デリバティブを奏でる男たち【74】 インタラクティブ・ブローカーズのピーターフィー(後編)

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 今回はティンバー・ヒル・グループ(現在のインタラクティブ・ブローカーズ・グループ)、及びその創設者であるトーマス・ピーターフィー(Thomas Peterffy)を取り上げています。ソビエト連邦占領下のハンガリーで生まれた彼は、英語も話せないまま米国に移住しました。コンピュータのプログラム方法を覚え、商品取引会社でオプションの適正価格計算モデルを開発します。

 1977年にアメリカ証券取引所(AMEX:アメックス、2008年にニューヨーク証券取引所ユーロネクストに買収され、現在はインターコンチネンタル・エクスチェンジの傘下)の座席(シート)を買い、マーケット・メイカーとして独立しました。その後、オプションの適正価格表などを表示する携帯端末の導入や取引の自動化など、デジタル化による業務改善で電子取引所の隆盛を加速させ、後に電子取引のパイオニアと呼ばれるようになります。現代風にいえば証券取引のDX(デジタルトランスフォーメーション)化を推進し、これをグローバル展開して業務拡大を図りますが、やがて競争が激しくなっていきました。
 

◆祖業を売却


 2017年には投資銀行であるUBSグループやクレディ・スイス・グループ、JPモルガン・チェースが当局による規制強化などを受けて一部のデリバティブ市場から撤退したことを受け、ピーターフィーも祖業であるオプションのマーケット・メイク業務からの撤退を表明します。そして、第23回で取り上げたAI(人工知能)を駆使する第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマに同部門を売却することにしました。ツーシグマは2009年に証券会社ツーシグマ・セキュリティーズを設立し、マーケット・メイク業務や米国株のブローカー・ディーラー業務などを始めています。ツーシグマにつきましては、以下をご参照ください。

▼第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【23】―
https://fu.minkabu.jp/column/1351

 ピーターフィーのように祖業を売り払ってしまうのは、経営者としては気の進まない事業再編です。ましてや創業者として自らが苦労の末に軌道に乗せた事業であれば、なお更のことでしょう。しかし、経営者として稼ぎにくくなった部門は祖業であっても売れるうちに売ってしまう、といった潔い姿勢は投資家に高く評価され、株価は1年後に約2倍に値上がりしました。株主となったアクティビスト(物言う投資家)から、稼げなくなった祖業の売却を迫られても、何だかんだと言い逃れてしがみつく日本の冴えない経営者とは大違いです。

インタラクティブ・ブローカーズ・グループ 週足

 

◆投資家としてのピーターフィー


 このように経営者として優れた資質を示したピーターフィーですが、空売り投資家としても秀でているようです。彼は1990年代後半に同業者のナイト・トレーディング・グループを見学する機会に恵まれました。そこで半日を過ごした結果、本当にひどいことをやっている会社だと確信し、同社株を大量に空売りします。150ドル前後だった株価は、3カ月後には20ドルほどまで値下がりし、およそ3000万ドルの利益を得たそうです。その後、ナイトは2012年にプログラム・ミスから発注が止まらなくなるという大失態を起こしました。これにより1日にして4.4億ドルもの損失を抱えて事実上、破綻に追い込まれます。2013年にグローバル・エレクトロニック・トレーディング・カンパニー(GETCO)に買収され、KCGホールディングスとなりました。更に2017年にはKCGは米マーケット・メイカーであるバーチュ・ファイナンシャルに買収されます。

 ピーターフィーに言わせると、空売りすべき時を見極めるのは常に簡単らしく、株価が高いと思ったらなぜ高いのかを自問すると、調べても高い理由が大してないことに気づくそうです。一方で、買いから入る場合は分析を重ねるなど多くの準備が必要なので、買う銘柄を探すより、売る銘柄を探す方が見つけやすいといいます。

 とはいえ、大失敗も経験しました。それは1970年代後半のことでした。米化学メーカーであるデュポン・ド・ヌムール(通称デュポン)株式の、期日まで数日しかないコール・オプションが300枚売りに出ていたので、1枚18ドルで全て買い占めます。引け際に同じ銘柄を500枚買いたいというので1枚31ドルで500枚売りました。この取引で3900ドル{=(31ドル-18ドル)×300枚}の利益と200枚の空売りポジションが残ります。引け後にデュポンは素晴らしい業績とともに1株→3株の株式分割を発表しました。翌日に空売りポジションは踏み上げられ、1株450ドルで買い戻しを余儀なくされます。結局この取引で差し引きおよそ8万ドルの損失に見舞われ、ピーターフィーは過去10年間で積み上げてきた利益の約半分を吹き飛ばしてしまいました。

 この経験からピーターフィーは「安いオプションは絶対に売らない」という教訓を得たそうです。第73回の後編で「ボラティリティ・ショート戦略は〔略〕相当に危険な取引といえる」としましたが、それは個別株オプションの売りでも同じなのでしょう。

 そんなピーターフィーは、2019年に最高経営責任者(CEO)の席をミラン・ガリクに譲り、自分は取締役会長に退きました。ハンガリーのブダペスト工科大学で電気工学の修士号を取得したガリクは、1990年にソフトウェア開発者としてピーターフィーにスカウトされています。その後にドイツ事業の立ち上げを支援しました。2014年には執行役社長に任命されています。

 会長となったピーターフィーは、今後、資本の価値を保てる投資対象国はどこなのか、に注目しているそうです。私有財産が認められない共産主義国で育った彼は、米国がそうなってしまうリスクがゼロではない、と感じているようです。そのために資本主義が生き残る可能性がある国として、ニュージーランドやオーストラリア、カナダ、英国、南米、そしてサウジアラビアやアラブ首長国連邦のような場所にも目を向けている、といいます。米国が共産主義国になる、などといったことは現時点では考えにくいことですが、こうしたテールリスク(ほぼ起こり得ないが、起こると非常に大きな損失を被るリスク)を回避する視点は、それなりに財産を保有する投資家であれば必要とされる資質であるのかもしれません。(敬称略)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。