今回は英国でマルチ・ストラテジーを展開するアイスラー・キャピタルを取り上げます。マルチ・ストラテジーとは、様々な投資戦略を得意とするポートフォリオ・マネージャーに資金を提供するほか、自社のインフラを利用させて収益の拡大を狙うヘッジファンドです。第8回で紹介したケネス・コーデレ・グリフィン(Kenneth Cordele Griffin、通称ケン・グリフィン)が率いるシタデル、第25回のイスラエル・アレクサンダー・イングランダー(Israel Alexander Englander、通称イジー・イングランダー)が創業したミレニアム・マネジメントが、マルチ・ストラテジーを展開するヘッジファンドの二大巨頭です。
▼シタデルのケン・グリフィン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【8】―
https://fu.minkabu.jp/column/1074
▼ミレニアムのイジー・イングランダー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【25】―
https://fu.minkabu.jp/column/1402
マルチ・ストラテジーはファンド・オブ・ファンズに似た形態ですが、ポートフォリオ・マネージャーを自社で抱えることや、パススルーといわれる特殊な手数料体系を採用している点などが異なります。ヘッジファンドの手数料体系は委託手数料2%、成功報酬手数料20%という「2・20」が一般的です。もっとも最近はこれよりも少し低くなる傾向にあります。パススルーとは、優秀なポートフォリオ・マネージャーを招聘するスカウト料や、彼らをつなぎとめる高額な報酬など、様々なコストも投資家に負担させる手数料体系です。
投資家にしてみればいくら手数料が高くても、手取りの収益が高ければ何の問題もありません。ところが、手取りの収益が低くなれば途端に人気が離散してヘッジファンドが資金繰りに苦慮するため、マルチ・ストラテジーを採用するヘッジファンドは解約に制限を設けることが多くなっています。ただし、手取りの収益が低くなれば、手数料の値引き交渉も頻繁に行われるようです。
◆元ゴールドマンの天才
2024年1月現在、40億ドルを運用しているアイスラー・キャピタルは、2015年末にエドワード・キリル・アイスラー(Edward Kirill Eisler)によって創設されました。1969年にロシアで生まれ、オーストリアで育ったアイスラーは、ニューヨーク大学で経済学と金融を専攻し、卒業後は米名門投資銀行のリーマン・ブラザーズ(2008年に経営破綻)で働きながら、同大学の夜間クラスで応用数学の修士号を取得しました。
1994年に米名門投資銀行のゴールドマン・サックス・グループ<GS>に金利デリバティブ・トレーダーとして転職し、2000年には30歳という若さでパートナーに昇進します。ゴールドマンの子会社であるアーロン商会でグローバル金利、外国為替、商品取引の責任者も務めました。アーロン商会は南米とイスラエルを中心にコーヒーと金の国際市場で活躍する大手商品取引業者で、外為取引までも手掛けていましたが、1981年にゴールドマンが買収しています。また、ロイド・クレイグ・ブランクファイン(Lloyd Craig Blankfein)がゴールドマンの最高経営責任者(CEO)だった時代には、4人の共同経営責任者の一人として金利商品、外国為替、コモディティを含む同社のグローバル・マクロ・トレーディング事業を担当しました。後にブランクファインは、アイスラーのことを「非常に優秀なトレーダーが数多くいた時代と場所においても、特に際立った存在だった」と評しています。
◆地政学的リスクで挫折
ところが、アイスラーは2012年にゴールドマンを退職し、退職後2年間は同社のシニアディレクターとして顧問を務めますが、その後はプライベート・エクイティ事業を目指します。ゴールドマンの元同僚であったサミュエル・ジョナサン・ウィスニア(Samuel Jonathan Wisnia)と欧州の投資銀行グループを率いていたゴールドマンのパートナー、クリストファー・バーター(Christopher Barter)に加え、TPGキャピタル(元テキサス・パシフィック・グループ、現在はTPG<TPG>)のグローバル経営および投資委員会のメンバーで欧州担当のフィリップ・マリノス・コステレトス(Philippe Marinos Costeletos)とともにDMCパートナーズを設立しました。
同社はサハラ以南のアフリカ諸国、トルコ、ロシア/CIS(Commonwealth of Independent States、独立国家共同体、元ソ連の衛星国)、東南アジアなどの新興市場で未公開企業に投資するために、20億ドルの資金調達を計画します。ところが、2014年にロシアによるクリミア半島侵攻、シリアとイラクにまたがる地域を支配した過激派組織IS(イスラミック・ステート)によるイスラム国家の樹立宣言など、ロシアや中東において地政学的リスクが台頭し、計画を断念せざるを得ませんでした。
そこでアイスラーは、得意分野であるグローバル・マクロに特化したヘッジファンド、アイスラー・キャピタルを2015年に創設し、10億ドル近くの運用資金を調達します。
◆もう一人の天才
現在、アイスラー・キャピタルでナンバー2として副最高投資責任者(CIO)を務めているウィスニアは、1973年生まれのフランス人です。理学、工学、医学の専門公立大学であるピエール・マリー・キュリー大学(旧パリ第6大学、現在のソルボンヌ大学)と、テクノクラート(技術官僚)養成教育機関であるグランゼコールのひとつで、軍事省管轄のエコール・ポリテクニーク(通称イックス)との共同教育プログラムによる確率論と金融の理学修士号を取得しています。その後にパリ大学サクレー校の一部を構成する工業大学、サントラル・シュペレックで理学修士号を取得しました。大学時代は銀行員になるために1日3時間しか寝ないようになった、という逸話が残っています。
卒業後はフランスの大手銀行であるBNPパリバに入社し、数年後にゴールドマンに移籍します。彼は優秀なクオンツ・アナリストとして同社のパートナーとなり、最終的にはストラテジー部門のグローバル共同責任者となりました。アイスラーが辞任した2012年にウィスニアも退職し、彼と共にDMCパートナーズの設立を支援します。
しかし、地政学的リスクで頓挫すると、ドイツ最大の金融機関であるドイツ銀行<DB>に、債券・通貨ストラクチャリング責任者、およびコーポレートバンキング・証券の戦略分析責任者として招聘されます。彼は金利、為替、クレジット、資金調達、流動性管理の各事業にわたるソリューションを顧客に提供する事業を担当するほか、ドイツ銀行のリスク管理および価格設定システムを整理するために分析プラットフォームの構築も担当することになりました。その後は金利担当責任者にもなります。(敬称略、後編につづく)