原油反発。産油国の生産抑制の報道などで。67.11ドル/バレル近辺で推移。
金反発。米10年債利回りの反落などで。2,918.31ドル/トロイオンス近辺で推移。
上海ゴム(上海期貨交易所)反落。25年05月限は17,100元/トン付近で推移。
上海原油(上海国際能源取引中心)反発。25年04月限は520.8元/バレル付近で推移。
金・プラチナの価格差、ドル建てで1943.61ドル(前日比3.99ドル縮小)、円建てで9,305円(前日比87円縮小)。価格の関係はともに金>プラチナ。
国内市場は以下のとおり。(3月10日 18時02分時点 6番限)
金 13,831円/g
白金 4,526円/g
ゴム 343.5円/kg
とうもろこし (まだ出来ず)
LNG 2,119円/mmBtu(25年5月限 2月28日18時23分時点)
●NY原油先物 月足 単位:ドル/バレル

出所:MarketSpeedⅡより筆者作成
●本日のグラフ「2011年3月11日(金)14時46分頃」
前回は、「ウクライナと米国の交渉決裂は原油高要因」として、日本の原油および天然ガス輸入単価とWTI原油価格を確認しました。
今回は、「2011年3月11日(金)14時46分頃」として、2011年3月11日(金)午後11時02分に筆者が撮影した写真を確認します。
東日本大震災発生から、14年が経過します。毎年3月11日、筆者は以下の写真を見返しています。
2011年3月11日の夜、徒歩で帰宅した際に撮影した写真です。東京都内から筆者の自宅がある埼玉県につながる幹線道路沿いの量販店前に大行列ができていました。深夜、これから数キロから数十キロを歩くかどうかの判断の末、「自転車」を購入することを決めた人たちが殺到していた様子です。
この写真を見ると、あの時刻、妻と娘だけでなく、山形県の宮城県寄りの地域に住む両親と姉の家族とも連絡がつかず、不安が膨れ上がったことが、鮮明に思い起こされます。「人の生死」を強く意識しながら、東京から離れる人の群れの一人となり、黙々と歩きました。オフィスからおよそ40キロ離れた自宅に着いたのは、日が昇る直前でした。
当該災害を機に日本では、災害対策に関する議論はもちろん、誰かを想う気持ちとは?生とは?死とは?などの議論が加速したと感じています。
先日、筆者は当該災害で甚大な被害を受けた福島県南相馬市の小高地区にある海岸を訪れました。天気が良く、波が穏やかで、遠くにタンカーなどの船舶が行き来している様子がはっきり見えました。
小高地区は同震災がきっかけで作られた合唱曲「群青」のモチーフになった場所です。同曲はいまでも日本全国で歌い継がれています。当該災害を語り継ぐ上で欠かせない、重要な一曲です。
海岸から海を見ながら、14年の月日を振り返りました。この14年。筆者個人にとって、日本にとって、大変にさまざまなことが起きました。では「世界では?」。数回に渡り、この問いへの答えを、自由度・民主度を示す指数「自由民主主義指数」もとに、導き出そうと思います。
図:2011年3月11日(金)午後11時02分

出所:東京都内で筆者撮影
金反発。米10年債利回りの反落などで。2,918.31ドル/トロイオンス近辺で推移。
上海ゴム(上海期貨交易所)反落。25年05月限は17,100元/トン付近で推移。
上海原油(上海国際能源取引中心)反発。25年04月限は520.8元/バレル付近で推移。
金・プラチナの価格差、ドル建てで1943.61ドル(前日比3.99ドル縮小)、円建てで9,305円(前日比87円縮小)。価格の関係はともに金>プラチナ。
国内市場は以下のとおり。(3月10日 18時02分時点 6番限)
金 13,831円/g
白金 4,526円/g
ゴム 343.5円/kg
とうもろこし (まだ出来ず)
LNG 2,119円/mmBtu(25年5月限 2月28日18時23分時点)
●NY原油先物 月足 単位:ドル/バレル

出所:MarketSpeedⅡより筆者作成
●本日のグラフ「2011年3月11日(金)14時46分頃」
前回は、「ウクライナと米国の交渉決裂は原油高要因」として、日本の原油および天然ガス輸入単価とWTI原油価格を確認しました。
今回は、「2011年3月11日(金)14時46分頃」として、2011年3月11日(金)午後11時02分に筆者が撮影した写真を確認します。
東日本大震災発生から、14年が経過します。毎年3月11日、筆者は以下の写真を見返しています。
2011年3月11日の夜、徒歩で帰宅した際に撮影した写真です。東京都内から筆者の自宅がある埼玉県につながる幹線道路沿いの量販店前に大行列ができていました。深夜、これから数キロから数十キロを歩くかどうかの判断の末、「自転車」を購入することを決めた人たちが殺到していた様子です。
この写真を見ると、あの時刻、妻と娘だけでなく、山形県の宮城県寄りの地域に住む両親と姉の家族とも連絡がつかず、不安が膨れ上がったことが、鮮明に思い起こされます。「人の生死」を強く意識しながら、東京から離れる人の群れの一人となり、黙々と歩きました。オフィスからおよそ40キロ離れた自宅に着いたのは、日が昇る直前でした。
当該災害を機に日本では、災害対策に関する議論はもちろん、誰かを想う気持ちとは?生とは?死とは?などの議論が加速したと感じています。
先日、筆者は当該災害で甚大な被害を受けた福島県南相馬市の小高地区にある海岸を訪れました。天気が良く、波が穏やかで、遠くにタンカーなどの船舶が行き来している様子がはっきり見えました。
小高地区は同震災がきっかけで作られた合唱曲「群青」のモチーフになった場所です。同曲はいまでも日本全国で歌い継がれています。当該災害を語り継ぐ上で欠かせない、重要な一曲です。
海岸から海を見ながら、14年の月日を振り返りました。この14年。筆者個人にとって、日本にとって、大変にさまざまなことが起きました。では「世界では?」。数回に渡り、この問いへの答えを、自由度・民主度を示す指数「自由民主主義指数」もとに、導き出そうと思います。
図:2011年3月11日(金)午後11時02分

出所:東京都内で筆者撮影