[Vol.1554] BRICSプラスの歴史

著者:吉田 哲
ブックマーク
原油反発。米主要株価指数の反発などで。80.62ドル/バレル近辺で推移。

金反発。米10年債利回りの反落などで。1,950.55ドル/トロイオンス近辺で推移。

上海ゴム(上海期貨交易所)反落。24年01月限は13,180元/トン付近で推移。

上海原油(上海国際能源取引中心)反落。23年10月限は633.8元/バレル付近で推移。

金・プラチナの価格差、ドル建てで975.1ドル(前日比0.50ドル拡大)、円建てで4,588円(前日比5円縮小)。価格の関係はともに金>プラチナ。

国内市場は以下のとおり。(8月29日 18時13分時点 6番限)
9,051円/g
白金 4,463円/g
ゴム 212.8円/kg
とうもろこし 41,000円/t
LNG 6,300.0円/mmBtu(22年10月限 22年8月5日午前10時35分時点)

●シカゴ小麦先物(期近) 日足  単位:ドル/ブッシェル
シカゴ小麦先物(期近) 日足

出所:楽天証券の取引ツール「マーケットスピードⅡ」より

●本日のグラフ「BRICSプラスの歴史」
前回は、「誕生『BRICSプラス』!」として、BRICSプラスとG7の位置について、書きました。

今回は、「BRICSプラスの歴史」として、BRICSプラスの歴史について、書きます。

BRICSプラスの歴史を確認します。BRICSプラスの起源は米国の大手金融機関が発行した経済レポートであるとされています。

2001年にジム・オニール氏が書いた「Building Better Global Economic BRICs(より良い世界経済を築く BRICs)」、2003年にジム・オニール氏などの助力を受けた2人の専門家が書いた「Dreaming With BRICs: The Path to 2050(BRICsと共に夢を見る:2050年への道)」で、「BRICs」の文字を確認できます。

レポート内で「BRICs」(sが小文字)の表記になっているのは、「複数の新興国」という意味を出す意図があったと考えられます。2001年のレポート内に、Brazil, Russia, India and China(BRIC)という、単数の表記が残っており、「the BRIC」にするか「BRICs」にするか、迷ったことがうかがえます。

これらのレポートの存在は、(金融機関の働きかけがあってか)瞬く間に世界中が知ることとなり、「BRICs」(一部では「BRIC's」の表記もある)は、今後大変な成長を遂げる国のグループ、というイメージが定着しました(2000年代前半)。

当事国(当該レポート内の四カ国、南アはまだ属していない)の動きは、周囲の急成長を期待する動きにやや遅れ、2006年の国連総会で四カ国の外相が会談を行い、リーマンショック直前の洞爺湖サミット(2008年)の場で非公式の首脳会談を行い、2009年にようやく公式の首脳会談を行いました。

名づけ親も火付け役も米国で、BRICsはその流れに乗った(だけの)ようにも見えます。

2011年の第三回首脳会談で、南アフリカが加わることが決まり、5カ国になりました(これを機にsはSに変わった)。そして今年の第15回首脳会談で6カ国が加わることが決まり、「BRICSプラス」になりました。

図:BRICSプラスの歴史
図:BRICSプラスの歴史

出所:各種情報源をもとに筆者作成

 

このコラムの著者

吉田 哲(ヨシダ サトル)

楽天証券経済研究所 コモディティアナリスト
1977年生まれ。2000年、新卒で商品先物会社に入社。2007年よりネット専業の商品先物会社でコモディティアナリストとして情報配信を開始。2014年7月に楽天証券に入社。2015年2月より現職。“過去の常識にとらわれない解説”をモットーとし、テレビ、新聞、雑誌などで幅広く、情報配信を行っている。2020年10月、生涯学習を体現すべく、慶應義塾大学文学部第1類(通信教育課程)に入学。