ポイント72アセットのスティーブン・A・コーエン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【7】―

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◆コーエンの経歴


 第7回は、前回に取り上げたメルビン・キャピタル・マネジメントを率いるガブリエル・プロトキンが一時在籍していた米ヘッジファンド、SACキャピタル・アドバイザーズを創業したスティーブン・A・コーエンを取り上げます。コーエンはメルビンの立ち上げやゲームストップ<GME>の急騰で大損した際にも資本を注入しており、プロトキンとつながりが深い人物です。

 もっとも、SACキャピタル・アドバイザーズは2013年に発覚したインサイダー取引問題により閉鎖を余儀なくされ、その後にコーエンはヘッジファンド運営会社、ポイント72アセット・マネジメントを立ち上げました。

 コーエンは1956年にユダヤの家系に生まれ、米国ニューヨーク州ロングアイランドで育ち、ペンシルベニア大学ウォートン校で経済学を学びました。大学を卒業した1978年には、昔から知り合いで親友の兄でもあった人物を頼り、グランタル&カンパニーという地場証券に就職します。

 グランタル&カンパニーで親友の兄はオプション・トレーディング部門を率い、オプション・アービトラージ(裁定取引)を専門にして稼いでいました。当時のオプション市場は今よりも非効率的で、オプションのプレミアムが理論価格から乖離することが多く、異なる市場などで簡単にサヤ取りができたようです。

 例えば図のように、ニューヨーク証券取引所で株価500ドルのA銘柄があり、シカゴ・オプション取引所のA株の個別株オプションにおいて、権利行使価格495ドルのコールがプレミアム4ドルならば、手数料、税金を無視した場合、この銘柄を事実上499ドルで買えることになります。そのため、このコール・オプションをシカゴ・オプション取引所で買えたら、すぐにニューヨーク証券取引所で現物株を売れば、1ドルのサヤ取りができたわけです。

オプション・アービトラージのイメージ

 

◆異なるスタイルで荒稼ぎ


 もっとも、コーエン自身は過去の値動きを見ながら直感でトレードするスタイルが得意でした。そのため、リスクはほとんどありませんが、あまり利益にならないオプション・アービトラージは止めて、ヘッジもせずに大きなポジションを取り、大きく稼いでいきます。

 当時のグランタルにおいてオプション・アービトラージは大きな収益の柱でしたが、オプション市場が次第に効率的となってサヤ取りが難しくなっていく一方、コーエンのトレード・スタイルはそれ以上に稼ぐようになり、彼はオプション・トレーディング部門から独立します。次第にコーエンのトレードサイズは大きくなり、他の証券会社も無視できない存在になっていきました。

 最終的に彼は7500万ドルを運用するグランタルの稼ぎ頭となり、収益の60%+アルファという破格のコミッションを受け取っていましたが、それでも飽き足らず1992年にトレーダー9人とSACキャピタル・アドバイザーズを創業します。


 

◆創設ファンドも急拡大


 コーエンの名前が由来となっているSACキャピタルはコーエンの自己資金1000万ドルを含め、運用資金2300万ドルでスタートしましたが、運用資産は3年もしないうちに4倍の約1億ドルへと成長しました。

 この当時のヘッジファンドは一般的に運用資産の2%を運用手数料とし、利益の20%を成功報酬として顧客に要求していましたが、SACキャピタルの場合は運用手数料が同3%、成功報酬に至っては50%も要求していました。それでも好成績であったため、運用依頼は増えていったようです。

 しかし、運用資産が増えると、モメンタムに乗じたトレンド・フォロー型のトレードに限らず、これまでの運用スタイルでは稼ぎ難くなっていくものです。そこでSACキャピタルはクオンツ・トレーダーを採用し、市場データの定量分析を行って新しいトレード・チャンスを見出していくようになりました。

 ちなみにクオンツとは、英語で数量的とか、定量的などを意味する「quantitative」が語源となっており、株価などの膨大なデータを解析してトレンドを見つける投資戦略を指します。そうした戦略でトレードする投資家をクオンツ・トレーダーと言います。

 1999年になるとSACキャピタルの運用資産は10億ドル近くに膨れ上がります。そこで株式市場だけでなく、債券や為替などの市場にも手を広げるため、数十人ものグローバル・マクロのトレーダーやアナリストなどを引き入れました。

 また、2005年頃、30人程度のアナリストなどに徹底的な分析を行わせて長期投資のアイデアを探るCRイントリンシックという組織も設立し、ヘルスケアやエネルギー、テクノロジー分野の中小企業への投資も開始しました。


 

◆インサイダー取引疑惑、エランとワイス


 それでもSACキャピタルのトレード・スタイルは日々大量の取引を行いますので、注文を受ける証券会社にしてみれば超優良顧客です。このため、投資情報を最優先でSACキャピタルに伝えるなどの便宜を図ってもらうことで、トレード・チャンスが増えてさらに儲かるという好循環が生まれました。ところが、運用成績が良すぎるのも問題で、市場関係者などからは「フロント・ランニングでもしているのではないか」などと妬まれるようになります。

 フロント・ランニングとは、顧客の注文より有利な価格(同一価格を含む)で株式などの売買を行うことを目的として、顧客から受けた売買注文を成立させる前に、同じ銘柄の売買を成立させることであり、日本でも金融商品取引法で禁止されている行為です。

 さて、問題のインサイダー取引疑惑ですが、それは前述のCRイントリンシックが引き金となって2013年に発覚します。日本ではあまり聞かない商売ですが、米国では投資家に上場企業の従業員を紹介する「専門家ネットワーク」というビジネスが存在します。もちろん、法に触れることがないよう、企業の従業員が話をしてよいのは公開情報に限られる、という建前はあるようです。

 しかし、CRイントリンシックのポートフォリオ・マネージャーが同ネットワークで得たアルツハイマー治療薬のインサイダー情報により、アイルランドのバイオ医薬品メーカーであるエランと米大手医薬品メーカーのワイス(2009年にファイザー<PFE>が買収)の株式を、2008年6月に都合およそ3億ドル買い集めます。このときコーエンも都合およそ4億ドル買いました。

 その後に同治療薬の治験結果が思わしくないとの情報を結果発表前に得たため、SACキャピタルは持ち株を全て売り、さらにはエランの空売りのポジションを10億ドル近くまで積み上げました。治験結果の発表後に同株は急落に見舞われ、SACキャピタルは全体でおよそ2.75億ドルもの利益を上げたようです。ところが、インサイダー取引疑惑は、これだけではありませんでした。(敬称略、後編につづく

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。