バウポストのセス・クラーマン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【34】―

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◆リーマン・ショック前後で買いまくる


 バウポスト・グループを率いるセス・アンドリュー・クラーマン(通称セス・クラーマン)は、2008年のリーマン・ショックが起きる2年前からマーケットにトラブルの匂いを嗅ぎつけ、現金比率を50%近くまで高めていたと言います。株価は買われ過ぎと思われたうえ、融資基準が緩和されたことで、国や企業、個人による多額の借入に起因するクレジット市場の過剰は不吉なサインであると考えたのです。

 2007年7月にサブプライム住宅ローンの債務担保証券(CDO)に投資する米名門投資銀行ベア・スターンズ傘下の2つのファンドが破綻。これがきっかけとなってベア・スターンズも破綻し、2008年5月に同業の米名門投資銀行であるJPモルガン・チェース<JPM>が救済合併します。また、2007年8月にはフランスの大手銀行BNPパリバも運用している3本のファンドについて、米サブプライム住宅ローン市場の混乱により価格算出、募集、解約・返金業務の一時停止を余儀なくされる事態に陥るなど、次第に雲行きが怪しくなっていきました。

 クラーマンは2007年頃からマーケットを精査し、少しずつ不良債権を買い始めました。そして、2008年2月に英ヘッジファンドのペロトン・パートナーズが破綻したときに、これはシグナルだと直感したそうです。当時18億ドルを運用していたペロトンは、資産担保証券(ABS)に投資する傘下の2つのファンドを清算する事態となりました。サブプライム住宅ローン問題が大きくなる中で、投資対象の大幅な評価減に見舞われ、金融機関から求められた追加担保差し入れや融資返済の要請に応えられなくなったためです。

 この破綻についてクラーマンは「それはまるで私たちのために鐘が鳴るようなものでした」と回想しています。ペロトンの破綻を機に、新規資金の導入を停止していたバウポストは8年ぶりに導入を再開。ファンド・オブ・ファンズ(複数の投資信託を投資対象とする投資信託)など、運用状況が悪くなると途端に資金を引き揚げてしまうような投資家を避け、アイビーリーグを含む財団や教育機関、あるいは辛抱強い既存の投資家などから約40億ドルもの資金をかき集めました。

 そして、破綻したペロトンが保有する資産を含め、多くの過小評価されている不人気な資産を買い集めます。併せてクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)なども買ってヘッジも行いました。CDSは企業の債務不履行(デフォルト)に伴うリスクの保証(プロテクション)を対象としたデリバティブですが、CDSに関しは以下でも触れていますので、ご参照ください。

▼サバ・キャピタルのボアズ・ワインスタイン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【16】
https://fu.minkabu.jp/column/1218

 これらの資産は買うタイミングが少し早すぎたせいもあり、一時は評価損が10%以上に膨れ上がります。しかし、2009年にマーケットが落ち着きをみせると、25%もの収益につながりました。その後の欧州債務危機では、投げ売りされる不良債権や社債、不動産や証券化商品などを買い集めるため、2011年にロンドン事務所まで開設しています。
 

◆スピンオフ企業に注目


 クラーマンが狙う「過小評価されている投資対象」のポイントのひとつとして、スピンオフ(特定の事業部門を分離して新会社として独立)された企業があります。彼は2008年12月に米バイオ医薬品会社PDLバイオファーマ(2020年末に上場廃止、清算)からスピンオフされたバイオテクノロジー会社、ファセット・バイオテック(2010年に上場廃止)の株式を取得しました。

 当時ファセットは1株当たり17ドルの現預金があったにもかかわらず、9ドル前後で取引されていました。彼は小型株がスピンオフされると、しばしばその企業価値を無視されて株価が安くなる点に注目しました。その後、ファセットは米医薬品メーカーのバイオジェン・アイデック(現在のバイオジェン<BIIB>)から1株14.5ドルで敵対的買収を仕掛けられ、後に買収価格は17.5ドルへと引き上げられます。しかし、買収価格が不十分と拒否されてバイオジェンは撤退。2010年3月に同じく米製薬会社のアボット・ラボラトリーズ<ABT>が1株27ドルで買収しました。
 
 最近でもバウポストは同じ観点から、主に消費者金融サービスを行うシンクロニー・ファイナンシャル<SYF>の株式を取得しました。同社はゼネラル・エレクトリック<GE>から2015年にスピンオフされた会社です。バウポストは2016年から同社株を買い始め、2018年3月末には2930万株、発行済み株数の3.88%も買いました。似たようなタイミングでウォーレン・バフェット率いるバークシャーハサウェイ<BRK.A>も同社株を購入。2017年6月末時点で1746万株を所有します。残念ながら株価が大きく上昇しなかったためか、バウポストは2020年3月末までに、バークシャーも2021年3月末までに同社株を売却していますが、やはりバリュー投資家の二人は着眼点が似てしまうものなのでしょうか。

      シンクロニー・ファイナンシャル<SYF> 月足

シンクロニー・ファイナンシャル<SYF> 月足

◆変わるバリュー投資の考え方


 ただ、バリュー投資について、その考え方や定義は近年変わってきているとクラーマンは考えています。前編でも触れたように、彼が学生の頃に伝統的なバリュー投資ファンドのミューチュアル・シェアーズ・ファンドで、同社の創業者であるマックス・L・ハイネやマイケル・F・プライスから薫陶を受けたバリュー投資は、バフェットのメンターとなるベンジャミン・グレアムの共著「証券分析」がベースとなっていました。

 しかし、当時は安全と考えられていた投資対象、たとえば資産は豊富だが、業績が冴えないといったバリュエーションの安い企業への株式投資は、もはや安全ではないかもしれないとクラーマンは言います。そして、彼はバリュー投資の定義をグロース(成長)投資にも広げ、成長しているとか、割安だとかという着眼点よりも、「現在の価格が元となる価値を大幅に下回っている対象への投資である」と考えているようです。そして彼は、人気が集中している成長株は誤って高い評価になっている可能性が高く、その成長が景気の低迷などで鈍化する時、割高感が著しくなって人気が離散し、極端に評価が下がるといった現象を待っているのです。

 一方で彼は2020年末に、コロナ・ショックにより苦しむ人々を保護する目的で実施された過剰な金融政策や財政政策のせいで「経済が不況にあるのかどうかを評価しようとしても、アスピリンを大量に患者が摂取した後に、熱があるのかを調べようとするのと同じことになってしまう」と政策批判を展開。そして、「ゆっくり加熱されていく湯の中にいるカエルのように、投資家は危険を認識できないように条件付けられつつある」とも強調しました。

 その予言通り、2022年に米国の株価が高値から2割以上も下落する「弱気相場入り」になっても、米国が景気後退に陥らないように米連邦準備制度理事会(FRB)が配慮し、株価が急落するようなことがあれば「金融緩和などで何とかしてくれる」といった幻想を抱く投資家は少なくありません。

 しかし、ほぼ40年ぶりの高水準なインフレに加え、それを一時的と見誤ったことで政策が後手に回ったFRBは、インフレ抑制に向けて「無条件」に取り組むと2022年6月の米金融政策報告書に記しました。2022年7月の米連邦公開市場委員会(FOMC)後の記者会見で、パウエルFRB議長も「インフレ抑制が不可欠」とし、「断固としてインフレを低下させる」とコメントしています。こうした発言からはFRBが景気後退や株価急落の阻止よりも、インフレ抑制を最優先にしていることがうかがわれます。

 となると、ゆでガエルは危険を察知できないまま、ゆで上がっていく可能性が高くなり、再びクラーマン率いるバウポストが活躍する場面が訪れようとしているのでしょうか。価値と評価のギャップを徹底して突く彼の姿勢は、もはやバリュー投資家ではなく、ディストレスト投資家(ハゲタカ)と言っても過言ではないでしょう。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。