リー・エインズリー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【29】―

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◆タイガー・カブ


 今回はタイガー・カブ、つまり第2回で触れたジュリアン・ロバートソン率いるタイガー・マネジメント出身である、マーベリック・キャピタルのリー・エインズリーを取り上げます。『デリバティブを奏でる男たち』では、これまで第1回の「アルケゴス・キャピタルのビル・フアン」第20回の「タイガー・グローバルのチェイス・コールマン」など、折に触れてタイガー・カブを取り上げてきました。

 2022年5月の報道では、タイガー・カブが米動画配信大手のネットフリックス<NFLX>や米オンライン中古車販売のカーバナ<CVNA>、カナダの電子商取引大手ショッピファイ<SHOP>など、2021年に大化けした成長株を大量に保有しているとのこと。それらの株価が過去半年あまりに急落したことを受けて巨額の損失を計上し、顧客の怒りをかっているそうです。2022年3月現在の運用資産額が約56億ドルと見られるマーベリックも、そのひとつとして挙げられていました。

急落する代表的な米成長株
出所:日足、いずれもNY市場の価格、単位はドル

 前回のブレバン・ハワードと言えば共同創業者のアラン・ハワードを指すように、マーベリックと言えば、そのオーナーであるリー・エインズリーを指すことが多いと見られます。しかし、エインズリーがマーベリックの共同創業者なのかは色々と見方が分かれるようです。元々は米国テキサス州の実業家であったサム・ワイリーが1990年に自己資金を運用したのが、マーベリックのベースとなっています。この運用にワイリーの息子エバンとエインズリーが参加したのは1993年のことでした。
 

◆マーベリックとは


 ちなみに、マーベリックとは英語で「異端者」や「一匹狼」などを意味する俗語ですが、元々はテキサスの開拓者であり政治家だったサミュエル・オーガスタス・マーベリック(1803~1870年)が、自分の所有している牛に焼印を押すことを拒否したことが語源になっているようです。これをきっかけに無印の牛を「マーベリック」と呼んでいたそうですが、そこから転じて独自に自分の方針を貫く頑固な人を指すようになったと考えられています。

 この言葉を社名にしたと考えられる元のオーナー、サム・ワイリーの破天荒な人生は、まさに「マーベリック」だったのかもしれません。1934年に米ルイジアナ州で生まれたサミュエル・エヴァンス・ワイリー(通称サム・ワイリー)は、ミシガン大学、ルイジアナ工科大学でコンピューター・プログラムを学びます。その後、IBM(インターナショナル・ビジネス・マシンズ)<IBM>、機械メーカーのハネウェル・インターナショナル<HON>を経て、1963年にエンジニアや科学者、研究者にサービスを提供するユニバーシティ・コンピューティング・カンパニー(UCC)を設立。2年後に同社を上場させました。

 更に2年後には10店舗のレストランチェーンを買収し600店舗に拡大させて売却したり、電話事業を当時独占していたAT&T<T>と競争するための全国的なデジタルネットワークを構築したり、あるいは石油精製・銀鉱山会社などを共同で設立。また、メインフレーム(大型汎用機)・ソフトウェア会社を設立してITバブルで売り抜けたり、電子商取引ソフトウェアとネットワークサービスのプロバイダーも手掛けるなど、その活躍は多岐にわたります。

 加えて、美術品店から6つのアート&クラフト店を買収し、全国的な芸術品と工芸品の小売業者に成長させて売却。これらで巨万の富を築いたようです。ところが、脱税で内国歳入庁(IRS、Internal Revenue Service)から、証券詐欺で証券取引委員会(SEC、Securities and Exchange Commission)から起訴され、賠償金を一部支払った後の2014年に破産してしまいました。今ではテキサス州北部のダラスにある老人ホームで静かな余生を送っているとのこと。ちなみに、彼の娘クリスティアナは、電気自動車大手テスラ<TSLA>の最高経営責任者(CEO)であるイーロン・マスクの弟キンバルと結婚しました。

テスラも代表的な米成長株
出所:日足、単位はドル
 

◆エインズリーのマーベリック


 一方、リー・S・エインズリー3世(通称リー・エインズリー)は、1964年に米バージニア州で生まれました。父親が校長を務めていた私立高校を卒業した後は、バージニア大学に進学。そこでシステムエンジニアリングの理学士号を取得します。卒業後は世界4大会計事務所(Big4)の一角を占めるKPMGでコンサルティング業務を行う傍ら、ノースカロライナ大学チャペルヒル校ケナン・フラッグラー・ビジネススクールでMBAを取得。そして、ジュリアン・ロバートソンのタイガー・マネジメントへ転職します。

 エインズリーはタイガーでマネージング・ディレクターとして働いていましたが、前述の通り1993年にマーベリックに参加しました。1994年からマーベリックは外部の資金も運用するようになり、エインズリーがマーベリックの所有権を買い取った1997年には60億ドルを運用するくらいまで成長します。2000年にタイガーが閉鎖される直前では、タイガーとの合併も模索されるほどでした。

 このような経緯のあるマーベリックですが、その運用スタイルはヘッジファンドの創始者アルフレッド・ウィンスロー・ジョーンズの考え方に基づいていると言います。1949年にジャーナリストだったジョーンズは割高株を売り、割安株を買うという当時にはなかった売買手法を考え出し、資産運用会社AWジョーンズアンドカンパニーを立ち上げました。これが最初のヘッジファンドとされています。

 つまり、マーベリックは割高株を売り、割安株を買うというロング・ショート戦略を今でも貫く古いタイプのヘッジファンドといえるでしょう。グローバル・マクロ系ファンドが手掛ける債券や為替、金利などは触らず、株式のみに投資する典型的なストック・ピッカー(銘柄選択者)です。ただ、エインズリーは他のヘッジファンド・マネージャーとは異なり、自分の専門は売買のタイミングではなく、銘柄選択であると認識しているようです。(敬称略、後編につづく

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。