デリバティブを奏でる男たち【91】 ゴールド・スタンダードだったランズダウン(前編)

ブックマーク

 今回はかつて英国ヘッジファンドのゴールド・スタンダードとみなされていたランズダウン・パートナーズを紹介します。同社が日本でほとんど知られていないのは、東京株式市場で目立ったポジションを持つことが少ないことに加えて、極端なマスコミ嫌いであるため、現地でも報じられることがまれであることが影響しているのかもしれません。マスコミ嫌いのヘッジファンドはよく見かけますが、中でも英系が多いように感じます。この点については第89回でも取り上げましたので、ご参照ください。

デリバティブを奏でる男たち【89】 ムーア・キャピタルのルイス・ベーコン(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2499

 

◆共同創業者ラドック卿

 

 ランズダウンは、前回に取り上げた英国を代表するロング・ショート戦略のヘッジファンド、マーシャル・ウェイス・アセット・マネジメントと並び称された英国の老舗ヘッジファンドです。その理由は、この2つのファンドには非常に多くの共通点があるからです。ランズダウンの共同創業者であるポール・マーティン・ラドック卿(Sir Paul Martin Ruddock)は、マーシャル・ウェイスの共同創業者であるポール・ロデリック・クルーカス・マーシャル卿(Sir Paul Roderick Clucas Marshall)と同様にナイトの称号を授与されています。

 ラドック卿は1958年に英国のウェストミッドランズ州で生まれました。1969年から1976年まで、私立の男子校であるバーミンガムのキング・エドワード・スクールで教育を受けます。大学はオックスフォードのマンスフィールド・カレッジで法学を学び、卒業後は米名門投資銀行のゴールドマン・サックス・グループ<GS>で金融のキャリアをスタートさせました。1984年には英老舗資産運用会社シュローダーでマネージング・ディレクター兼国際ビジネス責任者を務めます。そして、1998年にランズダウンを創業しました。比較対象とされるマーシャル・ウェイスも創設は1997年とほぼ同時期です。

 

◆共同創業者ハインツ

 

 もう一人の創業者であるスティーブン・アンドリュー・ハインツ(Steven Andrew Heinz)は、1963年生まれのオーストリア人です。彼は米カリフォルニア大学バークレー校で応用数学の学士号を取得した後、経営工学の修士号、財務および戦略計画のMBA(Master of Business Administration、経営学修士)も取得しました。1987年に米老舗の大手銀行だったケミカル・バンク(1996年にチェース・マンハッタン銀行と合併。その後、2000年にJPモルガンを買収し、現在はJPモルガン・チェース<JPM>)の資本市場グループで金融キャリアをスタートさせます。

 1991年には金融界から一時離れて、世界的なコンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーで働き、企業戦略とリエンジニアリング・プロジェクトに取り組みました。1993年には再び金融界に戻り、ゴールドマン・サックスで事業開発部門の副社長を務め、1995年にはハーバード大学の寄付金や年金を運用するハーバード・マネジメント社に移籍します。同社は第72回で取り上げたコンベクシティ・キャピタル・マネジメントを率いるジャック・リーダー・マイヤー(Jack Reeder Meyer)が一時、社長兼最高経営責任者(CEO)を務めていました。ここでハインツは株式裁定取引グループのメンバーとなります。ハーバード・マネジメント社については以下をご参照ください。

デリバティブを奏でる男たち【72】 ジャック・マイヤーのコンベクシティ(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2218

 

◆ファンドの創設と飛躍

 

 1998年、ハインツはラドック卿とともにランズダウンを創設しました。社名は創設地であるロンドンの中心部、ケンジントン・アンド・チェルシー王室特別区内のホランド・パークにあるランズダウン・ロードに由来しています。このように所在地を社名するヘッジファンドは意外に多く、代表的なところでは第7回で取り上げたスティーブン・A・コーエン(Steven A. Cohen)率いるポイント72アセット・マネジメントや、第17回で取り上げたウィリアム・アルバート・アックマン(William Albert Ackman、通称ビル・アックマン)のパーシング・スクエア・キャピタル・マネジメントなどが挙げられます。

 設立当初は、ファンダメンタルズ分析を駆使して欧州の株式を売買する戦略ファンドを運営していましたが、2001年に立ち上げた先進国株式ファンドが大当たりします。このファンドはマーキュリー・アセット・マネジメントで働いていたピーター・グラハム・デイビス(Peter Graham Davies)とスチュアート・グラント・ローデン(Stuart Grant Roden)が運用しました。

 1972年生まれのデイビスはオックスフォード大学で哲学、政治学、経済学の一級優等学位(First Class Honours Degree)を取得した後、1993年にメリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ(旧マーキュリー・アセット・マネジメント)に入社します。そこで取締役まで昇進した後、2001年にランズダウンに入社しました。一方、1963年生まれのユダヤ人であるローデンは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の第一級優等学位を取得した後、1984年にS.G.ウォーバーグ・アンド・カンパニー(1995年にスイス銀行に、最終的にはUBSグループ<UBS>により買収)に入社します。一時的にハインツと同じくマッキンゼーで働きますが、2001年にランズダウンに入社する前は、デイビスと同じ職場で働いていました。ここでもマーシャル・ウェイスと同様、S.G.ウォーバーグおよびマーキュリーの運用ノウハウや文化が受け継がれているようです。

 先進国株式ファンドは基本的に株式のロング・ショート戦略を採用していましたが、特に空売りには定評がありました。2007年から2008年の金融危機の際、事実上破綻したノーザン・ロックや英投資銀行バークレイズ<BCS>といった金融株のほか、住宅株にも空売りを仕掛けて大儲けした後、買いに転じて更に利益を上乗せします。これを受けてランズダウンには運用資産が集まり、一時は210億ドルまで膨らみました。しかし、そこから運用資産額は減少の一途を辿ります。一体なにがあったのでしょうか。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。