◆トレンド・フォローは有効か
今回はデイビッド・ウィントン・ハーディング卿が創設したウィントン・グループを取り上げています。同社はマネージド・フューチャーズ・ファンドを運営する英国の著名なCTA (Commodity Trading Advisor、商品投資顧問)であり、世界中の18を超える先物市場で株式、通貨、債券、商品などのトレンドを追跡しながら収益を上げるマネージド・フューチャーズ戦略の代表的な会社のひとつでしたが、2019年に同戦略に基づいた取引を約4分の1にまで縮小。マクロ経済データを利用して通貨や債券、株式、クレジットなどを取引する戦略に転換しました。
この背景には、運用成績の悪化が挙げられます。ハーディングは、トレンド・フォロー(順張り投資)がそれ自体の成功の犠牲になっている、と考えました。つまり、あまりに多くのファンドが同様の戦略を採用しているため、リターンが圧迫されているというのです。そこで「長期的なトレンド追跡だけでは、ヘッジファンドを運営するのに十分ではない」として、戦略の転換を決断したようです。
ところで、そもそも彼がそれほどまでに魅了されたこの投資スタイルのベースになっているトレンド・フォローは、トレード手法として有効なのでしょうか。ノーベル経済学賞を受賞したユージン・ファーマなどによって提唱された「効率的市場仮説」という学説では、証券の価値に影響を及ぼす材料(カタリスト)が、正しく、かつ速やかに証券価格に織り込まれると考えられています。それゆえに株価の予測は不可能であり、投資家は取るリスクに見合うリターン以上を得ることはできないことになります。当然、トレンド・フォロー型の投資戦略も有効ではありません。
しかし、現実のマーケットにおいては、常に市場が効率的というわけでもなさそうです。新しい材料に対する相場の反応というものは即座に起こりますが、すぐに完全に織り込まれるわけでなく、当初は過小で、ゆっくりと織り込まれることがあります。これは市場参加者が、今まで考えていた相場見通しに捉われてしまい、見通しの修正を十分に行わない傾向があるからです。これをアンカリングといいます。
◆緩やかなトレンドの形成要因
また、ディスポジション効果も影響していると考えられます。これは材料がポジティブ(積極的、つまり買い材料)で上昇相場となった場合、売りポジションを持つ投資家は当初、損失確定を避けるために買い戻しを渋る、という傾向を指します。反対に材料がネガティブ(否定的、つまり売り材料)で下落相場となった場合、買いポジションを持つ投資家は損失確定を避けるために投げ売りを躊躇します。加えて、年金など各金融資産に対する投資ウェートが決まっているような投資主体は、投資ウェートを保つために値上がりする金融資産は売って投資ウェートを落としますし、値下がりする金融資産は買って投資ウェートを上げます。さらに日本の個人投資家のように逆張りスタイルの投資主体も、トレンドに逆らった売買をしますので、材料に対する織り込みがゆっくりと進む要因になります。
やがて材料は完全に織り込まれますが、そこで止まらず、買いが買いを呼ぶ、あるいは売りが売りを呼ぶ、という群集心理(ハーディング)によって過剰に織り込んでしまうこと(オーバー・シューティング)がよくあります。また、一旦トレンドが生じると「しばらくは続く」という「外挿バイアス」も加わります。そして、上昇トレンドによってパフォーマンスが良いとなれば、そうした金融資産にはファンドを通じて投資家の資金が流入しやすくなり、パフォーマンスが悪いとなれば、資金が流出しやすくなります。こうしたファンドの動きは、結果的に後から材料を織り込むことになり、過剰反応につながります。
しかし、いつまでもトレンドが続くわけではなく、どこかでトレンドは終了して過剰反応に対する修正が起きます。この修正も材料に対する適切水準で終わることは少なく、わずかながら過剰反応を示しつつ、やがては適切な水準に落ち着くことになります。こうした一連の流れからマーケットに生じるトレンドは、ゆっくりと形成されてオーバー・シューティングも伴うことが多く、トレンド・フォロー型の投資戦略は有効だと考えられます。
◆「死の10年」からの回復
だからといって、トレンド・フォロー型の投資戦略が万能というわけでもありません。ヘッジファンド・リサーチによると、2011年から2018年のうちの6年は、この戦略のファンドが全体的に損失を出していた、といいます。これはマーケットにヘッジすべきテールリスク(まれにしか発生しないが、発生すると非常に大きな損失を被るリスクのこと)があり、マーケットに強いトレンドが生じるような事態になると、同戦略は儲かる傾向があるからです。しかし、2010年以降はリーマン・ショックのようなテールリスクが少なく、トレンド・フォロワー(順張り投資家)にとって「死の10年」だったと考えられています。
テールリスクに対するヘッジという考え方が好きではないウィントン・グループの創設者であるハーディングは、トレンド・フォロー型の戦略が誤った見通しに基づいてトレードする戦略に対してヘッジになると考えています。というのも、トレンド・フォロー型の投資戦略では、どこのマーケットで、どのタイミングでトレードするかが大事であって、将来どうなるか、などといった見通しを持たない戦略だからです。しかし、これほど長く儲けにくい地合いが続くと、冒頭で示した通りウィントン・グループが戦略転換を決断したのも頷けるところでしょう。
この転換は当初、裏目に出ますが、2021年頃からは奏功し始めました。新型コロナウイルスの感染拡大からサプライチェーン(供給網)のボトルネックが生じたところ、それまで抑圧されていた需要が補助金で温まった懐具合とともにリオープン(経済再開)で一気に拡大。世界的にインフレが起こりましたが、これを一時的と見誤った米連邦準備制度理事会(FRB)は慌てて金融引き締め政策を実施しました。一般的に中央銀行はマーケットの急変を抑える政策を実施しようとしますが、およそ40年ぶりの高インフレを目の当たりにしてインフレ・ファイターの血がよみがえり、景気やマーケットへの配慮を後回しにしていたようです。
そこにロシアのウクライナ侵攻によってインフレが加速するといった事態が起きました。これらから世界中の株式や通貨、債券、商品などといった各金融資産が大きくトレンド転換を始め、マクロ系のヘッジファンドが高い収益を上げます。また、こうした大きなトレンド転換により、トレンド・フォロー型の投資戦略も再び儲かり始めて元気になっています。場合によっては今後、ウィントン・グループの戦略が元に戻ることも十分に考えられるところではないでしょうか。(敬称略)