今回は2024年にプラス52%もの驚異的なパフォーマンスを叩き出したヘッジファンド、ディスカバリー・キャピタル・マネジメントを取り上げます。25億ドルを運用する同社は、タイガーカブのロバート・ケネス・シトロン(Robert Kenneth Citrone)と、現在はメキシコで多くの企業の役員なども務める実業家、ハリー・フレデリック・クレンスキー(Harry Frederick Krensky)によって1999年に創設され、新興国市場のマクロ投資を得意としています。タイガーカブとは、第2回で取り上げたジュリアン・ハート・ロバートソン・ジュニア(Julian Hart Robertson Jr.、1932-2022)のタイガー・マネジメント出身者を指します。タイガー・マネジメントについては以下をご参照ください。
▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【2】―
https://fu.minkabu.jp/column/945
◆元学生レスラーの若手ファンド・マネージャー
シトロンは1964年に米ペンシルベニア州で生まれました。高校時代はレスリングに励み、そのせいなのか今でもレスラーのような風貌です。高校卒業後は米国でも伝統のあるバージニア州のハンプデン・シドニー大学で数学と経済学を学び、卒業論文のテーマはラテンアメリカの債務についてでした。その後はバージニア大学ダーデン・ビジネススクールに進学してMBA(Master of Business Administration、経営学修士)を取得し、1990年に世界最大の資産運用会社のひとつである米フィデリティ・インベストメンツに、社債アナリストとして入社します。
当時のフィデリティは伝説のファンド・マネージャーと謳われたピーター・リンチ(Peter Lynch)の時代でした。リンチは同社の株式投資信託であるマゼラン・ファンドの運用資産を、わずか13年間で1800万ドルから140億ドルまでに成長させます。この期間の年間平均リターンが29.2%であったことから、フィデリティのマゼランは世界で最もパフォーマンスの高い、世界最大規模の投資信託としての評判を確立していました。
このときのフィデリティの債券事業責任者であったトーマス・ジョセフ・ステファンシー(Thomas Joseph Steffanci)は、この株式投資での成功を債券投資でも再現しようとします。その手法とは、多額の資金を投じて最も優秀な資産運用マネージャーを雇い、最も徹底した調査を行い、会社のかなりの資金力を使って投資先の市場を支配する、というものだったそうです。また、債券投資にありがちな、景気や物価などのマクロ経済要因に焦点を当てて金利の上下に賭けるのではなく、見つけにくい市場の非効率性を特定することで利益を上げることをステファンシーは考えていました。
株式投資では、ベンチマークを上回るための最善策のひとつとして、ベンチマークに含まれていないものを購入する、といった手法があります。ステファンシーは債券でも同様の手法を用い、目立たない小さな外国市場を担当するアナリストや、デリバティブに精通しているアナリストなど、24人の債券スペシャリストも抜擢しました。その一人にシトロンが選ばれます。
また、フィデリティは、経験豊富なリーダーの下で働く緊密に結束したマネージャーチームを誇る同業他社とは異なっていました。若くて比較的経験の浅いマネージャーに多くの責任を委ねる余裕があり、実験的な分析手法も開発させます。例えば、人間のように考えようとするコンピューターを使い、スカートの長さなどのトレンドを取り入れるといった、今でいうAI(人工知能)を利用した投資手法です。
◆メキシコ通貨危機で失敗
若手のシトロンは経験こそありませんでしたが、卒業論文のテーマにするくらいラテンアメリカなど新興国の債券市場に対して深い知識と興味、そして強い熱意を抱いていました。これに当時のフィデリティの風潮が共鳴し、1994年初頭までにフィデリティは新興市場の債務を70億ドルも保有します。メキシコに至っては、フィデリティが同国最大の貸し手であるとの噂が広まるほどでした。
ところが、1994年にメキシコ通貨危機が起きます。米連邦準備制度理事会(FRB)が、米景気拡大の本格化に伴うインフレ圧力の高まりを未然に防ぐため、継続的な利上げに踏み切りました。それまでは米国が低金利であったため、高金利のメキシコなどの新興国の債券は人気でしたが、利上げとともに米国への資金回帰が始まります。当時のメキシコは、ペソの過大評価に伴う国際収支の悪化や、政府要人の暗殺が相次ぐなど治安の悪化が問題視されていましたが、米低金利の影響による外資流入に支えられていました。しかし、米利上げによって資金流出が始まり、外貨準備不足から債務不履行に至ったため、メキシコ政府はペソの15%切り下げと変動相場制の導入を決定しました。その後、1週間もしないうちにペソは半値に下落してしまいます。
このメキシコ通貨危機の影響で、シトロンが担当していたファンドのひとつである、発展途上国の債務に投資するロングオンリーのニュー・マーケッツ・インカム・ファンドは16.6%の損失を出します。この運用成績の悪化を受けて、投資家はフィデリティの債券ファンドから約 60 億ドルを引き揚げました。そのため、フィデリティはデリバティブ投資やラテンアメリカ国債の多くを手放し、これまでの画期的な投資スタイルを、保守的なスタイルに戻します。巨額損失の責任を取ってステファンシーとシトロンは1995年にフィデリティを辞職しました。(敬称略、後編につづく)