バウポストのセス・クラーマン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【34】―

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◆ボストンの賢人


 今回はバークシャー・ハサウェイ<BRK.A>のウォーレン・バフェットや第10回で取り上げたオークツリー・キャピタル・グループのハワード・マークスなどと並び称される代表的なバリュー投資家、バウポスト・グループのセス・クラーマンを取り上げます。米ネブラスカ州オマハに居を構えるバフェットが「オマハの賢人」とたたえられているように、米マサチューセッツ州ボストンに居を構えるクラーマンは「ボストンの賢人」とも言われています。

 彼が率いるバウポストは、最近のヘッジファンド収益ランキングで、それなりに高い収益を叩き出していますが、日本ではまだあまり知られた存在ではありません。それは彼がマスコミに出たがらないためなのかもしれません。ただ、2018年には東芝 <6502> [東証P]から経営破綻した子会社の米原子力発電所メーカー、ウェスチングハウス・エレクトリックの関連債権を同業者とともに買収したことが報じられています。

2018~2021年利益トップ15のヘッジファンド
出所:各種報道(再掲)


 セス・アンドリュー・クラーマン(通称セス・クラーマン)は1957年に米ニューヨーク州で生まれています。ポーランド系ユダヤ人である彼の父親、ハーバート・E・クラーマンはジョンズ・ホプキンス大学の公衆衛生学者でした。セス・クラーマンは幼少の頃から新聞配達やかき氷スタンド、除雪や除草といったサービス事業のほか、週末には切手やコインのコレクションを販売するなど、商才に長けていたようです。

 また、10歳の時に最初の株式投資としてジョンソン・エンド・ジョンソン<JNJ>を1株購入。その理由は、彼が同社の製品であるバンドエイドを多く使用していたからだったそうです。これはつまり、テンバガー(株価が10倍になる銘柄)という言葉を生み出し、全米ナンバーワンのファンドマネージャーと言われたピーター・リンチの投資原則、「自分が知っているものに投資する」「日常生活からヒントを見つける」を既に実践していたと言えるでしょう。
 

◆バウポストの運用依頼


 彼はコーネル大学で経済学を専攻。大学3年の夏に伝統的なバリュー投資ファンドのミューチュアル・シェアーズ・ファンドでインターンシップを経験しました。そこで同社の創業者であるマックス・L・ハイネやマイケル・F・プライスからバリュー投資の薫陶を受けます。ユダヤ人のハイネはナチス・ドイツによるホロコースト(大量虐殺)から逃れてニューヨークに辿り着いた後、バフェットのメンターとなるベンジャミン・グレアムの共著「証券分析」でバリュー投資を学び、1949年に同社を設立しました。1988年にハイネが交通事故で亡くなると同社はプライスに引き継がれ、1998年に米大手資産運用会社であるフランクリン・テンプルトン・インベストメンツ(フランクリン・リソーシズ<BEN>)と合併します。

 クラーマンは1979年にコーネル大学をマグナ・カム・ラウド(成績上位10%の学生に授与される称号)で卒業し、再びミューチュアル・シェアーズで18カ月間働きます。その後、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。成績上位5%に与えられるベイカー奨学生に選ばれました。

 このときの同級生には、後にゼネラル・エレクトリック<GE>のCEO(最高経営責任者)を長年務めたジェフリー・ロバート・イメルト、米CATV大手コムキャスト<CMCSA>傘下のNBCユニバーサルでCEOやバークシャー・ハサウェイ<BRK.A>の役員も務めたスティーブン・B・バーク、タイガーカブ(第2回で取り上げたジュリアン・ロバートソン率いるタイガー・マネジメント出身)であるローン・パイン・キャピタルのスティーブン・フランク・マンデル・ジュニア、そしてJPモルガン・チェース<JPM>の現CEOであるジェームズ・ダイモン(通称ジェイミー・ダイモン)など、そうそうたるメンバーが揃っていました。

 クラーマンは1982年に大学院で不動産コースの講義を担当していた非常勤教授のウィリアム・J・ポルブーから、他の教授らと設立したプロジェクトの資金運用を依頼されます。そのプロジェクトがバウポストでした。ちなみにバウポストとは、プロジェクト設立当初の参加者である経営学コースの講義を担当していたジョーダン・ジェイ・バルーク、国際情報処理連盟(IFIP)の創設者兼初代会長となるアイザック・L・アウアーバッハ、ポルブー、そして起業家経営コースの講義を担当していたハワード・H・スティーブンソンといった4人の頭2文字(Baruch、Auerbach、Poorvu、Stevension)から作られた合成語です。
 

◆クラーマンの運用哲学


 当初の運用資金は2700万ドル、クラーマンの報酬は年間わずか3万5000ドルだったそうですが、それでもクラーマンは「彼らは比較的経験の浅い人(自分)を相手に大きなリスクを取ったものだ」と思ったそうです。そんな彼の投資哲学は徹底したバリュー投資であり、国内外の株式や債券、不動産などを投資対象としました。一般的にバリュー投資と言えば、株式を選好する投資家が多い印象がありますが、彼は株式より債券を好み、過小評価されている不人気な資産を探しました。

 また、彼は過小評価されている投資対象が見つかるまでは動くことはなく、大量の現金を保有し続けることに何ら抵抗はないようです。そのためなのか、彼の机の上には日々のマーケットの価格や情報などを見るために利用される情報端末である「ブルームバーグ」は置かれていません。

 ところが、市場が混乱してバーゲン・ハンティングができるようになると積極的な行動に出ます。特に2008年のリーマン・ショック時には大きく値下がりした株式や債券、あるいはノンバンクの金融債権や住宅ローン担保証券(MBS)、シニア債を含むディストレスト(経営破綻先や不良債権先)企業の債務を、多い日は1億ドルも購入したといわれます。

 シニア債(優先債)とは、債権やローン、あるいは不動産を証券化する資産担保証券(ABS)を束ね、リスクに応じて組成される3種類の新たな証券化商品のうち、信用力が高くリターンが限定的な証券化商品のことを指します。シニア債に対し、信用力は低いがリターンは高い証券化商品をジュニア債(劣後債)といい、それらの中間をメザニン債といいます。

 もちろん、このような「落ちてくるナイフを拾う」投資をして怪我をしない(評価損が出ない)わけではありません。しかし、投資先が破綻した場合でも資金回収ができるようリスクを徹底的に管理しました。そのため、その投資行動は基本的に買いのみのロングオンリーですが、時にはヘッジとしてプット・オプションなどを買うこともあったそうです。

プロテクティブ・プット戦略
※ 手数料・税金は考慮していない
 
 原資産の買い+プット・オプションの買いで「合成コール買い」のポジションを形成することができます。これをプロテクティブ・プット戦略といいます。彼はデリバティブをリスクヘッジの目的で利用していました。また、レバレッジも不動産の2倍を除けば使用しないそうです。こうした彼の投資哲学は大きく実を結び、バウポストの運用資産は2022年3月末現在316億ドルに膨らみました。(敬称略、後編につづく
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。