ヘッジファンド業界の総合商社、マン・グループ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【37】―

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◆マンGPM


 世界最大の上場ヘッジファンドである英マン・グループは、マンAHL、マン・ヌーメリック、マンGLG、マンGPM、マンFRMの主力5社により構成されています。前編では、マンAHL、マン・ヌーメリック、マンGLGの3社を取り上げましたので、後編ではマンGPM、マンFRMについて触れていきたいと思います。

▼ヘッジファンド業界の総合商社、マン・グループ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【37】―
https://fu.minkabu.jp/column/1615

 2017年にマン・グループが創設したマンGPM(グローバル・プライベート・マーケッツ)は、2016年に買収したブリッジ・レーン・キャピタルと2017年に買収したアアルト・インベストメント・ホールディングスがベースになっています。

 ベースとなったブリッジ・レーンは元々、ヘッジファンドのホワイトキャップ・アドバイザーズでマネージング・ディレクターを務めていたブライアン・ブローズダーとウェスティン・ロヴィが2012年に共同で設立した、未上場企業の債務に投資するヘッジファンドでした。
 
 また、ベースとなったもう1社のアアルト・インベストメントは、ミッコ・ヴァルテリ・シルヤネンとペテリ・ベルンハルト・バーマンが2010年に共同で設立した、米国および欧州を拠点とする不動産投資会社でした。

 ブリッジ・レーンとアアルトを統合したマンGPMは、不動産やクレジット、インフラストラクチャなどの非公開市場への投資に強みを持っています。このマンGPMは、UBSグループ<UBS>からマン・グループに転籍し、マルチ・マネージャー・ビジネス部門を経て現在はマンGPMの責任者となっているエリック・バールと、マン・グループでグローバルセールス製品管理責任者を務めていたイアン・スワロー最高執行責任者(COO)が共同で管理しています。
 

◆マンFRM


 一方、マンFRM(ファイナンシャル・リスク・マネジメント)は、野村ホールディングス <8604> [東証P]の日本法人で働いていたブレイン・トムリンソンが、1991年に設立したFRMがベースになっています。FRM は90年代後半から機関投資家向けに、ヘッジファンドに投資するファンドを運用し、その分野では革新的な企業と評されていました。
 
 マン・グループはファンド・オブ・ヘッジファンズ商品の強化を狙い、2012年にFRMを買収。マルチ・マネージャー・ビジネス部門と統合してマンFRMが誕生します。その後、2014年にはクレジット投資のヘッジファンドであるパイングローブ・アセット・マネジメントを買収。2015年にメリルリンチ・オルタナティブ・インベストメンツのファンド・オブ・ヘッジファンド・ポートフォリオを買収するなど業容を拡大してきました。
 
 ヘッジファンドの投資スペシャリストとなったマンFRMは現在、CEO(最高経営責任者)のマイケル・ターナーが率いています。彼はマンFRMに参加する前は、アスペクト・キャピタル・マネジメントでリサーチ責任者をしていました。アスペクト・キャピタル・マネジメントは、マンAHL の前身であるAHLの共同創業者マーティン・リュックが、マン・グループを退社後に創設したクオンツ・ファンドです。マイケル・ターナーは2007年にマンFRMに参加し、COOを務めた後、CEOへと昇格しています。
 

◆破綻したMFグローバル


 このようにマン・グループは関連業者の買収を繰り返して巨大化していきますが、買収だけでなく分社化も実施しています。前編では2000年に商社部門をED&Fマンとして分社化したことに触れましたが、そのほかにも仲介事業部門を分社化しています。マン・グループは1981年にアンダーソン・マン先物ブローカーを設立して同事業に参入。90年代前後からGNPコモディティに始まり、ゲルダーマン、タレット・アンド東京フューチャー、オード・ミネット、GNIなど関連業者の買収を繰り返します。

 2005年には米シカゴ最大の先物仲介業者であるレフコの顧客を引き継ぎ、アンダーソン・マン先物ブローカーはデリバティブ取引仲介の最大手となりました。レフコは上場2カ月後に不良債権を隠していたことが発覚し、1週間足らずで破綻してしまいます。その先物取引部門を取得したのが同社でした。アンダーソン・マン先物ブローカーは幾度かの社名変更の末、MF(マン・ファイナンシャル)グローバルとして2007年に上場。マン・グループは仲介部門を完全に分社化します。

 ところが、上場の翌年に支店長の不正取引などが発覚し、約1.4億ドルもの不良債権引当金を計上することになります。この件に関してCFTC(Commodity Futures Trading Commission、米商品先物取引委員会)から1000万ドルの罰金のほか、CME(Chicago Mercantile Exchange、シカゴ・マーカンタイル取引所)グループから49.5万ドルの罰金も科せられます。

 このときはリーマン・ショックのおよそ半年前という厳しいタイミングであったため、信用不安から同社の株価は急落に見舞われます。そのため、罰金を科したCFTC やCMEに加え、ICE(Intercontinental Exchange、インターコンチネンタル取引所)やNYMEX(New York Mercantile Exchange、ニューヨーク・マーカンタイル取引所)までもが、MFグローバルが財務要件に準拠していることを確認する声明を発表したほどでした。
 
 2010年にはゴールドマン・サックス・グループの元CEOで、ニュージャージー州知事や米国上院議員も歴任したジョン・コーザインが同社のCEOに就きます。コーザインは同社を再建するため、欧州債務危機に陥った一部の国(アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペインを含む)の国債を約63億ドルも購入します。ところが思惑と異なり、なかなか債務危機は収まらず、MFグローバルは顧客資金に手を付けた挙句に2011年10月末、連邦破産法11条(チャプター11)を申請。負債総額396億ドルを抱えて破綻してしまいました。
 

◆現CEOルーク・エリス


 こうした経緯のマン・グループは2022年現在、ルーク・エリスがCEOとして全体を統括しています。彼はブリストル大学で経済と数学の学位を取得した後、野村ホールディングスの日本のスワップグループで18カ月、その後プル・グローバル・ファンディングで18カ月働いた後、JPモルガン・チェースに転職します。そこでは10年ほど働き、最終的には株式デリバティブのグローバルヘッドを務めました。このときにゴールドマン・サックスで同じく株式デリバティブ部門を仕切っていたエマニュエル・ローマンと知り合います。

 次にエリスは野村時代の上司が創立した会社で働きました。それがマンFRMの前身であるFRMです。そこで約10年働いた後、2009年にマンGLGの前身であるGLGパートナーズに移籍しました。ゴールドマン・サックスから同社のCEOに転身したローマンの誘いがあったからです。

 前編でも触れた通り、2010年にマン・グループはGLGパートナーズを買収。そして、2012年にFRMを買収します。マンGLGで働いていたエリスはマンFRMのCEOに、ローマンは2013年にマン・グループのCEOとなりました。2016年にローマンが世界最大級の債券アクティブ運用会社PIMCO(パシフィック・インベストメント・マネジメント)のCEOとして招聘されることとなり、その後をエリスが引き継いで現在に至っています。
 
 ルーク・エリスCEOが率いるマン・グループは、運用資産額が2021年末まで5四半期連続で過去最高を更新しました。さすがに2022年6月末時点では1423億ドルと2021年末比で4%ほど減少したようですが、ヘッジファンド業界の総合商社として今後ますます規模を拡大させていくことでしょう。(敬称略)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。