サバ・キャピタルのボアズ・ワインスタイン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【16】―

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◆芸が身を助ける


 第16回は、第14回の主役であったアパルーサ・マネジメントのデビッド・テッパーがゴールドマン・サックス・グループ<GS>に在籍していたときに、同じくゴールドマンでインターンとして働いていたサバ・キャピタル・マネジメントのボアズ・ワインスタインを取り上げます。彼が創設者兼CEO(最高経営責任者)であるサバ・キャピタルは2021年5月現在、約59億ドルの運用資産を保有しています。

 イスラエル系アメリカ人であるボアズ・ワインスタインは、1973年に米国ニューヨークで生まれました。5歳のときにチェスのワークショップに参加して以来、すぐに腕を上げて16歳のときには米チェス連盟からライフマスターの称号を得ています。

 また、彼はブラックジャックやポーカーといったカードゲームの達人でもあり、ラスベガスのベラージオカジノは、カードカウンター(場に出たカードを記憶して後から出てくるカードを予測できる人)として彼に施設内でのブラックジャックを禁じているほど。ポーカーにおいても、オマハの賢人ウォーレン・バフェットから招待された2005年のセレブ・ポーカー・トーナメントに参加し、高級自動車マセラティを賞品として獲得しています。

 もちろん、トレードの分野でも異彩を放っており、高校時代に参加したニュースデイ誌が後援した株選択ゲームでは7500人中トップの成績を収めたほか、15歳にしてメリルリンチでインターンとして働いていました。

 ミシガン大学に入学後、姉が勤めていたゴールドマンにインターンを申し込みに行きますが、なかなか採用されません。しかし、同社のトイレで偶然、チェスで幾度も対戦したことのある人物に出会いました。それが米チェス連盟でエキスパート(ライフマスターより格下)の称号を持つ、ゴールドマンの社債トレード部門の責任者だったのです。彼の紹介によりワインスタインは、何とかゴールドマンでインターンとして働くことができたのです。
 

◆CDSとの出会い


 1995年に大学を卒業後、ワインスタインはメリルリンチ(2009年にバンク・オブ・アメリカ<BAC>が買収)の債務取引デスクで働き、1997年にはドナルドソン・ラフキン&ジェンレット(2000年にクレディ・スイス・グループ<CS>が買収)に勤め、そして1998年にドイツ銀行<DB>に入社します。このときに彼が興味を持ったのが信用(クレジット)デリバティブでした。

 ドイツ銀行はワインスタインが入社した年に、クレジット・デリバティブの一種であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を生み出したバンカーズ・トラストを買収したばかりでした。

 CDSとは、企業の債務不履行(デフォルト)を伴うリスクの保証(プロテクション)を対象としたデリバティブです。デフォルトなどのリスクを回避したいプロテクションの買い手は、継続的な契約料(プレミアム)をプロテクションの売り手に支払う代わりに、リスクが現実となった場合、保証料をプロテクションの売り手から受け取ることができる取引です。

 ここでのリスクをクレジットイベント(信用事由)といい、日本では破産(bankruptcy)、支払不履行(failure to pay)、リストラクチャリング(restructuring、債務元本の減額、金利減免、元本または利息の支払期限の延長)の3点と定義するのが一般的です。しかし、米国においては破産、支払不履行の2点をクレジットイベントとするのが一般的のようです。

 ワインスタインが入社した1998年と言えば、LTCM(Long Term Capital Management)の破綻という大きな問題が生じた年です(詳細は以下をご参照ください)が、このときドイツ銀行はプロテクションの買い手となって大儲けしました。


▼1998年LTCM(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【5】

https://fu.minkabu.jp/column/667

▼1998年LTCM(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【5】

https://fu.minkabu.jp/column/668
 

◆資本構造裁定(キャピタル・ストラクチャー・アービトラージ)


 もっとも、ワインスタインの投資スタイルはCDSの単純な売買ではなく、キャピタル・ストラクチャー・アービトラージといったリラティブ・バリュー戦略です。リラティブ・バリューとは、マーケットが歪んだときに割安な投資対象を買い、割高な投資対象を売る戦略で、先物と現物の裁定(アービトラージ)取引が代表例と言えます。

 なかでも、キャピタル・ストラクチャー・アービトラージは、1つの企業が発行する株式や債券など、様々な金融商品の価格が歪んだときに、割安な投資対象を買い、割高な投資対象を売るアービトラージです。例えば、株式と転換社債のアービトラージなどが有名です。詳しくは、第8回「シタデルのケン・グリフィン(前編)」の「◆転換社債のアービトラージ(裁定)戦略」の章をご参照ください。

▼シタデルのケン・グリフィン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【8】―

https://fu.minkabu.jp/column/1074

 ワインスタインのキャピタル・ストラクチャー・アービトラージは、CDSと株式のアービトラージが多かったようです。例えば、プロテクションの買い手となってクレジットイベントの発生、もしくは発生リスクの高まりによるプレミアムの急騰に賭ける、と同時に株式を買ってクレジットイベントが回避されたときのリスクをヘッジします。


個別企業の経営状況による金融商品の価格推移イメージ

 あるいは反対にプロテクションの売り手となってクレジットイベントの回避に賭ける、と同時に株式を売ってクレジットイベントの発生をヘッジするといった投資スタイルです。この手法でワインスタインは数十億ドルにのぼる利益をドイツ銀行にもたらし、2001年には27歳でドイツ銀行史上最年少の常務取締役の一人に昇進しました。

 ワインスタインの自己勘定取引グループは次第にヘッジファンドと化していき、2005年には独立を見据えて独自のブランド名が許可されたほどです。同グループは2006年に30億ドルを運用して9億ドル、2007年には50億ドルを運用して6億ドルを稼ぎました。ところが、リーマン・ショックが起きた2008年には100億ドルを運用して18億ドルの損失となってしまいます。これはドイツ銀行での11年間で唯一損失を出した1年だったそうです。しかし、2009年1月までに約6億ドルを取り戻しています。

 2009年4月、ワインスタインは当初の契約通りドイツ銀行から独立し、サバ・キャピタル・マネジメントを設立します。ちなみに、サバとは「祖父」を意味するヘブライ語で、ワルシャワ・ゲットー(第二次世界大戦時にナチスドイツがポーランドの首都ワルシャワに設けたユダヤ人隔離地域)の生き残りである自分の祖父に敬意を表して名付けたと言います。

 ただ、リーマン・ショックの際に、多数のクレジットイベントの発生によりプロテクションの売り手となった金融機関が破綻し、政府の支援がなければ保証料を受け取れなくなるという事態が発生します。そのため、2007年12月のピーク時には57兆ドルだったCDSの市場規模は長期減少傾向をたどり、2020年6月には8.8兆ドルへ減少していきます。こうした状況でサバ・キャピタルはどのようにして稼いでいったのでしょうか。(敬称略、後編につづく
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。