◆LMEを訴えるAQRキャピタル
今回は2022年9月にLME(London Metal Exchange、ロンドン金属取引所)を訴えたことで話題になったAQRキャピタル・マネジメントを取り上げます。AQRは、LMEが2022年3月に短期急騰するニッケルの取引を停止し、その日の取引を全てキャンセルしたことを受け、訴訟を起こしました。LMEの前代未聞の決定により、多くの市場参加者にもたらされた大きな損失や逸失利益をAQRは問題視しています。
ニッケル価格の短期急騰は、項光達が率いる中国の大手ステンレス鋼メーカー、青山控股集団がニッケル価格の下落を狙って大量の売りポジションを持っていたことが背景にあります。価格上昇による損失拡大を防ぐためにプライム・ブローカーらがポジションの閉鎖を急いだために起きたようです。ちなみプライム・ブローカーとは、大口投資家に対して手数料を見返りに、信用取引のための資金や株券の調達、資産や簡単なリスクの管理、取引の決済や運用資産の調達支援など、様々なサポートを行う金融機関を指しています。
この訴訟ではAQRのほか、DRWコモディティーズ、アムステルダム証券取引所に上場しているフロー・トレーダーズ、キャップストーン・インベストメント・アドバイザーズ、ウィントン・キャピタル・マネジメントといった同業者も共同で訴えました。ウィントンは前回のマン・グループで取り上げたマンAHLの前身であるAHLの共同創設者のひとり、デビット・ハーディングがマンAHLを退職後に創設したヘッジファンドです。
▼ヘッジファンド業界の総合商社、マン・グループ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【37】
https://fu.minkabu.jp/column/1615
また7月の段階で、第27回で取り上げたポール・エリオット・シンガー率いるエリオット・マネジメント・コーポレーションが4.56億ドル、ウォール街トップのマーケットメーカーであるジェーン・ストリートが1500万ドルの賠償を求める訴えを起こしています。以前にも触れましたが、元弁護士のエリオットは債務減免を強行するアルゼンチン政府を相手に訴訟を起こし、国家資産まで差し押さえようとした兵(つわもの)です。LMEも激しく争う方針とのことですから、すぐに解決する話ではなさそうです。
▼エリオットのポール・シンガー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【27】
https://fu.minkabu.jp/column/1431
▼エリオットのポール・シンガー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【27】
https://fu.minkabu.jp/column/1438
◆マルチ・ファクター・モデルを実践
「最強のアクティビスト」と言われるエリオットと同様にLMEを訴えたAQRですが、投資スタイルはアクティビストでなく、データ解析を利用するクオンツ・ヘッジファンドとされています。この会社は1998年にクリフォード・スコット・アスネス(通称クリフ・アスネス)、デビッド・G・カビラー、ジョン・M・リュー、そしてロバート・J・クレイルの4人により創設されました。
現在、同社のトップを務めるアスネスは1966年、ニューヨーク州クイーンズのユダヤ人家庭に生まれました。1988年にペンシルベニア大学を優秀な成績で卒業。その後、シカゴ大学でノーベル賞受賞者のユージン・ファーマに学び、1994年に金融の博士号を取得しています。このときにアスネスは、価値(バリュー)と勢い(モメンタム)といった両方のファクター(要因)を利用することによって、株式市場において平均を一貫して上回る利益を達成することが可能である、との考えに至ります。そして博士課程の学生でありながら、ゴールドマン・サックス・グループ<GS>の投資顧問会社で、クオンツ・リサーチデスクのマネージャーとして働き始めました。
そもそも、ファクターに分けて期待収益率を求める考え方は、マルチ・ファクター・モデルとして1993年にファーマとケネス・フレンチが提唱したものでした。このときのモデルは、CAPM(Capital Asset Pricing Model、資本資産価格モデル)といったシングル・ファクター・モデルにサイズ(時価総額の大きさ)とバリュー(簿価時価比率、すなわちPBRの逆数)を加えた3ファクター・モデルでしたが、その2年後に収益性(ROE)と投資(総資産の変化率)という2つのファクターを加えた5ファクター・モデルを提唱しました。
こうしたファクター以外にも最近は、ボラティリティやクオリティ(利益変動率や総資産粗利率)、あるいはモメンタム(一定期間のリターン)や流動性(売買代金や売買回転率)などといったファクターを利用した研究や分析が盛んに行われていますが、これを実際の投資に利用したのはアスネスが初めてだと言われています。
アスネスはシカゴ大学の同僚であるリューとクレイルを誘い込んでマルチ・ファクター・モデルのほか、通貨や債券、経済全体のリスクを評価するモデルの開発を行い、研究成果はコンピュータ・プログラムで自動的に駆動する高頻度取引(HFT)ファンドとして一般公開されました。このファンドはその後ゴールドマン・サックス・グローバル・アルファ・ファンドとして、2007年には運用資産額が120億ドル以上にもなる大ヒット商品となりましたが、リーマン・ショックなどで大きく減少し、2011年に閉鎖されるときには運用資産が10億ドルまで減ったと言われています。
3人にカビラーを加えた4人は、グローバル・アルファ・ファンドを公開した直後の1997年にはゴールドマンを辞め、1998年には独自のクオンツ・ヘッジファンド、AQR(Applied Quantitative Research、応用定量調査)を立ち上げます。そして、2018年のピーク時には約2260億ドルもの運用資産(2022年3月末現在は約1455億ドル)を誇るまで成長させます。しかし、そこに至るまでの紆余曲折は相当に大きかったようです。(敬称略、後編につづく)