◆アベノミクスに賭ける
アラン・ハワードが共同で創業者したグローバル・マクロ系の英国ヘッジファンド、ブレバン・ハワード・アセット・マネジメントは、稼ぎ頭のクリストファー・チャールズ・ロコス(BrevanのR)が退社した翌年の2013年、日本で大きな賭けに出ました。それは当時就任したばかりの安倍晋三首相が先導したアベノミクスの「大胆な金融政策」に乗じて、「円売り・日本株買い」のポジションを膨らませたことです。
このポジションは同年5月中旬までは順調に評価益を膨らませていきましたが、同月にテーパータントラム(量的緩和の縮小を意味するテーパリングと、かんしゃくを意味するテンパータントラムを組み合わせた造語)、あるいはバーナンキ・ショックとも呼ばれる市場の混乱が発生しました。当時のバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長の発言がきっかけとなり、量的緩和が縮小された後に巻き戻されることで株価は大きく下落するとの懸念が台頭。ブレバン・ハワードは運用成績が暗転し、その後3カ月はマイナスに転じたと言われています。
出所:日足、各種報道
しかし、ブレバン・ハワードは同年11月に再び賭けに出ます。今度は金融引き締めに向かいつつあるFRBと大胆な金融緩和を継続する欧州中央銀行(ECB)や日銀など、異なる金融政策の方向を意識してドル買い・ユーロ売りやドル買い・円売りなどのポジションを高めたほか、またしても先物やオプションを通じて日本株買いに挑みます。もっとも、このときの日本株買いについてはやや懐疑的だったらしく、運用資金を提供していた日本の企業年金担当者に「日本経済の実態」をヒアリングしていたといわれます。
◆試練の時代
ブレバン・ハワードが賭けに出た背景には、大口投資家の撤退もあったと考えられます。2013年に英国の地方自治体の年金を運用するロンドン年金基金局(LPFA 、London Pensions Fund Authority)は、ブレバン・ハワードから投資資金を引き揚げることにしました。その理由は、ブレバン・ハワードが取引ポジションの詳細な内訳を提供しなかったためでした。しかし、そのようなことをすれば他の市場参加者から狙い撃ちされる可能性が高まり、パフォーマンスが悪くなってしまうため、ブレバン・ハワードが提供を拒否したのは当然だったのかもしれません。
かような無理難題をLPFAが言い出したのは、当時の英国政府が高いファンド手数料とファンド・マネージャーの高い報酬を問題視していたからであり、さかのぼってみれば前編で指摘したように、高い税金と規制の強化を嫌がって英国から脱出したファンドに対する嫌がらせだった可能性が考えられます。ただ、LPFA撤退の影響は大きく、2014年には運用成績が初めてマイナスとなったことも災いして、その後も運用資産の流出が続きました。
ブレバン・ハワードは、運用成績の悪化について運用資産が大きくなりすぎたため、お金を稼ぐ機会を見つけるのが難しくなったことも背景にあると考えていたので、ある程度の運用資産の流出は悪くない話です。しかし、あまりに流出が大きくなるのも問題で、これを食い止めるためブレバン・ハワードは2016年に管理手数料0%のマルチ戦略ファンドを立ち上げたほどでした。
◆主力ファンド・マネージャーの流出
また、共同創業者ではありませんが、主力ファンド・マネージャーの退社も続きます。2014年にはエマージング・マーケット・ファンドの著名な女性ファンド・マネージャー、ジェラルディン・サンドストロームが退社しました。彼女は2007年にルイス・ベーコン率いるムーア・キャピタルからブレバン・ハワードへ移籍し、運用資産およそ20億ドルのブレバン・ハワード・エマージング・マーケッツ・ストラテジーズ・マスター・ファンド・リミテッドを運用。しかし、2013年の米金融引き締め観測を受けて新興市場から資金が流出。同ファンドは15%もの損失を被り閉鎖します。その後に彼女は退社し、ドイツの大手保険会社アリアンツの傘下にある世界最大級の債券運用会社ピムコ(PIMCO、Pacific Investment Management Company)へ移籍しました。
また、2015年にはクレジット・ファンドの運用を任されていたデビッド・ウォーレンも退社します。米名門投資銀行モルガン・スタンレー<MS>のストラクチャード・クレジット事業の元責任者であった彼は、2008年にブレバン・ハワードへ移籍。ブレバン・ハワードが上場させたファンドのひとつ、ブレバン・ハワード・クレジット・カタリスト・リミテッド(後にデビッド・ウォーレン・カタリスト・ファンドに銘柄名を変更、2017年8月に上場廃止)などを運用していました。しかし、運用に自信を持ったウォーレンは独立を決意。投資家の支援を得て2015年に独自の運用会社であるDWパートナーズをブレバン・ハワードから分離し、上場ファンドを含む50億ドル以上もの管理権を取得します。彼の独立はブレバン・ハワードにとって大きな痛手となりました。
さらに2016年には、ベン・メルクマンもブレバン・ハワードから独立しました。モルガン・スタンレーやドイツ銀行<DB>で働いていたメルクマンは、2009年にブレバン・ハワードへ移籍。アルゼンチンを始め、新興国などへの投資で注目されました。しかし、独立して独自のファンド、ライト・スカイ・マクロを創設します。このファンドにブレバン・ハワードは出資しませんでしたが、タイガー・カブ(第2回で取り上げたジュリアン・ロバートソン率いるタイガー・マネジメント出身)であるコーチュ・マネジメントの創業者フィリップ・ラフォン、ムーア・キャピタルの創業者ルイス・ベーコン、第7回で取り上げたポイント72アセットの創業者スティーブン・A・コーエン、そして第15回で取り上げたサードポイントの創業者ダニエル・ローブに至るまで、そうそうたる面々から出資を募ったようです。
◆成績回復後に引退
運用成績の悪化と、運用資金や主力ファンド・マネージャーの流出といった試練の時代は2018年以降、和らいでいきます。この年にブレバン・ハワードはイタリア国債の売りポジションで大きく稼いだとされます。同年3月の総選挙を受けてイタリアでは6月にポピュリスト政権が誕生。欧州連合(EU)と対立して国家債務を増やすのではとの懸念が高まり、イタリア国債の利回りが大きく上昇(債券価格は低下)しました。こうしたトレードが奏功し、前編の冒頭でも示しましたが、LCHインベストメンツによるヘッジファンド収益ランキングにおいて2018年に8位にランキングされたほどです。
また、2019年にはECBとFRBが金融緩和へ動くとの観測に基づいたトレードを展開。欧州債や米国債の買いによって稼ぎました。加えて金利と外国為替、特にユーロ金利を専門とするアルフレド・サイッタ、金利ストラテジーに強みを持つファッシュ・ゴルチン、アジア・マクロが専門のナル・バスワルなどの同社ファンド・マネージャーも稼いだようです。ただ、この年にアラン・ハワードは経営の第一線から退き、運用に専念することにしました。彼の代わりにCEOを引き継いだのは、2003年から最高リスク責任者(CRO)を務めていたアロン・ランディです。彼はブレバン・ハワードに移籍する以前、第25回で取り上げたミレニアム・グローバル・インベストメンツでエクイティ・マーケット・ニュートラル・ファンドを管理していました。
一方、アラン・ハワードは最近、暗号資産に新たな投資機会を見出しているようです。といっても暗号資産をトレードするというより、暗号資産の関連会社に出資することが話題になっていました。具体的には、英国の暗号資産保管および取引技術プロバイダーのカッパー、スウェーデンに上場している暗号資産運用会社のコインシェアーズ、野村総研<4307>も出資する日本の機関投資家向け暗号資産管理会社のコマイヌなどです。この分野は未だ発展途上でしょうが、彼のような投資家が集まることで今後大きく飛躍する可能性が期待されます。(敬称略)