デリバティブを奏でる男たち【87】 英クオンツ界の大御所、アスペクト・キャピタル(前編)

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 2024年1-3月期は多くのクオンツ系ファンドが円安やカカオ高などを背景に高い収益をあげたようです。クオンツとは数量的、定量的という意味の英単語(Quantitative)から派生した金融業界用語です。企業業績や財務などのミクロ・データや経済指標などのマクロ・データ、あるいは株価や金利、為替などのマーケット・データを数学的な手法で解析し、市場価格の変動予測などに利用する手法、もしくはそのような方法を用いる業界関係者や関連部署を指します。

 第37回で取り上げた世界最大の上場ヘッジファンド、英マン・グループのAHLはもちろん、第54回で取り上げたデビッド・ウィントン・ハーディング卿(Sir David Winton Harding)が率いる英ウィントン・グループの分散マクロ・ファンドは1-3月期に13%の利益を稼ぎました。第38回で取り上げた米クリフォード・スコット・アスネス(Clifford Scott Asness、通称クリフ・アスネス)がトップを務める米AQRは、マネージド・フューチャーズ・フル・ボラティリティ戦略が奏功して17.4%の利益をあげました。第84回で紹介したジャン=フィリップ・ブショー(Jean-Philippe Bouchaud)が会長を務める仏キャピタル・ファンド・マネジメントのISトレンド・ファンドも17.5%の利益を達成しています。そして今回に取り上げる英アスペクト・キャピタルは創業以来、最高の利益を叩き出したようです。各ファンドの詳細は以下をご参照ください。

▼ヘッジファンド業界の総合商社、マン・グループ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【37】―
https://fu.minkabu.jp/column/1615

▼デリバティブを奏でる男たち【54】 ウィントン・グループのデビッド・ハーディング(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/1927

▼クリフ・アスネスのAQRキャピタル(前編)―デリバティブを奏でる男たち【38】―
https://fu.minkabu.jp/column/1638

▼デリバティブを奏でる男たち【84】 フランス最大のヘッジファンドCFM(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/2420
 

◆アスペクト創設


 90億ドルを運用しているアスペクトは1997年にアンソニー・ジェームス・トッド(Anthony James Todd)、マーティン・ルーク(Martin Lueck)、ユージン・ランバート(Eugene Lambert)によって創設されました。マン・グループやウィントン・グループの章でも触れましたが、アスペクトを創業したメンバーは元々、英マン・グループのAHLで働いていました。

 AHLの物語は、モーリシャス諸島にルーツを持つマイケル・アダム(Michael Adam)が、オックスフォード大学で友人だった物理学専攻のマーティン・ルークとともに、アダムの父親の会社であるブロックハム証券で、トレード・ルールに基づくコンピュータ・プログラムを作成することから始まります。このとき彼らはアダムの父親から2.5万ポンドの資金を提供してもらい、ココア、コーヒー、砂糖、アルミ、銅、亜鉛という6つの商品先物市場でポートフォリオを組みました。

 その後に欧州最古のCTA(商品投資顧問業者)のひとつであるセイバー・ファンド・マネジメントで働いていたデビッド・ハーディングに出会います。セイバーは、1982年に元公認会計士でチャーチストのロビン・ワーウィック・エドワーズ(Robin Warwick Edwards)が共同設立した会社で、ハーディングはエドワーズの弟子でした。その後にアダムとハーディング、ルークの3人は独立し、資産運用会社アダム・ハーディング・アンド・ルーク (後のAHL)を1987年に創設します。1994年にマン・グループがAHLを完全子会社化した後、彼らはそれぞれの道を歩み始めました。ソフトウェア言語を開発していたアダムはソフトウェア会社を立ち上げましたが、後にアスペクトに合流します。資産運用ビジネスに非常に熱心だったハーディングはウィントン・キャピタル・マネジメント(後のウィントン・グループ)を創設しました。

 

◆トッドとランバート


 ルークはAHLで一緒に働いていたトッドとランバートとともにアスペクトを創設します。この社名はランバートの趣味であるグライダーに由来しています。翼幅(主翼の左端から右端までの長さ)の2乗を翼面積で除した値をアスペクト比といい、この値が大きい(つまり主翼が細長い)グライダーほど航続性能が高くなります。これは投資効率を算出する際に用いられるシャープ・レシオ(リスク1単位当たりの超過リターン)の考え方に似ていることがヒントになったようです。また、アスペクトは設立当初、機関投資家に対してマネージド・フューチャーズ戦略の提供を目的としていましたので、こうした安定感が求められたと考えられます。ちなみにランバートは2004年にアスペクトを退社し、小説の執筆のほか、グライダーや旅行など、悠々自適な生活を送るようになったそうです。

 現在アスペクトのCEO(最高経営責任者)を務めるトッドは、オックスフォード大時代からのルークやアダムの友人でした。彼は物理学の学士を取得した後の1982年から、スイスの名門投資銀行UBSグループのロンドン支店で金融のキャリアをスタートさせ、国際債券グループのアシスタント・ディレクターとして働いていました。1989年に退社し、世界トップクラスのMBA(Master of Business Administration、経営学修士)スクールといわれているフランスのINSEAD(Institut Européen d'Administration des Affaires、欧州経営大学院)でMBAを取得しています。その後は仏コンサルタント会社マース・アンド・コーで戦略コンサルタントをしていました。AHLに合流したのは1992年のことです。彼はAHLで金融エンジニアリングおよび製品開発を担当し、その後はマーケティングおよび機関投資家セールスのディレクターとしてスイスに移りましたが、AHLを退社した後にアスペクトを共同設立します。(敬称略、後編につづく)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。