ミレニアムのイジー・イングランダー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【25】―

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◆人へのマルチ・ストラテジー


 イジー・イングランダーのミレニアムは設立当初、ロング・ショート戦略や企業の合併などに伴う裁定取引、転換社債(転換社債型新株予約権付社債)やワラント(新株予約権)と株式を組み合わせた裁定取引などを行っていましたが、次第に運用の軸足を金融商品ではなく、人にシフトしていったようです。前編でミレニアムの投資戦略はマルチ・ストラテジーとしましたが、それは様々な戦略を用いるトレーダーやファンド・マネージャーなどを引き込んだ結果ではないでしょうか。2022年3月現在ミレニアムでは、こうした投資のチームを270も抱えているそうです。

 もちろん競争相手からの引き抜きも行ったためか、トラブルになったケースも散見されました。例えば第24回に取り上げたジム・シモンズ率いるルネサンス・テクノロジーズで働いていた物理学者パベル・ヴォルフベインとアレクサンダー・ベロポルスキーを雇ったのですが、2003年にルネッサンスは情報を盗んだとしてミレニアムを相手に訴訟を起こします。この件についてミレニアムは不正を認めなかったものの、2007年に二人を解雇し、2000万ドルをルネッサンスに支払って和解しました。

 またミレニアムは、トレーダーやファンド・マネージャーなどを引き込むだけでなく、元従業員などが設立したファンドも含め、多くの同業他社にも投資しています。2022年に入ってミレニアムは、新興クオンツ・ヘッジファンドのエンジニアズ・ゲートを、第7回で取り上げたスティブ・コーエン率いるポイント72アセット・マネジメントと競って買収を目指している、などとも報じられていました。

▼ポイント72アセットのスティーブン・A・コーエン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【7】
https://fu.minkabu.jp/column/1059
▼ポイント72アセットのスティーブン・A・コーエン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【7】
https://fu.minkabu.jp/column/1067

 しかし、運用成績に対しては極めてシビアなようで、稼げない投資チームや投資対象のファンドは次々と契約を解除していきます。2018年には利益が出ていた傘下のクオンツ・ヘッジファンドを閉鎖して周囲を驚かせました。このファンドは「カオス理論」の発展に重要な業績を残した物理学者ドイン・ファーマーとノーム・パッカードが運用しており、2013年にミレニアムが買収したものです。運用成績はスタットアーブ(統計的裁定取引)系ファンドの平均を上回っていたようですが、運用を続けるには十分でなかったそうです。
 

◆経営メンバー


 ミレニアムを経営しているのは、創設者のイングランダーのほか、以下4人の上級管理職チームのメンバーとみられます。まずボビー・ジャインが共同最高投資責任者として名を連ねています。彼は欧州系金融大手クレディ・スイス<CS>に20年間勤務し、資産運用のグローバル・ヘッド、グローバル証券の共同ヘッド、株式および債券の自己勘定取引のグローバル・ヘッドなど、さまざまな役職を歴任した後、2016年にミレニアムに入社しました。

ミレニアムの経営メンバー

 また副会長のサイモン・ローンは最高法務責任者を務めています。彼は元々、米国証券取引委員会(SEC、Securities and Exchange Commission)の法務顧問を務めていましたが、1996年に米系名門投資銀行ソロモン・ブラザーズ(現在は米系金融大手シティ・グループ<C>の一角)のマネージング・ディレクターとして内部監査のグローバルヘッドに転職しています。その後2004年にミレニアムへ入社しました。

 加えて同社の最高執行責任者(COO)であるアジェイ・ナグパルは、2013年にミレニアムへ入社する以前、英系金融大手バークレイズ<BCS>のプライム・サービス(ヘッジファンドなどの大手顧客サービス)のグローバル・ヘッドを務め、担保付き資金調達、プライム仲介、清算活動にわたるすべての活動を監督していました。

 そして投資家との関係構築、および顧客開拓を担当しているグローバル・ヘッドがジョン・ノボグラッツです。彼は2009年にミレニアムへ入社する前は、ディストレスト(経営破たん)系ヘッジファンドのフォートレス・インベストメント・グループ(現在はソフトバンク・グループ<9984>の傘下)でマネージング・ディレクター兼ロンドンのキャピタル・フォーメーション・インターナショナル(ベンチャー・キャピタルなどの資本形成サポート部門)のヘッドとして約6年間勤務していました。

 最後にシステム系の担当責任者として、ヴラド・トルゴヴニクが最高情報責任者(CIO)を担当しています。2011年にミレニアムへ入社する前は、米系大手金融バンク・オブ・アメリカ<BAC>に勤務し、直近ではコンシューマー・テクノロジー&オペレーションズ、およびホーム・ローンズ・アンド・インシュアランス・テクノロジー・グループのCIOを務め、同行最大のテクノロジー・インフラストラクチャを監督していました。


 このほかミレニアムにはイングランダーの後継者と目されていたマイケル・ゲルバンドという人物がいました。彼は元々、米系名門投資銀行リーマン・ブラザーズで債券や資本市場のグローバル・ヘッドを務めていました。同行が破たん後ミレニアムへ入社し、債券部門のグローバル・ヘッドを務めていましたが、ミレニアムを飛び出して投資会社エクソダスポイント・キャピタル・マネジメントを創設。2018年から運用を開始しています。
 

◆運用資産の安定を目指す


 ミレニアムは近年、ゲート条項を導入することで運用資産の流出を少なくしようとしています。ここでいうゲートとは分割払いという意味で、解約を申し出ても一定期間に一定割合しか投資資金を引き出せない制度のことを指します。ファンドが流動性の低い資産に資金を投じている場合、あるいは市場が乱高下している場合、投資成果が出る前に顧客の都合で運用資産を大量に引き出されると、投げ売りによる損失を余儀なくされる可能性がありますので、そうした事態を避けるための手段として用いられます。

 このゲート条項には「投資家レベル」、「ファンド・レベル」 など、さまざまな基準が存在しており、「投資家レベル、四半期で25%ゲート」となると、投資家は四半期ごとに最大で投資額の25%ずつしか解約できないことを意味します。また「ファンド・レベル、四半期で25%ゲート」となれば、ファンドの解約可能額は四半期ごとに運用総額の25%まで、という意味になります。

ゲート条項の概念図

 ミレニアムは2021年末、運用資産150億ドルの返還と100億ドル再募集の実施を発表しました。その際に再募集は「投資家レベル、四半期で5%ゲート」という条件を付します。つまり解約を申し出てから投資資金を全額回収するのに、5年もの歳月を要するという条件です。こうした厳しい条件を投資家に対して付けられるのも、前編の最後で示しました通り、創設以来の年間運用成績でマイナスは1回だけという、安定した収益を叩き出してきた実績があるからなのでしょう。(敬称略)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。