原油反落。米主要株価指数の反落などで。68.03ドル/バレル近辺で推移。
金反落。ドル指数の反発などで。1,814.05ドル/トロイオンス近辺で推移。
上海ゴム(上海期貨交易所)反落。22年01月限は14,550元/トン付近で推移。
上海原油(上海国際能源取引中心)反落。21年09月限は421.4元/バレル付近で推移。
金・プラチナの価格差、ドル建てで803.15ドル(前日比9.95ドル拡大)、円建てで2,805円(前日比11円縮小)。価格の関係はともに金>プラチナ。
国内市場は以下のとおり。(8月5日 17時19分頃 先限)
金 6,387円/g 白金 3,582円/g
ゴム 216.8円/kg とうもろこし(まだ出来ず)
●NY金先物(期近) 日足 単位:ドル/トロイオンス
出所:楽天証券の取引ツール「マーケットスピードⅡ」より
●本日のグラフ「金市場の自由化後、投資手法の多様化が進行」
前回は、「金(ゴールド)にはどのような魅力があるのか?」として、人類が有史以来、長きに渡り人類が付き合ってきた金(ゴールド)に、どのような魅力があるのかについて、書きました。
今回は、「金市場の自由化後、投資手法の多様化が進行」として、1971年のニクソンショック後、金市場が自由化の道を歩み始め、投資手法が多様化した経緯について書きます。
話は第二次世界大戦後に飛びます。同大戦後の金相場は1トロイオンスあたり35ドルでほぼ一定でした。この状況が1970年代前半まで続きます。
当時は戦後の通貨体制の安定と各国の経済復興・発展を目的とし、各国の通貨と米ドルの交換比率を固定し、その米ドルと金(ゴールド)の交換比率を固定する、金ドル本位制が敷かれていました。金(ゴールド)の量が事実上の、米ドルを発行できる上限だったわけです。
しかし、世界各国の経済復興・発展が進み、資金需要が急増し、やがて、金(ゴールド)の量がドルの供給量を縛ることが、発展の足かせになりはじめました。
そして50年前(1971年)の8月、いわゆる「ニクソンショック」と呼ばれた、ニクソン米大統領(当時)の金と米ドルの交換停止の表明を受け、米ドルは金がなくとも発行できるようになりました。この出来事をきっかけに、徐々に各国の通貨体制は変動相場制に移行しはじめます。
金(ゴールド)は、ニクソンショック前の体制に回帰する動きを見せたスミソニアン体制が崩壊した1973年以降、名実ともに戦後はじめて、どの通貨とも関わらずに存在できるようになりました。
以下のグラフのとおり、1970年代前半以降、金相場は大きく変動する時代に突入しました。(筆者はこの一連の出来事を、金市場の自由化ととらえています)
この金相場の自由化は、金(ゴールド)の投資手法の多様化のきっかけとなりました。自由化後の金のダイナミックな値動きを求める投資家のニーズに応えるべく、取引所や主要な機関は、金投資を啓蒙(けいもう)しながら、さまざまな投資手法を開発しました。
これにより、純金積立の裾野が拡大し、金(ゴールド)に関連するETFや投資信託、さらには金のCFD(差金決済取引)の取引をすることができるようになりました。また、投資需要が増加したため産金会社への注目度が増しました。
そして、主要国の先物市場では相次いで金が上場しました。これらはいずれも、自由化後に起きたことです。投資手法が多様化したことで、投資家の方々は、投資をする期間やリスク許容度に応じて、金の取引ができるようになりました。
図:金価格の推移 単位:ドル/トロイオンス
出所:ブルームバーグのデータをもとに筆者作成
金反落。ドル指数の反発などで。1,814.05ドル/トロイオンス近辺で推移。
上海ゴム(上海期貨交易所)反落。22年01月限は14,550元/トン付近で推移。
上海原油(上海国際能源取引中心)反落。21年09月限は421.4元/バレル付近で推移。
金・プラチナの価格差、ドル建てで803.15ドル(前日比9.95ドル拡大)、円建てで2,805円(前日比11円縮小)。価格の関係はともに金>プラチナ。
国内市場は以下のとおり。(8月5日 17時19分頃 先限)
金 6,387円/g 白金 3,582円/g
ゴム 216.8円/kg とうもろこし(まだ出来ず)
●NY金先物(期近) 日足 単位:ドル/トロイオンス
出所:楽天証券の取引ツール「マーケットスピードⅡ」より
●本日のグラフ「金市場の自由化後、投資手法の多様化が進行」
前回は、「金(ゴールド)にはどのような魅力があるのか?」として、人類が有史以来、長きに渡り人類が付き合ってきた金(ゴールド)に、どのような魅力があるのかについて、書きました。
今回は、「金市場の自由化後、投資手法の多様化が進行」として、1971年のニクソンショック後、金市場が自由化の道を歩み始め、投資手法が多様化した経緯について書きます。
話は第二次世界大戦後に飛びます。同大戦後の金相場は1トロイオンスあたり35ドルでほぼ一定でした。この状況が1970年代前半まで続きます。
当時は戦後の通貨体制の安定と各国の経済復興・発展を目的とし、各国の通貨と米ドルの交換比率を固定し、その米ドルと金(ゴールド)の交換比率を固定する、金ドル本位制が敷かれていました。金(ゴールド)の量が事実上の、米ドルを発行できる上限だったわけです。
しかし、世界各国の経済復興・発展が進み、資金需要が急増し、やがて、金(ゴールド)の量がドルの供給量を縛ることが、発展の足かせになりはじめました。
そして50年前(1971年)の8月、いわゆる「ニクソンショック」と呼ばれた、ニクソン米大統領(当時)の金と米ドルの交換停止の表明を受け、米ドルは金がなくとも発行できるようになりました。この出来事をきっかけに、徐々に各国の通貨体制は変動相場制に移行しはじめます。
金(ゴールド)は、ニクソンショック前の体制に回帰する動きを見せたスミソニアン体制が崩壊した1973年以降、名実ともに戦後はじめて、どの通貨とも関わらずに存在できるようになりました。
以下のグラフのとおり、1970年代前半以降、金相場は大きく変動する時代に突入しました。(筆者はこの一連の出来事を、金市場の自由化ととらえています)
この金相場の自由化は、金(ゴールド)の投資手法の多様化のきっかけとなりました。自由化後の金のダイナミックな値動きを求める投資家のニーズに応えるべく、取引所や主要な機関は、金投資を啓蒙(けいもう)しながら、さまざまな投資手法を開発しました。
これにより、純金積立の裾野が拡大し、金(ゴールド)に関連するETFや投資信託、さらには金のCFD(差金決済取引)の取引をすることができるようになりました。また、投資需要が増加したため産金会社への注目度が増しました。
そして、主要国の先物市場では相次いで金が上場しました。これらはいずれも、自由化後に起きたことです。投資手法が多様化したことで、投資家の方々は、投資をする期間やリスク許容度に応じて、金の取引ができるようになりました。
図:金価格の推移 単位:ドル/トロイオンス
出所:ブルームバーグのデータをもとに筆者作成