今回は2023年10月に90歳でその生涯を閉じたブラックストーン・アドバイザリー・パートナーズの副会長、バイロン・リチャード・ウィーン(通称バイロン・ウィーン、1933-2023)を取り上げています。ウィーンが毎年年初に公表するレポート「10サプライズ(マーケットのびっくり10大予想)」は、ウォール街の風物詩になるほど有名でした。しかし、当初は一部の人たち、特に勤務先や家族といった身内からの評判は非常に悪かったようです。
◆身内から反対された「10サプライズ」
このレポートで取り上げられている予測は、「平均的な投資家であれば起こる確率は3分の1程度と考えるものの、彼にとって50%以上の確率で起こり得ると考えられること」という定義に基づいています。他の投資ストラテジストとの差別化を図るため、かように時流に逆らうような予測リストの提示を考案したのですが、彼の勤務先であるモルガン・スタンレーはこのアイデアについて深い懸念を抱いていました。その理由とは、予測が全て外れてしまうと会社に恥をかかせ、ウィーン自身も屈辱を受けることになるだろう、とのこと。さらに言えば、会社側は彼が屈辱を受けることについては気にしませんが、会社が恥をさらすことはまったく望んでいなかったのです。
確かにコンセンサス(まとまった意見)に沿った予測をして外れる分には、問題となることは少ないかもしれません。ところが、コンセンサスとは異なる、あるいは真逆な予測をして外れると、会社側が懸念するような事態が考えられます。しかも、それが弱気な予測となれば、結果が判る前から風当たりは強く、その風は社外よりも社内からの方が厳しいでしょう。調査レポートで投資家を煽り、手数料を稼ぎたいセルサイド(証券会社)において、コンセンサスから外れた予測で投資家を煽るのは難しいものです。また、元より投資家は強気派が圧倒的に多いため、弱気な予測は社内から非常に嫌がられます。
しかし、マーケットというものは天邪鬼で、予測コンセンサスが強まれば強まるほど、コンセンサスとは全く違う方向に動いてしまう傾向もあります。これは投資家のポジションがコンセンサスに沿って高く積み上がっていくからなのでしょう。例えば「今年は景気が回復しそうなので株価が上昇する」という予測コンセンサスが強まると、多くの投資家が我先にと買いのポジションを構築して株高となります。そのため、コンセンサス通り景気が回復しても、その時には既に織り込み済みでさらなる株高にはなりませんし、コンセンサスから外れて景気がそれほど回復しないとなれば、買いポジションの手仕舞いにより株安となる可能性が高まります。まして景気がコンセンサスに反して悪くなってしまえば、買いポジションの投げと売りポジションの構築により株価が大きく下落してしまう、などということはマーケットにおいて日常茶飯事です。
こうした現象も理解した上でウィーンは非難を覚悟しながら「10サプライズ」レポートを出し続けましたが、困ったことに家庭内でも評判が悪かったようです。ウィーンは非難をかわすため、このレポートの作成に懸命に取り組むあまり完全にパニックとなることもしばしばでした。そのタイミングが感謝祭からクリスマスまでの間といった、米国人であれば誰もが年末の買い出しやホームパーティーの準備など、家族と共に過ごしながら年の瀬を感じる時期でした。そのため、家人からはできるだけ早くレポートはやめて欲しい、といわれていたそうです。
この「10サプライズ」の成績は概ね5~6割程度と自ら評価していますが、他の投資ストラテジストとの差別化に奏功します。ウィーンは米国投資ストラテジストとして不動の地位を確保しました。1995年には「イングランド銀行を負かした男」として知られる著名投資家ジョージ・ソロスとともに、伝説的な投資家の人生と哲学について「Soros on Soros: Staying Ahead of the Curve」(邦訳「ジョージ・ソロス」七賢出版)も出版しています。
◆転籍先の閉鎖と20の教訓
ウィーンは2001年、68歳のときに「10サプライズ」の発表を続けながら、当時150億ドルの運用資産を誇った世界最大級のヘッジファンド、ピーコット・キャピタル・マネジメントに加わります。ピーコットは、アーサー・ジェイ・サンバーグ(1941-2020)がゴールドマン・サックスでテクノロジーのアナリストをしていたダニエル・C・ベントンとともに1998年に設立した会社でした。サンバーグは元々ロッキード・ミサイル・アンド・スペース・カンパニーで衛星制御システムのエンジニアとして勤務していましたが、自らの才能に限界を感じて活躍の場を金融界に転じます。ピーコット設立前の1970年から1985年まで、ワイス・ペック・アンド・グリア・インベストメンツで専門職として働いていました。そのときからウィーンとつながりがあったのでしょう。
ただ、ウィーンが加わった2001年は、ピーコットにとって大変動の年でした。サンバーグとベントンはピーコットの運用資産を半分に分け、サンバーグがピーコットを継承。ベントンは一緒に働いていたクリストファー・ジェームスとともに独立して、アンドール・キャピタル・マネジメントを設立します(運用成績の悪化により2008年に閉鎖)。また、同じタイミングでピーコットにマイクロソフトの元社員が入社しました。そして、この年にピーコットはマイクロソフトの株式を買います。これがインサイダー取引疑惑を招き、米証券監視委員会(SEC)の調査対象となってしまいました。調査は2006年末に一旦終了しますが、2008年12月下旬に再開。2010年にサンバーグは疑惑の真偽を明らかにしないまま、和解金2800万ドルを支払って調査終了となりました。しかし、サンバーグは2009年に「会社にとっても私にとっても状況はますます耐えられなくなってきたため、ピーコットはもはや事業を継続できないと結論づけた」と声明を発表し、ピーコットを閉鎖してしまいます。
その後、ウィーンは第60回で取り上げたスティーブン・アレン・シュワルツマン率いるブラックストーン・グループに入社し、子会社であるブラックストーン・アドバイザリー・パートナーズの副会長に就任します。そこでは同社とその顧客の両方に対する上級顧問として経済、社会、政治の動向を分析、金融市場の方向性や投資・戦略的決定の指針になるアドバイスを行いました。ブラックストーンにつきましては以下をご参照ください。
▼デリバティブを奏でる男たち【60】 シュワルツマンのブラックストーン(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2022
もちろん、「10サプライズ」も発表し続けます。このレポートは毎年夏にコンセンサスを探り、秋には新聞や雑誌、調査レポートなどからアイデアを練り上げ、クリスマスのぎりぎりまで微調整するといったハードワークを伴います。さすがに85歳にもなるとサポートが必要になり、2018年からはブラックストーンのプライベート・ウェルス・ソリューション事業部門でチーフ投資ストラテジストのジョセフ・ザイドルらがレポート作成に参加しました。
ウィーンは「10サプライズ」があまりにも有名でしたので、その他の活動については日本であまり紹介されていないようですが、彼は80歳のときに「最初の80年で学んだ20の人生教訓」なるものも発表しています。ここで彼は、大きなアイデアを見つけることに集中し、会う人全員を友達として扱い、これまでにやったことのないことを毎年実行しましょう、と後輩たちにエールを送っています。そして、読書を欠かさず、睡眠を十分にとって、広範囲に旅行せよ、など自らが苦労して得た多くの知恵と教訓を授けてくれました。そのような彼の生前の功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。(敬称略)