マディ・ウォーターズのカーソン・ブロック(後編)―デリバティブを奏でる男たち【19】―

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◆狙いを定めたターゲットを政府が支援



 2011年6月に公表した木材事業会社、嘉漢林業国際(シノ・フォレスト)に対する会計疑惑レポートで一躍、「時の人」となったマディ・ウォーターズのカーソン・ブロックは、その後も積極的に中国企業の不正を指摘し続けました。その過程でアジアにも調査対象を広げていきますが、政府が企業側の強力なサポーターとして立ちはだかったケースもありました。

 例えば、2012年11月にターゲットとしたシンガポールの農産物商社オラム・インターナショナルの事例です。同社の会計処理や資産評価に疑義があるとして、ブロックは「オラムの株価が下落することに賭けている」ことを明らかにします。これを受けてオラムの株価は急落しますが、当時オラムの発行済み株数の約16%を保有していた第2位の株主であるシンガポールの政府系ファンド、テマセク・ホールディングスが積極的に買い向かいます。

 もともとオラムは英国で設立された会社でしたが、シンガポール政府の積極的な誘致を受けて1996年に本拠地をシンガポールへ移した経緯があります。この背景には資源や商品のトレード拠点としての機能を強化したい、というシンガポール政府の国家戦略があったとされます。

テマセクはオラム株を買い向かうばかりでなく、オラムが実施した株主割当の債券やワラントに対して、他の株主が引き受けない分を全て引き受ける、と表明したほどです。そして、発行済み株数の半分以上を取得した後、ついには傘下のファンドを通じたTOB(株式公開買い付け)まで実施して、オラム株を8割以上も保有する大株主となりました。
 

◆日本でのケース、神通力は通用せず


 マディ・ウォーターズは日本企業もターゲットにしたことがあります。2016年12月に精密小型モーター大手の日本電産<6594>を「永守重信会長兼社長の下、非現実的な経営目標を掲げ、目標から大幅に離れた結果しか出していない。M&Aを除けば、継続事業の成長率はほぼゼロで、株価は倍以上に過大評価されている」として空売りを仕掛けました。

日本電産<6594>(分割調整後、円)

 同じ年に第18回で取り上げたシトロン・リサーチのアンドリュー・レフトが、東証マザーズ上場のCYBERDYNE <7779> [東証M]を汚物呼ばわりして空売りを仕掛けるなど、空売り投資家(ショートセラー)によって日本企業が狙われたときでもありました。しかし、日本電産の株価は大きく下がらず、2017年は大幅高となります。

 また、マディ・ウォーターズは2019年11月に創薬ベンチャーのペプチドリーム<4587>をターゲットとしました。ペプチドリームの会長が同社の治療薬をジャガー「Fタイプ」のスポーツカーに例えたことを引用し、マディ・ウォーターズはペプチドリームの開発体制を車輪のないスポーツカーであると切り捨てたのです。

ペプチドリーム<4587>(円)

 その理由は、19社との提携、ならびに100以上の開発プログラムの大半は休止状態、あるいは実質的に消滅したプログラムであること、2027年までに上市できる製品数は多くても1品にとどまると予測したことなどでした。これらを根拠に、「営業利益の実態を逸脱した情報を社外へ公表し、それによって不当な過大評価を受けた銘柄と判断する」と主張。同社株に空売りを仕掛けたほか、YouTube(ユーチューブ)を使って同社の問題点を指摘します。

 2020年に入り、ペプチドリームの株価は下落しましたが、それはマディ・ウォーターズのレポートが要因というよりは、新型コロナウイルスの感染拡大によって株式市場全体が急落に見舞われたためだと考えられます。このように東京株式市場においては、ブロックの神通力はあまり通用しなかったと言えるでしょう。
 

◆ヘッジファンド立ち上げ後に嫌気


 前回の最後に「ブロックも真剣に引退を考え、教師にでもなろうかと悩んだ時期もあった」と記しましたが、その原因はヘッジファンドの立ち上げ後に起きた出来事にあります。2015年後半にブロックはヘッジファンド会社、マディ・ウォーターズ・キャピタルを立ち上げました。管理費は預入資産額の2.5%、成功報酬は30%と通常のヘッジファンドより手数料は高めに設定されていたようですが、高い運用成績を背景に2021年3月現在およそ2.6億ドルを運用するまでに成長しました。

 ところが、ブロックはファンド立ち上げ後、欧州で3つのトラブルに巻き込まれてしまいます。調査対象を欧州にまで広げた結果、2016年8月にフランスで医療機器メーカーのセント・ジュード・メディカル(現在のアボット・ラボラトリーズ<ABT>)から名誉棄損で訴えられたのです。同社のペースメーカーなどの埋め込み型医療機器はハッキングに対して非常に脆弱であると主張するマディ・ウォーターズの報告書は「虚偽であり誤解を招く」と反論を受けます。

 また、2016年にはフランスの量販店大手、カジノグループの複雑な構造と会計慣行を批判して空売りを仕掛けたことに関し、フランス金融市場庁(AMF)によって調査されます。加えて2017年の後半には、ドイツの広告看板会社ストローア(現在のストローアSE & Co. KGaA)に対する空売りで、ドイツ連邦金融監督庁(BaFin)からも市場操作疑惑で調査を受けました。これらについては後に全て「問題なし」との結論が出ますが、それまでブロックは精神的に追い詰められ、真剣に引退を考えさせられたようです。
 

◆プライム・ブローカーの嫌がらせ


 また最近でもブロックは、プライム・ブローカーから嫌がらせを受けていたといいます。プライム・ブローカーとは、ヘッジファンドなどに対して手数料を見返りに、信用取引のための資金や株券の調達、資産や簡単なリスクの管理、取引の決済や運用資産の調達支援など、様々なサポートを行う金融機関のことです。

 シトロン・リサーチのアンドリュー・レフトを取り上げた第18回でも触れましたが、マディ・ウォーターズはニューヨーク証券取引所に上場している中国のオンライン教育プラットフォーム、跟誰学(GSXテクエデュ、現ガオツ・テクエデュ<GOTU>)の空売りに参戦していました。しかし、その後に株価は大きく値上がりしており、ショートセラー達は踏み上げられた可能性が高いこと、そして第1回で取り上げたアルケゴス・キャピタルのビル・フアンが、2021年3月に巨額損失問題を引き起こす直前で大量保有していた銘柄である点も以前に触れた通りです。

 加えて、この銘柄にはビル・フアンの弟子である李淘(リー・タオ)が率いるヘッジファンド、腾跃基金(テン・ユー・パートナーズ)もデリバティブを用いたレバレッジ買いで参戦していました。さらにシンガポールを拠点とするQQQ Capital Managementの創設者、銭永強(チン・ヨンクァン)も、売り方のショートスクイズ(玉締め)を狙ってGSXのプット・オプションの売りを仕掛けていたようです。

 また、ビル・フアンと同じタイガーカブのチェイス・コールマン率いるタイガー・グローバル・マネジメントもGSXの株主として名前が挙がっていたと言います。タイガーカブとは、第2回で取り上げたタイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソンが引退した後に支援した元従業員たちのことです。詳細は以下をご参照ください。

▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【2】

https://fu.minkabu.jp/column/955

 ビル・フアンらと懇意にしているプライム・ブローカーは、こうしたGSX株に売り向かうショートセラーとの取引を拒否したといいます。マディ・ウォーターズはクレディスイスから取引を拒否されました。クレディスイスはGSXのIPO(新規公開)主幹事証券だったほか、アルケゴスとの取引で44億スイスフラン(約5200億円)もの巨額損失を被ったことは周知の通りです。

 もっともブロックに言わせると、ショートセラーという呼び名は必ずしも正確ではないそうです。自分たちの評価より株価が大幅に安い企業を見つけたら、将来は「買い推奨」のレポートを出す可能性もあるからとのこと。しかし、2021年12月に不動産仲介プラットフォームを運営する中国企業、貝殻找房(KE Holdings< BEKE >)が粉飾決算の疑いありと指摘するなど、相変わらずのショートセラーぶりを発揮しています。今後のブロックの動向に注目していきましょう。(後編につづく)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。