デリバティブを奏でる男たち【70】 ジェイン・グローバルのボビー・ジェイン(前編)

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 2023年の重大ニュースとして、米大リーグの大谷翔平選手の活躍を挙げる向きは多いと思われます。特に、所属チーム移籍の際の契約金が10年間で総額7億ドルに上ったことは大きな話題になりました。契約金の97%は契約終了後の支払いであり、契約中の年俸は200万ドルとのことですが、それでも高額な契約金といえるでしょう。

 このようにスタープレーヤーに対する契約金が高額となるのは、スポーツ業界に限った話ではありません。金融業界も同様です。近年はマルチ・ストラテジーを展開するヘッジファンド同士で、スター・ファンドマネージャーの争奪戦が繰り広げられており、移籍の際の契約金が跳ね上がっているようです。1000万~1500万ドルは珍しくなく、なかには数千万ドルや1億ドルを超えるケースも出てきました。
 

◆プラットフォーマー


 マルチ・ストラテジーは、顧客から集めた資金をさまざまな投資戦略で運用するヘッジファンドの戦略スタイルを指します。しかし、そこから更に進化して最近は、さまざまな投資戦略のファンド・マネージャーや運用チームに対して、バックオフィスやリスク管理から資金提供まで、資金運用以外の全てを処理するプラットフォームといった様相を呈するファンドも出てきました。後述するプライム・ブローカーらの推計によれば、そうしたヘッジファンドは世界に40社程度しかないものの、運用資産総額は約3000億ドルにもなるそうです。ヘッジファンド業界全体では、およそ4兆ドルとみられていますので、この金額は全体の約8%に相当します。

 プライム・ブローカーとは、大口投資家に対して手数料を見返りに、レバレッジ用の資金提供や空売り用証券の調達、資産や簡単なリスクの管理、取引の決済や運用資産の調達支援といった様々なサポートを行う投資銀行などの金融機関を指します。プライム・ブローカーにとってマルチ・ストラテジーのヘッジファンドは、顧客であると同時に、ある分野においては競合する商売敵といえるかもしれません。

 

◆ジェインの経歴


 このような環境の中で、マルチ・ストラテジーのヘッジファンドを新しく立ち上げようとしているのが、今回取り上げるロバート・ジェイン(Robert Jain:通称ボビー・ジェイン)です。1971年生まれとされるジェインは、インド系移民の子供としてニューヨーク市のクィーンズ区で育ちました。地元の名門校であるハンターカレッジ高校を卒業した後はコーネル大学で政治学を専攻し、大学時代はキャンパス内の広告代理店を運営していました。卒業後はシカゴのオプション先物取引会社オコナー&アソシエイツでオプション・トレーダーとして金融キャリアをスタートさせています。オコナーは1977年にジョン・F・オコナーと彼の義理の兄弟であるロバート・J・クリーマーによって設立され、1992年にスイス・バンク・コーポレーション(SBC)に買収されました。当時のオコナーは全米で最大のオプション値付け業者(マーケット・メーカー)だった、といわれています。1998年にSBCはスイスのユニオン銀行と合併してUBSになりました。

 一方、ジェインは1996年にクレディ・スイス(2023年にUBSが救済合併)に、南北アメリカのインデックス裁定取引責任者として転職します。その後に彼は、銀行の資産管理部門のグローバルヘッド、証券部門の共同ヘッド、株式と債券の両方で自己売買のグローバルヘッドなど、さまざまな役職を20年間にわたり歴任しました。しかし、2016年にシニアマネジメントチームのメンバーとしてミレニアム・マネジメントに移籍します。イスラエル・アレクサンダー・イングランダー(通称イジー・イングランダー)が率いるミレニアムにつきましては、第25回で取り上げておりますので、ご参照ください。

▼ミレニアムのイジー・イングランダー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【25】―
https://fu.minkabu.jp/column/1402

 

◆転籍先のミレニアム


 数少ないマルチ・ストラテジーを展開するヘッジファンドの中で、先駆者ならびに二大巨頭といえば、第8回で取り上げたケネス・コーデレ・グリフィン(通称ケン・グリフィン)が率いるシタデルと、このミレニアムが挙げられます。その後を第7回で取り上げたスティーブン・A・コーエン率いるポイント72アセットや第58回で取り上げたドミトリー・バリアズニー率いるバリアズニー・アセット・マネジメント、第63回で取り上げたスティーブン・ショーンフェルド率いるショーンフェルド・ストラテジック・アドバイザーズなどが追いかけているといった状況でしょうか。

▼シタデルのケン・グリフィン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【8】
https://fu.minkabu.jp/column/1074

▼ポイント72アセットのスティーブン・A・コーエン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【7】
https://fu.minkabu.jp/column/1059

▼デリバティブを奏でる男たち【58】 バリアズニー・アセットのドミトリー・バリアズニー(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/1993

▼デリバティブを奏でる男たち【63】 マルチマネージャー・プラットフォームのショーンフェルド(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2069

 ミレニアムに移籍したジェインは、コモディティ部門の責任者ジョン・アンダーソン、株式部門の責任者ヒョン・リー、債券部門の責任者マイケル・ゲルバンドとともに共同最高投資責任者(CIO)となり、リスク管理、戦略、資本配分を含む投資プロセスを担当しました。

 これらCIOのなかで、アンダーソンは執筆時点でミレニアムの債券・コモディティ担当シニアアドバイザーになっています。彼は2015年にミレニアムに入社する以前は、名門投資銀行のJPモルガン・チェースで24年間勤務しており、同社では最終的にグローバル・コモディティ事業の共同責任者をしていました。リーとゲルバンドはミレニアムを辞めて独立し、2017年にエクソダスポイント・キャピタル・マネジメントを創設しています。そして、ジェインも2022年に8年間働いたミレミアムを退社することになりました。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。