前回は英国ヘッジファンドのゴールド・スタンダードとみなされていたランズダウン・パートナーズを取り上げました。その前の回では英国を代表するロング・ショート戦略のヘッジファンド、マーシャル・ウェイス・アセット・マネジメントについて触れました。この両者には多くの共通点があり、よく並び称されていたことは前回に触れた通りです。その共通点として挙げられるマーキュリー・アセット・マネジメントと、その親会社だった投資銀行のS.G.ウォーバーグを今回は取り上げたいと思います。
▼デリバティブを奏でる男たち【91】 ゴールド・スタンダードだったランズダウン(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2530
▼デリバティブを奏でる男たち【90】 マーシャル・ウェイスのマーシャルとウェイス(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2513
◆ドイツ系ユダヤ人の会社
英国を代表する株価指数のFTSE 100指数に採用されていた投資銀行、S. G.ウォーバーグは、ジークムント・ジョージ・ウォーバーグ卿(Sir Siegmund George Warburg、1902-1982)とヘンリー・グリュンフェルド(Henry Grunfeld、1904-1999)によって創設されました。ドイツ系ユダヤ財閥であるウォーバーグ家出身のジークムントは、ドイツ南西部のウーエンフェルス・キャッスルで育てられ、ウラッハ修道院のプロテスタント神学校で学びます。卒業後は叔父のマックス・モーリッツ・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg、1867-1946)が頭取兼パートナーを務めていたプライベートバンクのM.M.ウォーバーグで銀行見習いをしていました。
その後、ロンドンに渡り、ロスチャイルドの下で研修を受け、1934年にグリュンフェルドとともにニュー・トレーディング・カンパニーという銀行を創設しました。同社は1946年に社名をS.G.ウォーバーグに変更します。また、彼は1953年から1964年までの間、米国の名門投資銀行クーン・ローブ(1977年にリーマン・ブラザーズと合併)の共同経営者も務めていました。
共同創設者であるグリュンフェルドもユダヤ人としてドイツに生まれました。20歳の時に父を亡くし、家業である鋼管会社A.ニーダーシュテッターの経営を引き継ぐことになります。1934年にナチスに捕らえられますが、スペイン名誉領事としての地位を利用して強制収容所への移送を免れ、家族とともにロンドンに亡命しました。その後、手形割引業を営んでいましたが、ヨーロッパからの難民が母国からお金を引き出し、安全に投資するための手段が必要と考え、ウォーバーグとともに銀行を創設します。
S. G.ウォーバーグは1957年に、米老舗投資銀行J.&W.セリグマン(2008年にアメリプライズ・ファイナンシャル<AMP>が買収)のロンドンのパートナーシップであったセリグマン・ブラザーズを買収して名声を高めます。これによりS. G.ウォーバーグは、英中央銀行であるイングランド銀行の支援を受けた安価な資本にアクセスできる17の大手商業銀行のひとつになりました。
また、1959年のアルミニウム戦争もS. G.ウォーバーグを一躍有名にします。同社が助言した米レイノルズ・メタルズ(2000年にアルコア<AA>が買収)とチューブ・インベストメンツが、モルガン・グレンフェル率いるロンドン銀行家連合との激しい競争入札の末、ブリティッシュ・アルミニウムを買収しました。これによりウォーバーグは、英国での敵対的買収の先駆者となります。また、ウォーバーグは初めてユーロ債を発行し、1963年以降にユーロボンド市場を発展させた銀行として知られるようになりました。
◆買収と身売り
1960年代から70年代にかけてS. G.ウォーバーグは大きく成長しました。1970年代初頭、パリ銀行(1982年に国有化されてパリバとなりました)とともに、マーキュリー・セキュリティーズという名の米国合弁事業も開始します。ウォーバーグとパリ銀行は米証券会社A.G.ベッカーの株式40%も取得しますが、イギリス、フランス、米国と文化的な背景が異なる国々の会社はまとまりませんでした。その後にウォーバーグはパリ銀行を買収しようとしますが、これも上手くいきません。パリ銀行はパリバとなった翌年、ウォーバーグとの合弁事業を買収し、マーキュリー・セキュリティーズはA.G.ベッカー・パリバに改名されました。しかし、同社は1984年にメリルリンチ(2009年にバンク・オブ・アメリカ<BAC>が買収)に身売りされます。
1980年代にS. G.ウォーバーグは関連会社を次々と買収します。1984年には株式取引業者のアクロイド&スミザーズと株式仲買人のロウ・アンド・ピットマン、そして政府系金箔ブローカーのミューレンス・アンド・カンパニーも買収しました。S. G.ウォーバーグは1990年代初頭までに、英国を拠点とするM&A(合併・買収)アドバイザー、株式引受会社、リサーチ会社、そして資産運用会社として傑出した企業になります。
1994年には米モルガン・スタンレー<MS>との合併が発表されましたが、交渉は決裂しました。翌年S.G.ウォーバーグは、スイス銀行に買収されます。スイス銀行はS.G.ウォーバーグを既存の投資銀行部門と合併してSBCウォーバーグとし、グローバル投資銀行のリーディング・プレーヤーとなりました。1997年にSBCウォーバーグは米国の投資銀行ディロン・リード・アンド・カンパニーと合併し、ウォーバーグ・ディロン・リードが設立されます。翌1998年にスイス銀行とユニオン・バンク・オブ・スイスが合併しUBSが誕生後、ウォーバーグ・ディロン・リードはUBSウォーバーグに商号が変更されました。そして、ウォーバーグの名前は、UBSの投資銀行業務がUBSインベストメント・バンクに改名された2003年に消滅することになります。
こうした経緯を辿ったS.G.ウォーバーグは1969年にウォーバーグ・インベストメント・マネジメントを設立します。投資管理契約を獲得し、それを実行するためでした。この会社は1987年に社名をマーキュリー・アセット・マネジメントに変更し、ロンドン証券取引所に上場を果たします。後編ではこちらのマーキュリーについて取り上げます。(敬称略、後編につづく)