タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【2】―

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◆ヘッジファンド業界ビッグ3の一角


 第2回は前回に取り上げたビル・フアンの師匠であるジュリアン・ロバートソン(本名ジュリアン・ハート・ロバートソン・ジュニア)を取り上げます。ヘッジファンド「タイガー・マネジメント」を率いた彼は、クォンタム・ファンドのジョージ・ソロス、スタインハルト・パートナーズLPのマイケル・スタインハルトと並び、1990年代におけるヘッジファンド業界の「ビッグ3」と称されるほどの伝説的な人物です。

 そのパフォーマンスはすさまじく、ファンド設立の1980年からファンド閉鎖の2000年までの20年間で年平均約25%の利益を叩き出したとされています。また、運用資金も当初の880万ドルからスタートして、ピーク時の1998年には約220億ドルとおよそ2500倍にまで膨らませています。

 1932年にノースカロライナ州のソールズベリーで生まれた彼は、ノースカロライナ大学チャペルヒル校を卒業。1957年まで海軍で将校の仕事に就き、その後は証券会社のキダー・ピーボディ(現在のUBSの関連会社)に20年以上勤務し、同社では最終的には資産管理部門を率いるまでになります。

 しかし、サラリーマン生活に疲れた彼は、家族と一緒にニュージーランドで長い休暇を過ごします。そこで小説を書きながら自分が本当にしたい仕事は何かを考え抜いた結果、1980年に友人や家族などから資金をかき集め、同じ大学で学び、同じ会社で働いたウィリアム・ソープ・マッケンジーとともにヘッジファンド、タイガー・マネジメントを立ち上げたのです。ロバートソン48歳の時でした。
 

◆ロング・ショート戦略、優れた200社を買い、魅力のない200社を売る


 ロバートソンの投資スタイルは、典型的な株式ロング・ショート戦略です。それを最もよく表す彼の言葉に「世界で最も優れた200社を見つけて投資し、世界で最も魅力のない200社を見つけて売りに出す」があります。良い銘柄を買い、悪い銘柄を空売りすることで、相場全体の上下動に影響を受けないようにヘッジしながら、パフォーマンスを狙いました。彼の投資哲学は次の5点に集約されます。

ジュリアン・ロバートソンの投資哲学
出所:「ヘッジファンドの魔術師』(パンローリング)

 ロバートソンは相場のトレンドに関するコメントを“戯言(たわごと)”と一蹴し、銘柄選択による運用成果を目指しました。このスタイルは、キダー・ピーボディ時代に知り合ったヘッジファンドの創始者、アルフレッド・ウィンスロー・ジョーンズに非常によく似ていると言われています。

 ジョーンズと異なる点は、先物やオプションも利用することですが、それらはレバレッジを効かせるためではなく、相場全体の上下動に影響を受けないようにヘッジするために使いました。

 デリバティブなどの投機的手法は保守的な目的のためにこそ使うのだと、ロバートソンは強調しています。こうしたデリバティブに対する彼の考え方は、当時よりも遥かに手法が進化している現代において、むしろ新鮮に聞こえるかもしれません。

 また、ロバートソンのように独自の相場観や投資視点に基づいて銘柄を選別する投資家を「ストックピッカー」と言いますが、当時は概念としてはその真逆にある「効率的市場仮説」が持てはやされていました。この仮説は、マーケットにおける価格はあらゆる情報を織り込んでいるため、金融商品は公正な価格で取引されることになり、投資家は安く買うことも、高く売ることもできないとする考え方です。しかし、ロバートソンはストックピッカーとして、この効率的市場仮説に立ち向かい、着実に成果を挙げていくのです。
 

◆ロバートソンの人柄、魅力的な親分肌のリーダー


 昭和の高度成長時代に一世を風靡したプロレス漫画に『タイガーマスク』(原作:梶原一騎・画:辻なおき)があります。『タイガーマスク』には地獄の猛特訓で強靭な悪役レスラーを養成する「虎の穴」という機関が登場します。ロバートソンのタイガー・マネジメントは厳しさにおいてまさに「虎の穴」のような会社だったようです。軍隊で働いた経験を持つ彼は、部下に対してブートキャンプ(新兵訓練施設)よろしく、過酷な山登りやレースを課したほか、会社専属のトレーナーを雇って部下の体力と気力、そして一体感を養いました。

 また、毎週金曜日に行うミーティングでは、良い投資アイデアを出す部下を徹底的に褒めちぎり、そうでない部下には罵声を浴びせるなど、アメとムチを与えます。こうした親分肌を慕う部下たちは、何とか彼に褒めてもらおうと懸命に努力しました。

 そうして出てきた投資アイデアをロバートソンは、人を惹きつける個性的な性格で作り上げた豊富な人脈を使い、インサイダー取引に関与しないように注意しながら、投資対象となる会社に勤める知り合いと連絡を取って投資に値するかを確かめていたそうです。

 ロバートソンは投資が決まれば、ひとつの投資先に対して投資資金を総資産の5%に限定しながら大胆にポジションを取り、成果が上がるまで待ちます。そのスタンスは短期でなく、あくまでも2年、3年といった長期であり、途中で評価損が出てもじっと耐える戦略を貫きました。そうした戦略がいつも功を奏するわけではありませんが、彼は高い成果を挙げ続けました。

 しかし、次第に運用資金が増え始め、米国株だけでは賄い切れず、投資対象は全世界の銘柄に広がる一方、商品、通貨、債券にも投資範囲を拡大させ、運用スタイルはロング・ショート戦略から次第に各国のマクロ・ファンダメンタルズを分析して投資するグローバル・マクロ戦略へと変貌していきました。
 

◆タイガーの弱み


 ロバートソンはクォンタム・ファンドのジョージ・ソロスに対抗心を燃やし、常に意識していたようです。しかし、ロバートソンは株式投資では傑出したファンドマネージャーでしたが、マクロ・トレードにおける感覚はソロスに比べて今ひとつだったとされています。それでも彼は世界中を飛び回り、トレード・チャンスを探し続けました。

 1985年のプラザ合意ではドル売りで儲け、その後はオーストラリア債やニュージーランド債のキャリートレード(低金利通貨で調達した資金を高金利通貨に投資する金利差を狙った取引)を行い、1997年のアジア通貨危機ではタイバーツ売りを仕掛け、大きな利益を上げています。

 また、1998年のルーブル危機の前には、ロシアの中央銀行と財務省が保有する金以外の全ての金属、パラジウム、ロジウム、銀などを全て買い取る契約を結ぼうとしました。もっとも、このときはロシア側が「手数料あり」と「手数料なし」といった二つの契約書を求めたため米国側では認められず、取引は成立しませんでした。

 マクロ・トレードはファンダメンタルズのトレンドに乗る戦略が多く、トレンドを読み間違えれば、ポジションを素早く撤退させる必要があります。しかし、相場のトレンドについてのコメントを“戯言”と軽視するロバートソンは、一度決めた投資を撤退させることに反対し、部下のマクロ・トレーダーと度々衝突することになります。そして、1998年8月に起きたロシア財政危機により、巨大な円売りポジションを持っていたタイガー・マネジメントは巨額の損失を被るのです。(敬称略、後編につづく

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。