト投資」を手掛けるファンドへの投資を始めるという農林中央金庫は、第1弾としてアポロが運用する「インパクト・プライベート・エクイティ・ファンド」への投資を決めています。このようにアポロは近年、日本での存在感を高めています。
 
 ちなみに「インパクト投資」とは、経済的な利益を追求しながら、社会的にも環境的にも有益で測定可能な影響を生み出す企業や組織への投資を指します。こうした投資対象は上場していない企業が多いと考えられ、まさにPEの巨人であるアポロが得意とする分野でもあります。

 

◆共同創設者レオン・ブラック


 アポロ・グローバル・マネジメントは1990年、バルジ・ブラケットと称される米投資銀行のひとつ、ドレクセル・バーナム・ランバート(1990年に破綻)のM&A(合併買収)部門に在籍していたレオン・デイビッド・ブラック(通称レオン・ブラック)を中心に、ジョシュ・ハリス、マーク・ローワンらが共同で設立した投資会社です。バルジ・ブラケットとは、本来「突出した層」を意味しますが、投資銀行の業績ランキングであるリーグ・テーブルにおいて常に上位を独占し、世界経済に大きな影響を与える投資銀行のことを指します。

 レオン・ブラックは、ポーランド系のユダヤ人実業家であるエリフ・メナシェ・ブラコヴィッツ(通称イーライ・M・ブラック)の息子として1951年に生まれました。イーライ・M・ブラックはバナナのチキータ・ブランドで有名なユナイテッド・ブランズ・カンパニー(現在のチキータ・ブランズ・インターナショナル)の株式を取得して乗っ取りますが、同社の経営不振や贈賄容疑の捜査などの問題を抱え、1975年にビルから飛び降りて亡くなっています。

 レオン・ブラックは1973年にダートマス大学で哲学と歴史の学士号を、1975年にハーバード大学でMBAを取得しました。卒業後はピート・マーウィック(後のKPMG)で経営コンサルタントとして働き、出版社のボードルームレポートへ転職。その後、金融業界のキャリアを1977年にドレクセル・バーナム・ランバートでスタートします。そこではマネージング・ディレクター、M&Aグループのトップ、コーポレート・ファイナンス部門の共同責任者を務め、遂には「ジャンクボンド(投資不適格債)王」として名を馳せた同社のマイケル・ミルケンの「右腕」と見なされるまでになりました。
 

 

◆アポロの血筋


 しかし、1990年にドレクセルは破綻してしまいます。もともと同社は1935年に設立されたバーナム・アンド・カンパニーが、1838年に設立されたドレクセル・ファイアストーンを吸収合併した後、1976年にランバート・ブリュッセル・ウィッターとも言われたウィリアム・D・ウィッターと合併してできた、いわば寄せ集めの会社でした。

 同社は1980年代にM&A関連事業に参入。当時は業界の慣例から支持されていなかった敵対的買収を積極的に推進します。そして、買収資金を調達しようとする買収業者の債券を引き受け、その流通市場を確立していったのがジャンクボンド王のミルケンでした。一時は敵対的買収に利用される資金の4分の3を同社が提供していた、と言われています。
 

ドレクセルのM&A開業事業のイメージ図


 このように業界の慣例を無視するような企業ですから社内での競争も激しく、攻撃的で法律や規制を軽視する企業文化が醸成されていきます。法律や規制に縛られている金融業界において、それらに抵触するかしないかギリギリまで踏み込んでいった背景には、その領域は競争相手が少なく非常に利益率が高いとみられていたことも影響していたのでしょう。
 
 そして、1986年に発覚したインサイダー取引を皮切りに次々と問題が明るみに出ます。ミルケンもインサイダー取引に関わったとして罪に問われました。彼は司法取引を受け入れた後、証券詐欺で2年近く服役し、証券業界から追放されます。この問題によりドレクセルも破綻に追い込まれ、ジャンクボンド市場も急落に見舞われました。
 

◆アポロの設立


 一方でミルケンの「右腕」と目されたブラックは告発されることなく、当時の上司や部下を引きつれてアポロ・グローバルを設立します。当時のブラックがアポロを買収専門会社にしようと考えていたところ、フランスの銀行クレディ・リヨネ(後のクレディ・アグリコル)から合弁事業の依頼が舞い込みました。この時、ブラックはクレディ・リヨネの高格付けを利用して低利で資金調達しながら、高利回りのジャンクボンドに投資する方が理にかなっていると確信したそうです。

 そこでアポロはクレディ・リヨネから70億ドルの資金を調達。ドレクセルが販売したジャンクボンドの損失によって破産した米カリフォルニア州の生命保険会社エグゼクティブ・ライフから、額面60億ドルの社債ポートフォリオを30億ドルで買い取ります。しかし、その後、クレディ・リヨネは同州の保険会社を買収したとみなされ、幾つかの州法に違反しているとして10億ドル以上の罰金と和解金を支払う羽目に陥るのです。ところが、ジャンクボンド市場の回復とともに、エグゼクティブ・ライフの社債ポートフォリオは、アポロ・グローバルに莫大な利益をもたらすことになります。これを機に同社はディストレス(経営破綻先や不良債権先)投融資を積極化させていきます。

 この投融資は、特に破綻企業、もしくは破綻寸前の企業に対する融資で高い金利を得る一方、借り手企業の支払いが滞ればデット・エクイティ・スワップ(債務の株式化)などにより借り手企業を所有するという非常にシビアなビジネスです。それゆえ、ディストレス投融資をする投資家は「ハゲタカ」などと呼ばれました。(敬称略、後編につづく
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。