デリバティブを奏でる男たち【70】 ジェイン・グローバルのボビー・ジェイン(後編)

ブックマーク

 今回は2024年にマルチ・ストラテジーのヘッジファンド、ジェイン・グローバルを新しく立ち上げようとしているロバート・ジェイン(Robert Jain:通称ボビー・ジェイン)を取り上げています。

 彼は20年間、クレディ・スイス(2023年にUBSグループが救済合併)にて要職を歴任した後、イスラエル・アレクサンダー・イングランダー(通称イジー・イングランダー)が率いるミレニアム・マネジメントに移籍しました。そこで6年間、共同最高投資責任者(CIO)を務めていましたが、2022年に退職しています。
 

◆君臨し続ける創設者


 ミレニアムの創設者であり、会長兼最高経営責任者(CEO)であるイングランダーの後継者の一人としてジェインの名前も挙がっていたようですが、彼が退職した理由は定かではありません。ただ、イングランダーが引退するつもりはないと公言している点が大きく影響している可能性があります。イングランダーは日本でいえば後期高齢者にあたりますので、後継者問題が取り沙汰されたり、その対象となる重要人物に保有自社株を分配するといったことが行われても不思議はありません。しかし、彼は依然として自社株を100%保有しており、自分の替わりを誰かがする、ということに対して不快感を抱いているようです。

 とはいえ、ミレニアムは300を超える投資チームを擁する巨大な組織になりましたので、一人で監督できるほど小規模ではないこともイングランダーは認めています。そこでリーダーシップを共有する企業への移行を強調しています。特にイングランダーは「委員会」という概念を気に入っており、そうした組織に慣れていて上下関係をきっちりと重んじる名門投資銀行のゴールドマン・サックス出身者を好んで採用する傾向が強い、とみられています。このため、彼はミレニアムをゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントに変えてしまった、などと揶揄する向きもありました。このようなトップが君臨する組織に、野心のある人間は長くは居られないのでしょう。

 

◆繁栄の時代


 近年、マルチ・ストラテジーのヘッジファンドは高い収益を上げています。前回は主要なマルチ・ストラテジーのヘッジファンドとしてミレニアムのほかに、第8回で取り上げたケネス・コーデレ・グリフィン(通称ケン・グリフィン)が率いるシタデルや、第7回で取り上げたスティーブン・A・コーエン率いるポイント72アセットなどに触れました。この3社はいずれも、ファンド・オブ・ファンズのLCHインベストメント(エドモンド・ドゥ・ロスチャイルド・グループが運営)が毎年公表している主要ヘッジファンド利益ランキングで上位に食い込んでいます。



 稼ぎが良くなれば、投資家から資金が集まってくるものですが、彼らは投資家に資金を返還しています。これはファンドが大きくなり過ぎると、特定の資産クラスで収益性の高い投資ができなくなることを防ぐためです。また、ミレニアムはマーケットの急変による急激な資金逃避を避けるため、投資資金を全て引き出すのに1年の時間を要する仕組みを導入していましたが、これを5年に延長しました。

 加えて、パススルー・モデルという新たな手数料体系も導入しています。従来のヘッジファンドの手数料体系は、投資資金に対して管理手数料2%、成功報酬手数料20%を基本としています(近年はもう少し低くなっているようです)。しかし、運用成績が良いマルチ・ストラテジーのヘッジファンドは、ファンド・マネージャーや運用チームへの報酬のほか、バックオフィスやリスク管理など、全てのコストを投資家に転嫁するようになりました。これがパススルー・モデルです。こうした体系で発生する管理手数料は、投資資金の3~10%の範囲のようですが、状況によって変化します。しかし、それ以上に高い収益が得られるならば、投資家としては何の問題もありません。

 こうした手数料体系を導入するヘッジファンドは、高い実績を誇るファンド・マネージャーや運用チームに対して高い契約金を提示することが可能であり、彼らを引き入れて更に高い収益を上げることができるようになりました。やがて金融界ではスタープレイヤーの争奪戦が繰り広げられることになります。

 この環境でジェインは、新たなマルチ・ストラテジーのヘッジファンドを新しく立ち上げようとしているのです。彼の経歴から投資ウェイトが比較的株式に傾いたマルチ・ストラテジーとなることが予想されています。そして、ファンダメンタルズ分析に基づいた株式のポートフォリオ・マネージャー15~20人を含む約70の投資チームを雇用する予定とされています。他のヘッジファンドや名門投資銀行などから着々と人材をかき集めて準備していますが、イングランダーに遠慮してか、ミレニアムからの引き抜きは少ないようです。もっとも、これほどの規模となると、運用資金はスタートアップのヘッジファンドとしては過去最高の100億ドルが集まるのではないか、といった予想もありました。

 

◆桐一葉


 ただ、パススルー・モデルは高い運用成績に裏付けられた手数料体系なので、見合う収益が得られないのであれば、投資資金は離散していきます。昨今では米国債に代表されるリスクフリー金利も高くなっており、投資家が求める運用成績のハードルも上がってきました。当然、投資先のファンド・マネージャーや運用チームに求められる運用成績も高くなり、それに応えられなければ契約は打ち切りになる可能性もあります。

 となると、レバレッジを効かせて無理をするようになるでしょう。加えて、高い収益が得られる金融商品や投資戦略が話題になれば、そこに投資資金が集中することになります。これをクラウディッド・トレードといいますが、この状態で何かをきっかけに相場が大きく変動すれば、レバレッジ・ポジションの急激な巻き戻しや集中した資金の逃避などから、更にボラティリティ(予想変動率)を高めることになるでしょう。

 これが実際に2023年3月の米国債市場で起きました。インフレによる利上げや銀行破綻などによってマーケットが大きく揺れ動いてしまったのです。このときにボラティリティを高めたのが、ヘッジファンドによるレバレッジを効かせたベーシス取引(現物と先物の裁定取引)の急激なポジション解消とみられています。そのため、米証券取引監視委員会(SEC)は、ヘッジファンドが金融安定にもたらす潜在的なリスクについて、より監視を強化するための規制を設けるようになりました。

 このような規制によって運用成績が低迷していくのか、あるいはマーケットの急変で短期間に莫大な損失を被るのか、熾烈な引き抜き合戦の結果が、巡り巡って「過ぎたるは及ばざるがごとし」といったことにならないように祈ります。ジェインによる新たなファンド、ジェイン・グローバルがどのようなスタートになるのか、現時点ではわかりません。ただ、同社を取り巻く事業環境や投資環境が大きく変化するのであれば、それはピンチにもチャンスにもなることでしょう。(敬称略)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。