デリバティブを奏でる男たち【83】 アクティビストの巨人、カール・アイカーン(前編)

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 前回は、昨今の東京株式市場において非常に人気の高い半導体検査装置メーカー、レーザーテック <6920> [東証P]を標的としている、アクティビスト(物言う株主)でありショートセラー(空売り投資家)でもあるスコーピオン・キャピタルを取り上げました。

 今回はスコーピオンの創業者であるグルキラット・カロン(Gurkirat Kahlon、通称キル・カロン)が一時、師事していたアイカーン・エンタープライジズのカール・セリアン・アイカーン(Carl Celian Icahn、通称カール・アイカーン)を取り上げます。1987年に公開された映画『ウォール街』(Wall Street)でマイケル・ダグラスが演じた投資家、ゴードン・ゲッコーは、アイカーンがモデルの一人だった、といわれています。映画で使われたゲッコーのせりふ「友達が欲しければ犬を飼え」は、オリバー・ストーン監督がアイカーンから直接アドバイスを受けた言葉だそうです。
 

◆叔父の勧めで金融界へ


 アイカーンは1936年、米ニューヨーク州のユダヤ人家庭に生まれました。地元の高校を卒業した後にプリンストン大学に進学します。哲学を専攻して優秀な成績で同校を卒業。両親の希望でニューヨーク大学の医学部に進学しますが、2年で中退して米陸軍に入隊します。除隊後の1961年に、裕福な叔父のM・エリオット・シュナルから勧められ、両親の反対を押し切ってウォール街に向かいました。彼は米証券会社ドレフュス・コーポレーション(1994年にメロン・フィナンシャル・コーポレーションが買収。メロンは2007年にバンク・オブ・ニューヨークと合併してバンク・オブ・ニューヨーク・メロン<BK>に)の株式仲買人として働き始めます。

 1963年にテッセル・パトリック・アンド・カンパニーで株式オプションのトレーダーに転職し、1年後にはグランタル・アンド・カンパニー(2002年にライアン・ベックが買収。ライアンは2007年にスタイフェル・フィナンシャル<SF>が買収)に移った後もオプション取引を続けました。

 1968年に自己資金15万ドルと叔父のシュナルから40万ドルを投資してもらい、ニューヨーク証券取引所の会員権を買ってアイカーン・アンド・カンパニーを設立します。当初はオプションを中心に取引していましたが、次第にリスク・アービトラージ(上場企業間のM&Aに伴う裁定取引)にも注目するようになりました。リスク・アービトラージについては以下をご参照ください。

▼サード・ポイントのダニエル・ローブ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【15】―
https://fu.minkabu.jp/column/1196

 1978年には最初の買収の試みとして、台所用コンロメーカーのタッパン・ストーブ・カンパニーの支配権を取得しました。その後に同社株をスウェーデンの多国籍家電メーカー、エレクトロラックスに売却し、270万ドルの利益を上げて投資額を2倍にします。ここから次々と企業買収を繰り返しては売却して利益を得ていきました。彼を有名にした案件はRJRナビスコ(2000年にR.J.レイノルズ・タバコ・ホールディングスが買収して上場廃止)やデル<DELL>、ゼロックス<XRX>に加え、石油、カジノ企業など、枚挙に暇はありません。ここでは1980年代後半に仕掛けたトランス・ワールド航空(TWA)の買収を紹介します。

 

◆乗っ取り屋(Corporate Raider)


 TWAは元々、ウエスタン・エアー・エキスプレスとトランスコンチネンタル・エアー・トランスポートが1930年に合併してできたトランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアーという米国の主要航空会社でした。社名をトランス・ワールド航空としたのは1950年のことです。

 1939年にハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.、通称ハワード・ヒューズ、1905–1976)が同社の経営権を取得します。ヒューズは映画や航空、不動産、ホテルなど、様々な業界で大物資産家として数々の逸話を残している人物です。しかし、最新鋭のジェット機を選好するヒューズの考え方に経営陣がついていけず、両者の対立が深まります。加えてTWAの資金繰りの悪化などもあり、ヒューズは1966年にTWA株の売却を余儀なくされます。

 その後にTWAは世界最大級のホテルチェーンであるヒルトン・インターナショナルをはじめ、レストランや不動産業者を買収するなど多角化を図り、経営は安定しました。ところが、1978年の規制緩和により航空業界は厳しい競争に見舞われ、TWAの経営も再び悪化していきます。

 1985年にアイカーンは、銀行から融資を受けてTWAの経営権を取得し、同社の会長に就任しました。リストラを敢行して利益が出たところで、TWA は1988年にLBO(Leveraged Buyout、借入金を利用した企業買収)を実施し、上場廃止となります。このときにTWAは5.40億ドルの負債を抱え、アイカーンは4.69億ドルの利益を得たといわれています。その後にアイカーンはTWAの借金返済のため、ロンドン路線をアメリカン航空(アメリカン航空グループ<AAL>の傘下)に売却するなど、資産の切り売りを実施していきます。しかし、資金繰りは上手くいかず、1992年にTWAは倒産してしまいました。

 このため、アイカーンは資産剥奪(Asset Stripping)によって利益を得た「乗っ取り屋(Corporate Raider)」などと揶揄され、1993年に経営から退きます。ただ、その後もTWAの経営は難航し、1995年に2度目の倒産に至りました。2001年には3度目の倒産を余儀なくされ、最終的にはアメリカン航空に吸収合併されます。

 

◆USスチールにも食指


 TWAの経営権を取得した翌年の1986年、アイカーンは米国を代表する鉄鋼会社USスチール<X>の株式も買い集めました。1970年代から80年代にかけて起きたオイルショックに新興工業国との競争激化などが重なり、米国の鉄鋼業界は壊滅的なダメージを受けます。一時、世界最大の鉄鋼会社だった同社も、この鉄鋼不況の影響を受けましたが、エネルギー事業などの多角化によって何とか難を逃れていました。同社は鉄鋼に替わってエネルギー事業の稼ぎが主力となったことにより、1986年に社名をUSXに変更します(後年、社名をUSスチールに再変更)。

 ところが、採算が合わなかった鉄鋼部門の分離問題がクローズアップされ、株価も低迷していたため買収の標的となり、多くの投機家がUSXの株を買い漁ったといわれています。その中でアイカーンは同社のLBOを発表しました。このときのLBO資金は約70億ドルと見積もられ、そのうち約60億ドルは「ジャンクボンド(投資不適格債)王」などと呼ばれたマイケル・ミルケンが所属する米投資銀行ドレクセル・バーナム・ランバートが引き受けるジャンクボンドで調達する予定になっていました。

 これに対してUSXは、ある手段でアイカーンのLBOを断念させます。一体どのような手段を用いたのでしょうか。ちなみに、ミルケンおよびドレクセルにつきましては以下でも触れていますので、ご参照ください。

▼プライベート・エクイティの巨人、アポロ・グローバル(前編)ーデリバティブを奏でる男たち【33】ー
https://fu.minkabu.jp/column/1546

(敬称略、後編につづく)

 

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。