クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【22】―

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◆優位性を守るため徹底した秘密主義を貫く


 クオンツ投資の先駆者といわれるデービッド・エリオット・ショー(通称デービッド・ショー)が自分の名前を冠したヘッジファンド、D.E.ショー・アンド・カンパニーは、米IT大手アマゾン・ドット・コム<AMZN>の創業者ジェフ・ベゾスや元米財務長官のローレンス・サマーズ、クオンツ系ヘッジファンドのツーシグマ・インベストメントの共同創業者であるジョン・オーバーデックとデビッド・シーゲルなどが一時在籍していたことでも有名です。

 この会社でデービッド・ショーが1989年6月から始めたトレードは、主にペア・トレードに代表されるような統計的裁定取引や日本のワラント債(新株引受権付社債)、転換社債(転換社債型新株予約権付社債)や確定利付債を使った裁定取引などのマーケット・ニュートラル戦略でした。特に1990年前後の日本は価格の歪みが大きく、取引機会が多かったようです。

 こうしたトレードは似たようなトレードを行う投資家が増えれば増えるほど、投資機会が失われてしまうといった性質があります。せっかくデータ収集や解析などに巨額の資金を投じて見つけ出したアノマリー(理論的根拠のないマーケットの経験則)やパターンを、同業他社に容易く真似されては利益に結びつかなくなってしまいます。そのため、デービッド・ショーは秘密主義を貫きました。社員には他言無用の契約書にサインさせ、社内であっても売買手法については知る必要のない者には一切教えない、といった徹底ぶりだったといいます。
 

◆設立後の痛手


 1997年にD.E.ショー・アンド・カンパニーは、ビジネスを世界の顧客に拡大すべく、バンク・オブ・アメリカ<BAC>と提携します。当時はノーベル経済学賞を受賞した学者らが運用するジョン・メリウェザーのヘッジファンド、LTCM(Long Term Capital Management)が飛ぶ鳥を落とす勢いだったことから、バンク・オブ・アメリカはLTCMが行っていた債券レラティブバリュー(相対価値)戦略を取り入れたかったようです。LTCMやレラティブバリュー戦略については以下をご参照ください。

▼1998年 LTCM(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【5】
https://fu.minkabu.jp/column/667
▼1998年 LTCM(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【5】
https://fu.minkabu.jp/column/668

 この提携を受けてD.E.ショー・アンド・カンパニーは債券レラティブバリュー戦略に基づいたトレードを始めますが、提携したタイミングは最悪でした。似たようなトレードを行う市場参加者が増えて非常に稼ぎ難くなっていたほか、この年の7月にアジア通貨危機が起きて、こうしたトレードは損失が発生するようになってしまいます。

米10年国債利回り(%)
出所:各種報道

 そして、翌年の8月にはロシア財政危機が起きて、手本となるLTCMが事実上破綻してしまい、36億ドル以上の資本注入という救済措置を受ける事態となりました。もちろん、D.E.ショー・アンド・カンパニーも損失は免れず、資本金の7割以上を吹き飛ばし、従業員の約3分の2をリストラする事態に陥ります。バンク・オブ・アメリカに至ってはD.E.ショー・アンド・カンパニーへの投資により5.7億ドルを失い、関連株主訴訟を解決するため更に4.9億ドルを支払うこととなりました。
 

◆事実上の引退後に再び大学へ


 こうした騒動が収まった2002年から、デービッド・ショーは会社の日常業務を執行委員会に委ね、社運を分けるような戦略的決定以外は口を出さないようになります。元々科学者である彼はコロンビア大学に戻り、D.E.ショー・リサーチを設立。同社のチーフサイエンティストとして計算生化学の分野で様々な研究を始めます。

 加えて、1994年に当時の米クリントン大統領から大統領科学技術諮問委員会(President’s Council of Advisors on Science and Technology、PCAST)のメンバーに任命されてからは公的な活動が増え、2007年にアメリカ芸術科学アカデミー(American Academy of Arts and Sciences、AAAS)のフェローに、2009年に当時の米オバマ大統領から再び大統領科学技術諮問委員会のメンバーに、2012年には全米技術アカデミー(United States National Academy of Engineering、NAE)の会員に、そして2014年に米国科学アカデミー(National Academy of Sciences、NAS)の会員に選出されています。

 一方、彼から会社の日常業務を委ねられた執行委員会のうち、資産管理活動を担当し、2007年に金融市場に関する大統領の作業部会(President's Working Group on Financial Markets、いわゆる株価暴落防止チーム)の資産運用委員にも任命されたアン・ディニング、投資家向け広報部長を務め、マーケティング、クライアントサービス、および外部コミュニケーション部門の監督責任を負うアレクシス・ハラビーの2人は女性です。

 この2人に加えて、裁量マクロトレーディング部門とエネルギー投資部門、および再保険投資部門を監督するマックス・ストーン、クレジット部門、転換社債部門、資産担保証券部門、および株式投資部門ならびに未公開株式部門の最終的な責任を負っているジュリアス・ガウディオ、最高リスク責任者であり、会社のバックオフィスの財務業務を監督する1987年の国際数学オリンピックの金メダリスト、エリック・ウェプシック、最高執行責任者(COO)を務め、コンプライアンス部門など、いくつかの部門を監督するエディ・フィッシュマンの男性4人による都合6人が執行委員を務めています。
 

◆引退後のD.E.ショー・アンド・カンパニー


 デービッド・ショーが事実上引退した2002年辺りから、D.E.ショー・アンド・カンパニーは債券レラティブバリュー戦略を少しずつ再開しますが、それだけでなく投資の対象や地域の分散を積極的に行います。2003年にはベンチャーキャピタルを開始し、再保険や不動産にも手を出します。また、地域分散も行い、2006年にはインドに事務所を設立、2007年に香港事務所を、2010年に上海事務所を開設しました。

 一方でデービッド・ショーは2007年、D.E.ショー・アンド・カンパニーの株式20%を7〜8億ドルでリーマン・ブラザーズに売却しました。当時の投資銀行各社はヘッジファンド事業への参入を模索していました。しかし、周知の通り、翌年にリーマン・ブラザーズは経営破綻してしまいます。このときにD.E.ショー・アンド・カンパニーも再び痛手を被り、運用資産は3分の2となり、従業員の10%をリストラする事態に陥ります。

 リーマン・ブラザーズが保有していたD.E.ショー・アンド・カンパニーの株式は、経営に口を出さないとの条件が付いていたため、なかなか買い手が付きませんでしたが、2015年に米ネット検索大手アルファベット<GOOG>のエリック・シュミット会長が自分の資産管理会社ヒルスパイアを通じて買いました。もっともシュミットは以前から同社に資産運用を依頼していた経緯があり、デービッド・ショーとも既知の仲だったようです。

 また、D.E.ショー・アンド・カンパニーは2022年にはプライベート・エクイティ・ファンドを立ち上げるため資金調達を始めました。未公開株は各ヘッジファンドが狙っている最近流行りの投資対象ですが、先ほども触れた通り同社は2003年からベンチャーキャピタルを行っていますので、かなり実績があります。前編の冒頭で触れたように、同社が最近のヘッジファンド収益ランキングで高い水準を維持できたのも、こうした投資が大きく貢献したとみられます。

 そのため、同社が今回の資金調達に苦労することは少ないのでしょうが、これまでの経緯を考えると少し不安になります。1998年も2008年も、その数年前に多くの金融機関やヘッジファンドなどが似たような儲かる投資スタイルに群がり、結局はどこかが破綻して痛手を被りました。同じようなことが起きないことを祈ります。(敬称略)

 

 

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。