デリバティブを奏でる男たち【81】 ヘッジファンドのパイオニア、ジョージ・ワイス(前編)

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 前回は香港に本社を置くヘッジファンド運用会社、セガンティ・キャピタル・マネジメントを創設したサイモン・サドラーを取り上げました。マルチストラテジー戦略を展開するセガンティは、運用していたヘッジファンドを2024年5月末で閉鎖しています。

 今回は同じくマルチストラテジー戦略を展開し、2024年3月に46年の歴史に幕を閉じたヘッジファンドのワイス・マルチストラテジー・アドバイザーズを紹介します。2023年12月末時点で23億ドルを運用していた同社の創設者、ジョージ・アレン・ワイス(George Allen Weiss)は閉鎖にあたって「いかなる旅にも紆余曲折があり、様々な要因や事情を熟慮した結果、この旅を終えるという難しい決断に至った」と説明し、資金の返却を投資家に伝えました。
 

◆苦労人のワイス

 

 ワイスは1943年に米オハイオ州で生まれています。両親はともにウィーン出身のユダヤ人でした。ナチスによる迫害を逃れて米国に移住し、彼が生まれて間もなくマサチューセッツ州ボストンに引っ越します。家庭は貧しく、彼は11歳になるとレストランで毎日休みなく働くようになりました。当時を振り返り、彼は「友人たちと同じように気楽に育ったわけではありませんでした」と述べています。

 ある日、レストランの顧客であったボストン大学の教授から、「大きくなったら何をしたいか?」と尋ねられました。ワイスがビジネスを始めたいと答えると、最高のビジネススクールはペンシルベニア大学のウォートンである、とアドバイスを受けます。そのアドバイスに従ってペンシルベニア大学ウォートン・スクール・オブ・ファイナンスに入学しました。子供の頃から働いていたので多少の蓄えはありましたが、それでも学費の半分はローンを組まねばなりませんでした。彼は学部長からハーバード・スクール・オブ・ビジネスに推薦された5人のうちの1人に選ばれるほど優秀でしたが、学資ローンの返済に加えて家族も養わねばならなかったため、進学をあきらめて働くことを選びます。

 ワイスは1966年に米投資銀行のホーンブロワー・ウィークス・ヘンフィル・ノイエスに就職し、金融界でのキャリアをスタートさせました。同社は1963年にホーンブロワー&ウィークスとヘンフィル・アンド・ノイエスが合併してできた会社です。ヘンフィル・アンド・ノイエスには「トレンド・フォローの父」と称されたリチャード・ダウド・ドンチアン(1905-1993)が一時、証券アナリストとして働いていました。もっとも、ワイスが入社する頃には大手証券会社ヘイデン・ストーン(1970年にコーガン、ベルリン、ワイル&レビットと合併。その後も合併と分割を繰り返し、最終的にリーマン・ブラザーズとなります)に転職していますので、ワイスはドンチアンと一緒に働いていたわけではないようです。ちなみに、ホーンブロワーも合併と分割を繰り返し、最終的にリーマン・ブラザーズとなりました。ドンチアンに関しては以下をご参照ください。

▼システム・トレーディングの先駆者エド・セィコータ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【50】―
https://fu.minkabu.jp/column/1866

 

◆保険会社に特化

 

 ワイスは1971年に米大手投資銀行だったバッチ・ホルジー・スチュアート・シールズ(1981年にプルデンシャル・ファイナンシャルに買収され、2011年に現在のジェフリーズ・ファイナンシャル・グループ<JEF>に買収されます)に転職し、地元の保険会社6社の資金運用を担当しました。このときにワイスは、価格下落リスクを抑えるなど、資本の保全に重点を置き、公益事業株に焦点を当てたマーケット・ニュートラル戦略を用いています。

 ワイスは1977年に、米ウォールストリートの調査機関フォークナー・ドーキンス・アンド・サリバンに転籍しますが、8カ月後に米投資銀行のシェアーソン・ローブ・ローデス(後に合併と分割を繰り返し、最終的にリーマン・ブラザーズとなります)に移りました。そして、1978年、ヘッジファンド運用会社ジョージ・ワイス・アソシエイツを設立して独立を果たします。当時はヘッジファンドを手掛ける運用会社が少なく、ワイスはヘッジファンドのパイオニアともいわれています。現在の社名であるワイス・マルチストラテジー・アドバイザーズに変更したのは2012年のことでした。

 彼は以前の経験を活かし、顧客を保険会社に特化した運用を行います。保険会社、特に生命保険会社は、その業務が社会性、公共性を有していることから、保険契約者の利益保護が強く求められます。そのため、保険の掛け金として集めた資金の運用に際しては、運用方法や一定の運用対象にかかる限度額、大口の信用供与など、さまざまな細かい規制が課せられています。ワイスはそれらに配慮した運用スタイルの提供を心掛けました。例えば、上で触れた公益事業株に焦点を当てたマーケット・ニュートラル戦略のほか、リキッド・オルタナティブなども提供します。

 

◆リキッド・オルタナティブ

 

 リキッド・オルタナティブとは、投資家保護や利便性向上を目的とする金融当局の厳格なルールに従って組成・運用されるファンドを指しており、代表的なところでは米国の1940年投資会社法に準拠するオルタナティブ40ActファンドやEU(欧州連合)のUCITS(Undertakings for Collective Investment in Transferable Securities、譲渡可能証券への集合投資事業)に関する指令に準拠するオルタナティブUCITSファンドなどが挙げられます。

 これらのファンドは他のヘッジファンドと比べ、流動性や成功報酬、透明性の面が異なっています。例えばヘッジファンドは解約が月に一度、四半期に一度しか行えないとか、一定期間は解約できないといった制限が設けられていることがほとんどです。ファンドで運用成績が悪化した際に解約が集中するとパフォーマンスの悪化に拍車を掛ける恐れがありますが、こうした制限にはこれを防ぐ狙いがあります。しかし、オルタナティブ40Actは毎日、オルタナティブUCITSでは少なくとも月に2回は解約できるタイミングを設けています。

 また成功報酬に関しても、ヘッジファンドの場合は基本的に値上がり益の2割という慣例がありますが、オルタナティブ40Actの場合、そうした設定は可能でも基本的に成功報酬はありません。オルタナティブUCITSも、そうした設定が可能という程度にしています。

 加えて、レバレッジ(借り入れ)やショート(空売り)に関しても、ヘッジファンドの場合、自社規制はあるものの、その範囲内で積極的に活用します。一方でリキッド・オルタナティブでは、かなりの制約が設けられています。こうしたリスクや手数料を抑えたファンドは、利益保護が強く求められる保険会社に受けが良く、ワイスの会社には安定的に投資資金が集まるようになりました。もちろん、無理な運用を行わないため、ファンド・マネージャーの入れ替わりも少なく、生き馬の目を抜くような苛烈な業界のなかで、極めて珍しい存在となっていきます。もっとも、これが後に大きな災いになりました。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。