システム・トレーディングの先駆者エド・セィコータ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【50】―

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◆システム・トレーディングの先駆者


 第46回で取り上げた伝説の商品ヘッジファンド、コモディティーズ・コーポレーションのマイケル・マーカスは学者集団である同社にあって博士号を取得していない初めての中途採用の社員でした。しかし、目覚ましい運用成績を叩き出して、同社の副社長にまで昇進した人物です。

 そんな彼に多大な影響を与えた人物といわれているのが、今回取り上げる「システム・トレーディングの先駆者」であるエドワード・アーサー・セィコータ(通称エド・セィコータ)です。

 セィコータの教えはマーカスが育てたブルース・コフナーにも受け継がれ、コフナーは第47回で取り上げた老舗マクロ系ヘッジファンドのキャクストン・アソシエイツを創設しました。詳しくは以下をご参照ください。

▼コモディティーズ・コーポレーション(前編)―デリバティブを奏でる男たち【46】
https://fu.minkabu.jp/column/1800

▼コモディティーズ・コーポレーション(後編)―デリバティブを奏でる男たち【46】
https://fu.minkabu.jp/column/1808

▼老舗マクロ系ファンド、キャクストン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【47】
https://fu.minkabu.jp/column/1817

▼老舗マクロ系ファンド、キャクストン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【47】
https://fu.minkabu.jp/column/1825

 セィコータは1946年にオランダで生まれ、幼いときに家族とともに米国へ移住しています。株式トレーダーをしていたという父親から、13歳のときに株式を購入する方法を教わりました。その方法とは、株価がボックス圏の値動きをしているときに、上値抵抗となるボックスの上限価格を上回ったら買う、下値サポートとなるボックスの下限価格を下回ったら売る、といった典型的なトレンド・フォローの投資スタイルでした。そして、セィコータは、マサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学と経営学を学んでいた頃から本格的にトレードを始めます。最初は上手くいかなかったようですが、やがて「トレンド・フォローの父」と称されたリチャード・ダウド・ドンチアン(1905-1993)のシステム・トレーディングに注目することになります。
 

◆ドンチアンについて


 ドンチアンについては、前回にも「1960年代前後に活躍した米国の商品先物トレーダー」として紹介しました。アルメニア系の移民である彼は、イェール大学で経済学の学士号を取得し、マサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院で経営学の修士号を取得するほど優秀でしたが、卒業後は家業であるオリエンタル・ラグの輸入販売会社でアシスタントとして勤務します。しかし、「デイトレードのパイオニア」といわれるジェシー・ローリストン・リバモア(1877-1940)を描いた伝記小説『Reminiscences of a Stock Operator株式オペレーターの回想』(邦題『欲望と幻想の市場 - 伝説の投機王リバモア』)に触発されて、マーケットの研究に没頭することになります。1930年代にはアナリストとしての仕事を始め、「証券パイロット」というレポートを書いて証券会社に販売しています。
 
 その後も家業を続けながら、金融投資会社ヘンフィル・アンド・ノイエス(1963年にホーンブロワー&ウィークスと合併。その後も合併と分割を繰り返し、最終的にリーマン・ブラザーズとなる)で証券アナリストとしても働き始めます。第二次世界大戦で兵役を終えた後、1948年に業界初のマネージド・フューチャーズ・ファンドであるフューチャーズを設立しました。1960年に大手証券会社ヘイデン・ストーン(1970年にコーガン、ベルリン、ワイル&レビットと合併。その後も合併と分割を繰り返し、最終的にリーマン・ブラザーズとなる)の商品調査ディレクターに就任し、副社長まで昇りつめています。同社では週刊ニュースレター「商品トレンド・タイミング」を執筆して人気を博します。
 

◆トレーディング・システムの開発


 ドンチアンが使ったシステム・トレーディングとは、価格が直近20日間の高値を上に抜けたら買いポジションを持ち、5日間の安値を下回ったら手仕舞う、あるいは価格が20日間の安値を下に抜けたら売りポジションを持ち、5日間の高値を上回ったら手仕舞うというもので、これをドンチアンは手計算で行っていました。

 しかし、セィコータは当時では珍しいことでしたがコンピュータで計算し、ドンチアンの理論が正しいことに気づいたといいます。1970年に大学を卒業した後、セィコータは証券会社のアナリストとして働きながら、会社のコンピュータを利用し、幾つものトレンド・フォロー・システムを開発していきます。この当時、マーカスはセィコータが勤務している会社に誘われて一緒に働いています。

 セィコータが開発したシステムを、会社側では営業用のトレーディング・システムとして活用することにしました。その運用成績は良かったものの、経営陣は自分たちの相場観を混ぜてシステムの結果を捻じ曲げたり、もっと顧客に売買させるため頻繁にシグナルが出るようプログラムを書き換えろ、などと言い出します。これにセィコータは辟易し、その後は自分で運用することにしました。

 こうしたシステム開発の際に、セィコータはドンチアンのシステム・トレーディング以外にもうひとつ、参考にしたものがあります。それはドンチアンをマーケットの研究へと誘ったリバモアの伝記小説『株式オペレーターの回想』でした。さて、彼らを魅了したリバモアとは、いったい如何なる人物だったのでしょうか。(敬称略、後編につづく)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。