オークツリー・キャピタルのハワード・マークス(前編)―デリバティブを奏でる男たち【10】―

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◆ウォーレン・バフェットが絶大な信頼を寄せる人物


 第10回は、第7回で紹介したポイント72アセットのスティーブン・A・コーエンと同じユダヤ系で、同じくペンシルベニア大学のウォートン校を卒業した、オークツリー・キャピタル・グループ<現BAM>の共同創業者にして共同会長であるハワード・マークスを取り上げます。ちなみに、世界最高のトレーダーと称されるスタインハルト・パートナーズのマイケル・スタインハルトも同じユダヤ系であり、同校を卒業しています。ハワード・マークスを取り巻く相関図
 「オークツリー・メモ」または「ハワード・マークス・メモ」などと呼ばれる彼の資産運用に関する投資家宛てレターは、前回に取り上げたレイ・ダリオのマクロ分析レポート「デイリー・オブザベーションズ」と同様に非常に評判が高いようです。「オマハの賢人」と称される伝説の投資家、ウォーレン・バフェットも絶大な信頼を寄せており、彼をして手元に届いたら「何をおいても必ず真っ先に読むことにしている」と言わしめるレターです。

 また、ハワード・マークスが共同創業したオークツリーは、不良債権に投資する「ディストレスト投資」において世界最大規模の運用会社です。リーマン・ショックで最も稼いだ運用会社として知られており、2012年に米国ニューヨーク市場に上場しました。2021年3月末現在で運用資産は1530億ドルに上ると言われています。

 

◆シカゴ学派の影響、洞察力がもたらす冒険のチャンス



 1946年生まれのハワード・スタンレー・マークス(通称、ハワード・マークス)は、ユダヤ系ながらクリスチャンとしてニューヨークのクィーンズで育ちました。ペンシルベニア大学ウォートン校では財政学を専攻し、優秀な成績で卒業。その後はシカゴ大学のビジネススクールに進学し、会計とマーケティングの経営学修士号を取得しています。

 彼がシカゴ大学で学んだ頃は、1976年にノーベル経済学賞を受賞した米経済学者ミルトン・フリードマンらによるシカゴ学派が台頭し、シャープ・レシオ(リスク1単位当たりの超過リターン)、ボラティリティ(予想変動率)、システマティック・リスク(個別証券の市場全体に対する相対的なリスク)やアン・システマティック・リスク(個別証券の固有リスク)、ランダムウォーク理論(株式市場の値動きは予測不可能で、決まった法則性はないとする考え方)や効率的市場仮説など、新しい金融や投資の理論が相次いで生まれたばかりの時でした。これらの考え方は彼の投資哲学に多大な影響を及ぼした、と言います。

 この中で「効率的市場仮説」とは、市場が全ての情報を瞬時に織り込むため、市場価格は常に公正な水準を示している、とする考え方です。この仮説に従えば、市場を出し抜いて儲けることなど、ほとんどできないことになります。

 しかし、彼は独自の見解を持っており、前述した投資家宛てレターでは、市場がいつも正しいわけではない、と指摘しています。それでも市場に勝つことが難しいのは、投資家がコンセンサス(統一見解)とは異なる、より正確な見方を持ち続けることが簡単ではないからだ、と主張しています。

 また、市場が非効率的でないと判断するに十分な根拠がない限り市場は効率的だが、効率的な状態が永遠に続く訳でなく、非効率的な状態は素晴らしい投資パフォーマンスの必要条件になる、と考えました。そして、他の投資家よりも優れた洞察力を持つことで、冒険するチャンスが生まれる、と結論づけています。

 

◆共同創業とステップ・アウト戦略



 ハワード・マークスは1968年、ファースト・ナショナル・シティ・バンク(現在のシティグループ<C>)投資リサーチ部門のサマージョブに参加し、投資運用業界に興味を持ちます。大学卒業後の1969年から、同社の子会社シティコープ・インベストメント・マネジメントの投資調査部門で株式調査アナリストとして働き始め、その後に調査部門責任者を務めました。

 1978年からは同社で転換社債(正式名称を転換社債型新株予約権付社債)やハイイールド債(この当時に新しく発行されるようになった格付けがBB以下の投資不適格債券)を担当する副社長兼シニア・ポートフォリオ・マネージャーを務めます。

 1985年にトラスト・カンパニー・オブ・ザ・ウエスト(現在のTCWグループ)に移籍し、転換社債やハイイールド債、ディストレスト債(経営破綻先や不良債権先などが発行する債券)などのグループを組織・主導する担当役員のほか、TCWアセット・マネジメントの社長も務めました。

 そして、1995年に他の役員とともにTCWを退社し、オークツリー・キャピタル・マネジメントを共同創業します。同社は「損失を回避することが自ずと全体の収益率を高める」を基本理念とし、当初は転換社債やハイイールド債、ディストレスト債のほか、不動産、自己勘定での投資を管理していました。

 その後に同社は「ステップ・アウト戦略」と銘を打ち、主に欧州やアジアの市場、あるいは他業界の市場へと活動範囲を広げます。1997年には新興市場の絶対リターン投資、1999年には欧州ハイイールド債投資とパワー・オポチュニティ(電力関連事業)投資といった3つの新しいファンドを設立しました。

企業のライフサイクルと主な投資機会


 加えて、2001年には劣後債や優先株といったメザニン・ファイナンス投資、2006年には欧州やアジアでの自己勘定投資のほか欧州債務投資、2007年には米国での債務投資やディストレスト債市場でのトレード、2010年には世界のハイイールド債投資、2011年には新興市場の株式投資など、「ステップ・アウト戦略」の手を広げていきます。

 特に同社を有名にしたのは2008年のリーマン・ショック時に組成したディストレスト投資ファンドで、109億ドルもの資金を集めました。また、2009年にはブラックロック、インベスコ、アライアンス・バーンスタインなどと共に、リーマン・ショック後の救済プログラムの一環として米財務省が主導した官民投資プログラム(PPIP、Public-Private Investment Program)の参加金融機関に選ばれるほど、その実力は高く評価されました。(敬称略、後編につづく
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。