[Vol.2055] 10年前「フォルクスワーゲン問題」が発覚

著者:吉田 哲
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原油反発。米主要株価指数の反発などで。62.99ドル/バレル近辺で推移。

金反発。ドル指数の反落などで。3,734.70ドル/トロイオンス近辺で推移。

上海ゴム(上海期貨交易所)反発。26年01月限は16,040元/トン付近で推移。

上海原油(上海国際能源取引中心)反発。25年11月限は494.0元/バレル付近で推移。

金・プラチナの価格差、ドル建てで2314.9ドル(前日比13.10ドル拡大)、円建てで11,339円(前日比30円拡大)。価格の関係はともに金>プラチナ。

国内市場は以下のとおり。(9月16日 18時09分時点 6番限)
17,620円/g
白金 6,281円/g
ゴム 318.5円/kg
とうもろこし (まだ出来ず)
LNG 1,799円/mmBtu(25年8月限 5月27日15時39分時点)

●NYプラチナ先物 月足 単位:ドル/トロイオンス
NYプラチナ先物 月足 単位:ドル/トロイオンス
出所:MarketSpeedⅡより筆者作成

●本日のグラフ「10年前『フォルクスワーゲン問題』が発覚」
前回は、「中銀『ドル離れ・金(ゴールド)寄り』続く(2)」として、5年後、中央銀行(全体)の金(ゴールド)の保有比率はどうなると思いますか?という、ワールド・ゴールド・カウンシルが中央銀行を対象に実施した質問の回答を確認しました。

今回は、「10年前『フォルクスワーゲン問題』が発覚」として、ドル建てプラチナ、金(ゴールド)価格推移を確認します。

以下のグラフは、このおよそ半世紀の、プラチナと金(ゴールド)の価格推移を示しています。もともとプラチナと金(ゴールド)の価格は同じように動いていました。1970年代後半から2000年ごろまでです。

2000年代の前半、新興国の需要が急増したことなどによって、プラチナ価格は金(ゴールド)価格を大きく上回りました。しかし、リーマンショックが発生した2008年から2015年ごろまでは、先ほど述べた1970年代後半から2000年ごろまでと同様、同じような動きに戻りました。

転機は、2015年の半ばでした。突如、プラチナと金(ゴールド)の価格は、異なる動きをし始めました。貴金属の最主要品目である金(ゴールド)の価格が急上昇しても、プラチナの価格が上昇しなくなったのです。

2015年9月の「フォルクスワーゲン問題発覚」が、きっかけだったと考えられます。同社のディーゼル車に取り付けている排ガス浄化装置のテスト際、テストの時に限り、有害物質の排出量が少なくなる違法な装置を使っていたことを、米国の環境保護局が公表しました。

このことがきっかけで、ディーゼル車を否定する動きが世界中に広がりました。問題発覚直後、関係者の多くは「プラチナはもうダメだ」「プラチナの価格はもう上がらない」などと、はやしたてました。中には、金(ゴールド)を売るために、プラチナを「だし」に使う関係者まで現れました。

果たして、本当にそこまで悲観的な話だったのでしょうか。フォルクスワーゲン問題を起点とした「ディーゼル車の否定」は、当時、進行していた環境・社会・企業統治(ESG)と強く関わる「脱炭素」の一翼である「電気自動車(EV)促進」と、表裏一体だったことを考えれば、人為的に膨らんだ悲観論だったことは、否定できません。

その意味で、今日まで、プラチナ相場が長期低迷を強いられたことは、需給バランスだけでは説明できない、人為的な力学の中で起きたことだと言えるかもしれません。

図:ドル建てプラチナ、金(ゴールド)価格推移 単位:ドル/トロイオンス
図:ドル建てプラチナ、金(ゴールド)価格推移 単位:ドル/トロイオンス
出所:世界銀行のデータより筆者作成

 

このコラムの著者

吉田 哲(ヨシダ サトル)

楽天証券経済研究所 コモディティアナリスト
1977年生まれ。超就職氷河期の2000年に、新卒で商品先物会社に入社。2007年よりネット専業の商品先物会社でコモディティアナリストとして活動を開始。2014年7月に楽天証券に入社。2015年2月より現職。「過去の常識にとらわれない解説」をモットーとし、テレビ、新聞、雑誌、インターネットなどで幅広く、情報発信を行っている。大学生と高校生の娘とのコミュニケーションの一部を、活動の幅を広げる要素として認識。キャリア形成のための、学びの場の模索も欠かさない。