今回はポール・ロデリック・クルーカス・マーシャル卿(Sir Paul Roderick Clucas Marshall)とイアン・ジェラルド・パトリック・ウェイス(Ian Gerald Patrick Wace)らによって1997年に創設されたヘッジファンド、マーシャル・ウェイスを取り上げています。彼らはともにS.G.ウォーバーグ・アンド・カンパニー(1995年にスイス銀行に、最終的にはUBSグループ<UBS>により買収)で働いていた時からの知り合いだったようです。同社の創設資金5000万ドルのうち半分は、世界三大投資家の一人としてよく知られるジョージ・ソロス(George Soros)から資金を提供してもらい、後の半分は家族や友人から募ったそうです。
当初、マーシャル・ウェイスの運用は上手くいっていたのですが、2008年にリーマン・ショックが生じると、顧客が資金を引き揚げて運用額は3カ月で140億ドルから39.5億ドルに急減してしまいます。さすがに堪えたらしく、めったにマスコミの取材を受けたがらないウェイスは、英フィナンシャル・タイム紙のインタビューに答えて「驚くほど大きな割合の資金が、極めて短期間で消えていくのを見ると、こんなことは絶対に許さないと誓うものだ」と当時を振り返っています。
このため、同社は経営の安定を求めて2015年に株式の24.6%を、第61回で取り上げたプライベート・エクイティ業界のパイオニアといわれるコールバーグ・クラビス・ロバーツ<KKR>に売却しました。その後、KKRは保有株を39.6%に増やしています。KKRにつきましては以下をご参照ください。
▼デリバティブを奏でる男たち【61】 コールバーグのKKR(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2038
◆ユニークな戦略を考案したクレイクのユニークな趣味
同社は2024年10月時点で690億ドルの資金を運用しており、最高経営責任者(CEO)兼最高リスク責任者であるウェイスは、2002年から同社で最大の運用額を誇るTOPS(Trade Optimised Portfolio System)ファンドを管理しています。このファンドは非常にユニークな戦略を採用していることで有名です。その戦略とは、証券会社などのセルサイドに所属するストラテジストやアナリスト、エコノミストらの投資アイデアを世界中から集め、アルゴリズムを使って分析し、流動性のある株式ポートフォリオに最適化するものです。その際に、マーシャル・ウェイスは、アイデアを提供したセルサイドに注文を出します。マーシャル・ウェイスの売買注文は、欧州の取引所における取引量の2~3%を占めると推定されており、相当な手数料が得られることから、セルサイドはこぞってアイデアを提供しているようです。
この戦略を考案したアンソニー・ピーター・クレイク(Anthony Peter Clake)は当時、オックスフォード大学を卒業したばかりだったそうですが、この戦略ファンドが上手く機能したため、同社一番の稼ぎ頭になりました。彼は趣味もユニークです。その趣味とは難破船捜索というトレジャー・ハンティングです。過去に沈没した世界中の難破船の位置を特定し、積まれていた財宝を引き揚げることは大変ロマンに満ちた趣味といえるでしょう。これにはマーシャル卿やウェイスも強い興味を示しました。彼らは、このジャンルに長けているロンドンの投資会社ロバート・フレイザー・アセット・マネジメントにも資金を提供していたようです。
しかし、難破船捜索には極めて複雑な問題が絡んできます。それは難破船の位置がなかなか特定できないこと、特定できたとしても財宝が必ず発見できるとは限らないこと、また発見できたとしても財宝を引き揚げることや手元に確保することに、多くの時間と莫大な費用を要します。そして最大の問題は、引き揚げに成功すると財宝の所有権を巡り、難破船の所有者や財宝の所有者(発送元、発送先の両方に加え、財宝が略奪品であった場合は元々の所有者や国を含む)、難破した位置に領有権を持つ国などとの交渉に加え、時には裁判を行わなければなりません。これにも多くの時間と莫大な費用がかりますし、そうなればマスコミも騒ぎ立てますので、相当に面倒な趣味といえるでしょう。
◆機を見るに敏なマーシャル卿の投資スタイル
一方、会長兼最高投資責任者(CIO)であるマーシャル卿は、同社のユーレカ・ファンドを担当しています。このファンドは基本的に株式ロング・ショート戦略を採用していますが、時流に合わせてポジションを変更します。例えば2022年に、コロナ禍のリオープン(経済再開)を受け、インフレ懸念が台頭して金利が上昇し始めました。このときに2011年からの方針であったグロース(成長)株買い・バリュー(割安)株売りのポジションをひっくり返し、グロース売り・バリュー買いに変更します。バリュー株の代表として銀行株を買いますが、利下げ機運が高まってきた2024年には銀行株売りに転じました。
また、ウェイスが管理しているTOPSでは2020年にESG(環境・社会・企業統治)スコアが高い銘柄を買い、スコアが低い銘柄を売るといったロング・ショート戦略を展開していましたが、インフレ懸念の台頭などからESG投資の結果はあまり芳しくありませんでした。これに目を付けたのか、2023年にマーシャル卿は、ドイツの総合重電メーカーであるシーメンスからスピンオフ(独立)したシーメンス・エナジーや世界最大の洋上風力発電開発業者であるデンマークのオーステッドなど、グリーンエネルギー株に空売りを仕掛けて利益を得ます。このほか、同社では新たにヘッジファンドを立ち上げるファンド・マネージャーに対して資金を提供するユーレカ・ストラテジック・パートナーズなどが運用されています。
ただ、最近は人材確保に苦労しているようです。第8回で取り上げたシタデルや第25回で取り上げたミレニアム・マネジメント、第7回で取り上げたポイント72アセット・マネジメントといったマルチマネージャー・プラットフォーム戦略を展開するヘッジファンドが、高額のスカウト料をちらつかせて人材獲得合戦に血道をあげているためです。
これに対してマーシャル卿は、ポートフォリオ・マネージャーに「ばかげた」金額が提示される「メリーゴーランド」状態になっていると批判し、「素晴らしいビジネスを構築する正しい方法ではなく、顧客のために素晴らしい業界を構築する正しい方法でもない」と切り捨てます。しかし、一方でマーシャル・ウェイスは2023年、好成績者に報いるため最大0.75%相当の報酬上乗せを実施しており、何とか人材流出を抑えようともしています。
この戦いはどちらに軍配が上がるのでしょうか。生き馬の目を抜く業界の動向が注目されます。(敬称略)