サバ・キャピタルのボアズ・ワインスタイン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【16】―

ブックマーク

◆リカバリー・スワップ


 ボアズ・ワインスタイン率いるサバ・キャピタル・マネジメントは、信用(クレジット)デリバティブの一種であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)と株式を組み合わせた資本構造裁定(キャピタル・ストラクチャー・アービトラージ)を行うほか、リカバリー・スワップという手法も用いていたとされます。

 このスワップ取引は、決められた期限内に当該企業の破産(bankruptcy)や支払不履行(failure to pay)といった信用事由(クレジット・イベント)が発生した際、債券と手数料を交換するという仕組みになっています。

 例えば、A企業の経営が危機的な状況のときに、33円で取引されていた額面100円のA企業の債券を買います。その後に30円のリカバリー・スワップ契約を結ぶ(下図①)と、クレジット・イベントが発生した際(下図②)は、A企業の債券を渡す代わりに30円の手数料を取引相手(カウンターパーティ)から受け取ることができます。

 一方、リカバリー・スワップのカウンターパーティはクレジット・イベントが発生した際に、30円の手数料を支払ってA企業の債券を譲り受け、A企業の債権者として債権の回収を行います。もちろんカウンターパーティは、債券の額面に対して30%(=30円/100円×100)以上の債権回収が可能と見込んでいることでしょう。

このリカバリー・スワップは契約時に金銭のやり取りが発生しません。つまり、もしものときの損失が3円(=33円-30円)に限定されるというヘッジ取引をタダで手当てしながら、経営破綻を切り抜けた際(下図③)の債券価格の急騰を狙う、という戦略が可能になります。
 

リカバリー・スワップの簡略した仕組み

 

◆テールリスク・ヘッジ


 また、ワインスタインは2008年のリーマン・ショックで多額の損失を被った反省から、2010年にテールリスクをヘッジする戦略を導入した新しいファンドを立ち上げます。テールリスクとは、ほとんど起こりそうにない事態が起こってしまうリスクのことを指します。この言葉はリスク発生の正規分布曲線において、3標準偏差(発生確率3/1,000,000)を超えるような左右の極端な部分を尻尾(テール)に見立てたことに由来しています。
 

正規分布曲線



 このタイプのファンドはプットを買うとか、CDSで保証(プロテクション)を買うなどによってテールリスクをヘッジします。そのため、テールリスクが発生して極端なリスク回避地合いになると、非常に高いリターンが生じます。

 しかし、平時にはマイナスのリターンとなりますので、ワインスタインは後に平時のリターンがマイナスにならないような「キャリー・ニュートラル」バージョンも展開しました。キャリー・ニュートラルでは、信用力が高くて保証料が安い投資適格企業のCDSを売って得た保証料で、信用力が低く保証料が高い投資不適格企業のCDSを買って保証料を支払う、などといったロング・ショート戦略のファンドになります。

 

◆クローズドエンド・ファンド(CEF)投資戦略


 こうしたCDSを利用した取引は、前編の最後で触れた通り、2008年のリーマン・ショック以降、次第に市場規模が縮小していきます。また、中央銀行による量的緩和策が奏功して市場が荒れることも少なくなると、リラティブ・バリュー戦略が収益源とする市場の歪みも少なくなっていきます。

 2012年に「ロンドンのくじら」と呼ばれたJPモルガン・チェース<JPM>のトレーダーがクレジットデリバティブへの投資で62億ドルの損失を被った際、ワインスタインは誰が売っているかは知らないが、CDSの価格がサバ・キャピタルのモデルより安かったため積極的に買い向かったそうです。この取引でサバ・キャピタルは2~3億ドルの利益を叩き出したと言われています。それでも2012年の運用成績はマイナス。このような不調は2013年、2014年も続きました。

 これを挽回すべくサバ・キャピタルは、新しい投資戦略に基づいたファンドを2015年に導入します。それがクローズドエンド・ファンド(CEF)投資戦略でした。いつでも解約が可能なオープンエンド・ファンドと異なり、CEFは償還期限前の解約が原則としてできないファンドですが、上場していると売買は可能になります。

 この特性からCEFは、安定資金を不動産や未公開株式などといった流動性の低い投資対象へ長期投資するのに向いている、と言えます。ただ、それだけにCEFは市場で純資産価値(NAV、Net Asset Value)を大きく下回って売買されることが多くなります。

 これらを安値で大量に買い集め、集中投票権を利用して同ファンドを清算や合併、あるいはオープンエンド・ファンドに転換させることなどで、ファンドの評価をNAVに近づけて売り抜けるというのがCEF投資戦略です。こうした戦略に多くのCEFが狙われ、米国では2007年から2019年にかけて、上場CEFの数が25%も減少したと言われています。

 第12回で取り上げたラリー・フィンク率いるブラックロックが助言したCEFの幾つかは、サバ・キャピタルのCEF投資戦略のターゲットとなり、公開買い付けやオープンエンド・ファンドとの統合を余儀なくされたとされます。

 

◆特別買収目的会社(SPAC)投資


 サバ・キャピタルは特別買収目的会社(SPAC)への投資も盛んに行っています。通称「空箱」と呼ばれるSPACは、「Special Purpose Acquisition Company」の略語で、買収目的のためだけに設立された企業です。この企業を上場させて資金調達をした後、買収したい企業を探して合併することになります。

 この方法ですと買収される企業は、通常のIPO(新規公開)より公表から上場までの期間を半分から3分の1程度に短縮することが可能になる一方で、投資家にしてみれば業務内容や業績の審査、評価が曖昧で甘くなってしまうリスクが考えられます。

 SPACは日本では未だ認められていない制度ですが、米国では1980年代から存在していた制度です。この制度は近年に注目され、2020年は前年比で約4倍の250銘柄近くが上場したとされます。

 2021年10月に、サバ・キャピタルはSPACのひとつであるデジタル・ワールド・アクイジション<DWAC>を全て売却した、と報じられました。このSPACは米トランプ前大統領が新設するメディア企業、トランプメディア・アンド・テクノロジーグループとの合併を計画しており、そのことを知ったワインスタインは、即座に手放したと言われています。
 

報道を受けて急騰するSPAC



 売却の背景には、ウォール街がトランプと距離を置いていることに加え、ワインスタインが民主党支援者であり、元連邦検察官だった彼の妻が民主党員であることも大きく影響している、とみられます。ちなみに、報道によると、同時点でサバ・キャピタルは400以上のSPACに投資していたそうです。

 このようにワインスタインはサバ・キャピタルを通じて、日本では普及していない、あるいは取引が認められていないような新しいデリバティブ、また日本で取引可能でも一般の投資家が手を出せない、あるいはなじみの薄いトレード・スタイルを集中的に採用することで、先行者利益を得ようとしているようです。

 さて、彼が次に狙っているのは、どのようなデリバティブやトレード・スタイルなのでしょうか。(敬称略)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。