ロコス・キャピタルのクリス・ロコス(後編)―デリバティブを奏でる男たち【40】―

ブックマーク

◆見誤っても万一の備えで利益


 今回は第28回で取り上げたグローバル・マクロ系の英国ヘッジファンド、ブレバン・ハワードの元共同創業者の一人でありながら、同社を退社して2015年にロコス・キャピタル・マネジメントを創業したクリス・ロコスを取り上げています。彼は創業の翌年である2016年、EU(欧州連合)離脱を巡る英国の国民投票において、EU残留を前提にしたポジションを取っていました。これはロコス自身が離脱を望んでいなかったことも影響したのでしょう。
 
 しかし、もしもの事態に備えてポンドが急落すると利益が出るOTM(アウト・オブ・ザ・マネー)の通貨プットオプションも仕込んでいました。投票間際のタイミングでは残留派優位との見方が大勢だったため、ポンドのプットはプレミアムが相当に値下がりしていたようです。結果は周知の通りEU離脱(ブレグジット)決定となり、完全に見誤っていたのですが、この備えが奏功してロコスは損失を回避することができました。
 
 また、同年の米国大統領選挙では、英国の国民投票時の反省もあり、マスコミの事前予想を鵜呑みにせず、トランプ候補の当選を前提にしたポジションを取って大きな利益を得ます。これらにより、ロコス・キャピタルは2016年に20%ものパフォーマンスを叩き出しました。
 

◆ロコスの得意分野


 ロコス・キャピタルの投資対象は、金利や外国為替、株式、クレジット、コモディティなどとなっていますが、ロコスはその経歴から債券や金利のデリバティブを得意とし、またイールドカーブの変化を捉えることにも長けているようです。イールドカーブとは、債券の利回りと償還までの期間との関係を示した曲線のことを指します。一般的に債券は償還までの期間が短い短期債の利回りは低く、償還までの期間が長い長期債の利回りは高くなりますので、横軸に期間、縦軸に利回りを取ったグラフでは右肩上がりの曲線を描きます。債券はその信用度によっても利回り水準が変化し、信用度が高ければイールドカーブは低く、信用度が低ければイールドカーブは高くなります。

信用度の違いによるイールドカーブの変化

 加えて、カーブの形状も常に一定ではなく、景況感などによって傾きが急になったり(スティープニング)、緩やかになったり(フラットニング)します。一般的に、景気が良い時は旺盛な資金需要、期待インフレ率の上昇、金融引き締めなどを背景に債券利回りは上昇し、悪い時には資金需要の減退、期待インフレ率の低下、金融緩和などから債券利回りは低下すると考えられています。しかし、その影響は償還までの期間によって微妙に異なり、中央銀行が金融政策により短期金利を調整するため、短期債は金融政策などの影響を受けやすい一方、長期債は投資家による将来の景況感や金融政策見通しなどを反映しやすいとされています。

 景気が回復する局面でイールドカーブは相対的に上昇しますが、将来的には景気過熱を抑えるための金融引き締めが予見されます。そのため、長期債利回りは短期債利回りよりも大きく上昇してイールドカーブはスティープニングします。これをベア・スティープニング(債券利回りの上昇は債券価格の低下を意味するので弱気な傾斜化)と言います。

景気回復時にベア・スティーブニング、景気過熱時にベア・フラットニング

 やがて景気が過熱してくると、インフレを抑えるために金融引き締めが行われる一方、将来的には景気が減速して金融引き締めは緩むと予見されます。そのため、相対的に債券利回りは上昇しますが、短期債利回りが長期債利回りよりも大きく上昇し、イールドカーブはフラットニングします。これをベア・フラットニング(弱気な平坦化)と言います。このときに景気の減速懸念が強まるようだとフラットニングが著しくなり、ついにはイールドカーブが右肩下がり、つまり長期債利回りが短期債利回りを下回ることになります。これを逆イールドと呼び、1~2年先に景気後退が訪れるシグナルと見なす市場参加者も多いようです。

 その後に景気が減速する局面を迎えるとイールドカーブは相対的に低下しますが、将来的に景気を回復させるための金融緩和が予見されます。そのため、長期債利回りは短期債利回りよりも大きく低下しながら、イールドカーブはフラットニングを継続します。これをブル・フラットニング(債券利回りの低下は債券価格の上昇を意味するので強気な平坦化)と言います。

景気減速時にブル・フラットニング、景気低迷時にブル・スティーブニング
 

◆厚い信頼


 本格的に景気が低迷してくると金融緩和が行われる一方、将来的には景気回復に伴い金融緩和が抑えられると予見されます。そのため、相対的に債券利回りは低下しますが、長期債利回りは短期債利回りよりも低下が限定的となり、イールドカーブはスティープニングします。これをブル・スティープニング(強気な傾斜化)と言います。イールドカーブはこうした変化を繰り返すわけですが、そのタイミングを測るのは難しいことです。イールドカーブの変化を捉えることを強みとしているロコスでさえも、見通しを誤って大きく損失を出した時もありました。

 特に2021年はマイナス26%と厳しい運用成績でした。10月以降の世界的な金融引き締め懸念が響いたようです。8月のジャクソンホール会合で、パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長が足元のインフレは一時的であるとしましたが、その後にカナダ中銀が早ければ2022年半ばにも利上げを行う可能性があると示唆したほか、英中銀もインフレリスクの高まりに対して躊躇なく利上げするとの考えを示し、豪中銀はYCC(イールドカーブ・コントロール)を止めるなど、にわかに金融引き締め機運が高まります。

 それまでロコスは景気回復の継続を見込んでベア・スティープニングを狙ったポジションを組んでいたようですが、慌てて巻き戻して大きな痛手を負いました。そのほか、同年4-6月期に阿里巴巴集団(アリババ・グループ)<BABA>の株式を1億ドル以上も買ったものの、中国当局による大手テクノロジー企業や営利目的の教育産業への広範な締め付けが行われて、同社株が大きく下落したことも打撃となりました。

 ところが、2022年になってすぐに、ロコス・キャピタルは10億ドルの新規資金を導入します。運用成績がマイナス26%ということは、運用資産の約4分の1を吹き飛ばしたことになりますが、2020年の運用成績がプラス44%だったことなどから、投資家は2021年の損失は一時的なものとみなしたのでしょう。

アリババ 週足
アリババ 週足

 実際、前編の冒頭で示した通り、9月の英国の金融市場混乱の中で高いパフォーマンスを得ています。2022年は他のマクロ系ヘッジファンドも運用成績は良いようですが、ロコス・キャピタルの運用成績は9月末までにプラス35%を上回ったと言われています。このようにロコスのスタートレーダーぶりは未だ健在です。そんなロコスは最近、アジアの株式市場に目を向けています。香港とシンガポールに拠点を設け、各国の資産を管理するためのライセンスを申請しました。ロコスは次の投資妙味をアジアに見出したようです。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。