前回はフランス最大のヘッジファンドといわれるクオンツ系のキャピタル・ファンド・マネジメント(CFM)を紹介しました。今回は同じクオンツ系の老舗の米系ファンド、アローストリート・キャピタルを紹介します。
クオンツとは「数量的」、「定量的」を意味する英単語「Quantitative」から派生した金融業界の用語です。企業業績や財務などのミクロ・データや経済指標などのマクロ・データ、あるいは株価や金利、為替などのマーケット・データを数学的な手法で解析し、市場価格の変動予測などに利用する手法、もしくはそのような方法を用いる業界関係者や関連部署を指します。
米系クオンツ・ファンドというと、第22回で取り上げたデービッド・エリオット・ショー(David Elliot Shaw)が創設したD.E.ショー・アンド・カンパニー、第23回で取り上げた第二世代のツーシグマ・インベストメント、そして第24回で取り上げたジェームズ・ハリス・シモンズ(James Harris Simons、1938-2024)が率いたルネサンス・テクノロジーズなどが挙げられます。詳細は以下をご参照ください。
▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【22】―
https://fu.minkabu.jp/column/1343
▼第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【23】―
https://fu.minkabu.jp/column/1351
▼ルネサンス・テクノロジーズのジム・シモンズ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【24】―
https://fu.minkabu.jp/column/1380
これらに比べてアローストリートはあまり知られていない存在であり、その動向が日本で報じられることはほとんどありません。しかし、創業は1999年と歴史は長く、運用資産総額も2023年3月時点で1710億ドルと、クオンツ・ファンドに限らず、他の米系主力ヘッジファンドにも全く引けを取らない規模を誇ります。ただ、アローストリートはできるだけ目立たないようにしていることでも知られるファンドのようです。
◆ファンド創設の経緯
アローストリートは、パンアゴラ・アセット・マネジメントの最高経営責任者(CEO)であったブルース・エリック・クラーク(Bruce Eric Clarke)と同社の最高投資責任者(CIO)だったピーター・ラスジェンス(Peter Rathjens)に加え、米ハーバード大学教授のジョン・ヤング・キャンベル(John Young Campbell)の3人によって創設されました。2023年3月時点で運用資産総額316億ドルのパンアゴラは、1989年にクオンツ投資の先駆者として知られるリチャード・A・クロウェル(Richard A. Crowell、1941-1998)によって創設された会社です。
もともとパンアゴラはシェアソン・リーマン・ハットン(後のリーマン・ブラザーズ、2008年に破綻)と日本生命保険相互会社による折半出資会社でしたが、米投資会社のパトナム・インベストメントが同社の株式を順次買い取って完全子会社としました。その後にパトナムは幾つかの不祥事に見舞われ、2007年にカナダの総合金融会社パワー・コーポレーション・オブ・カナダの保険子会社であるグレート・ウェスト・ライフコに買収されます。2023年にグレート・ウェストは、パトナムを米投資会社のフランクリン・テンプルトン・インベストメンツに転売しますが、この転売にパンアゴラは含まれず、現在もグレート・ウェストの子会社として資産運用を続けています。ちなみに、パワー・コーポレーションは元々、カナダ最大の証券会社であったネスビット・トムソン・アンド・カンパニーが1925年に創業した電力持ち株会社でしたので、このような社名となっています。
アローストリートの創業者であるクラークは、1957年にカナダで生まれました。同国屈指の名門大学であるブリティッシュ・コロンビアで学士号を取得した後、世界最高位のビジネス・スクールといわれる英国のロンドン・ビジネス・スクールでMBA(Master of Business Administration、経営学修士号)を取得します。
卒業後はカナダでキャリアをスタートさせ、英国、イタリア、米国で働きました。1988年から米資産運用会社のボストン・カンパニー・アセット・マネジメントで、株式のポートフォリオ・マネージャーを担当します。1993年にボストン・カンパニーの親会社であったシェアソン・リーマン・ハットンが、ボストン・カンパニーを米メロン銀行(2007年にバンク・オブ・ニューヨークと合併し、バンク・オブ・ニューヨーク・メロン<BK>となる)に売却した際、同社を辞めてパンアゴラに転籍し、CEOに就任しました。しかし、1998年にパンアゴラ創業者のクロウェルが癌で亡くなると、翌年にクラークはアローストリートを創業します。
◆他の共同創業者の横顔
もう一人の創業者であるラスジェンスは、1981年に米オーバリン大学で経済学と数学を専攻しました。1981年に世界最大の経済データ提供会社であった米データリソースでアナリストとして働き、1983年にはリーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ(合併を繰り返し1988年にシェアソン・リーマン・ハットンとなる)に転職してクオンツ・アナリストになります。1984年にプリンストン大学で経済学の博士号を取得してからは教育者に転身し、1986年に同校の経済学講師、1988年には米ブランダイス大学の経済学助教授を務めました。しかし、1990年には金融界に戻り、コロニアル・アセット・マネジメントで株式アナリストになります。1991年からパンアゴラで働き、1998年にはノーベル経済学賞を受賞した米経済学者、ポール・アンソニー・サミュエルソン(Paul Anthony Samuelson、1915-2009)の息子、ポール・R・サミュエルソンの後任としてパンアゴラのCIOに就任しました。そして、その翌年の1999年にクラークとともにアローストリートを創業します。
3人目の創業者であるキャンベルは1958年にイギリスで生まれました。英オックスフォード大学で政治経済哲学を学び、1979年に学位を取得します。その後は米イェール大学に通い、1981年に哲学の修士号を、1984年には博士号を取得しました。彼の論文指導教官であったロバート・ジェームズ・シラー(Robert James Shiller)教授は、「資産価格の実証分析」により2013年のノーベル経済学賞をユージン・ファーマ教授(シカゴ大学)、ラース・ハンセン教授(同)と共同受賞しています。キャンベルはそのシラーとともにCAPE(cyclically adjusted price-to-earnings)レシオを公式に定義しました。この指標は、インフレ調整後1株当たり利益の10年移動平均値を用いて算出する株価収益率(PER)です。一時的要因による収益変動や景気循環の影響を排除し、実質的な企業収益力による株価のバリュエーションを測るものです。
キャンベルは大学院を卒業後、1994年まで米プリンストン大学で教鞭を執り、ハーバード大学の応用経済学教授を2011年まで務めました。また、2004年から2011年までハーバード・マネジメント・カンパニーの取締役にも就任しています。ハーバード・マネジメントといえば、第72回で取り上げたコンベクシティ・キャピタル・マネジメントを率いるジャック・リーダー・マイヤー(Jack Reeder Meyer)が同社のCEOを務めていました。彼らは一時期、共に働いていたようです。ハーバード・マネジメントについては以下をご参照ください。
▼デリバティブを奏でる男たち【72】 ジャック・マイヤーのコンベクシティ(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2218
(敬称略、後編につづく)