エリオットのポール・シンガー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【27】― 

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◆最強のアクティビスト


 今回はエリオット・マネジメント・コーポレーションのポール・シンガーを取り上げます。同社はLCHインベストメンツによるヘッジファンド収益ランキングにおいて、2018年と2019年に9位、2020年に7位、そして2021年5位と、このところ比較的上位のランキングを維持しています。これは前回に紹介したトム・ステイヤー創業のファラロン・キャピタル・マネジメント、前々回に紹介したイジー・イングランダー率いるミレニアム・マネジメント、そして第8回で取り上げたケン・グリフィン率いるシタデルに匹敵するほどの運用成績であると言えるでしょう。

2018~2021年利益トップ15のヘッジファンド(単位は10億ドル) 出所:各種報道(再掲)

 2021年12月末現在、約515億ドルの資産を運用するエリオットは、ポール・シンガーにより1977年に設立されました。投資対象は株式や同関連デリバティブ、ディストレス(経営破綻先や不良債権先などが発行する債券や株式)、不動産、コモディティ(商品)、プライベート・エクイティ(未上場株式)など多岐にわたります。

その戦略はマルチ・ストラテジーと言われていますが、中心となる戦略は時代とともに変化しており、ディストレス投資が中心のときは「ハゲタカ資本主義者」と呼ばれていました。もっとも、最近ではアクティビストとして名を馳せているばかりか、「最強のアクティビスト」として恐れられているようです。

 ユダヤ系アメリカ人のポール・エリオット・シンガー(通称ポール・シンガー)は、1944年にニュージャージー州で生まれました。ロチェスター大学で心理学を学び、1966年に卒業した後にはハーバード大学の大学院に進学します。そこで法学の博士号を取得してニューヨークの法律事務所で働き始めました。1974年に投資銀行ドナルドソン・ラフキン・アンド・ジェンレット(DLJ、2000年にクレディスイスグループ<CS>が買収)へ転職、そこで不動産部門の弁護士を務めます。
 

◆趣味が高じて投資会社を設立


 やがてシンガーは父の勧めで大学院時代から始めた投資に夢中になり、遂には仕事を辞め、友人や家族などから集めた資金130万ドルを元手に投資会社エリオット・アソシエイツを設立しました。その社名は彼のミドルネームに由来しています。当初は株式と転換社債(転換社債型新株予約権付社債)の裁定取引を行っていましたが、次第に転換社債市場が小さくなっていったことで流動性が乏しくなり、競争も激しくなりました。こうした取引は1980年代後半から90年代にかけて日本でも行っていましたが、それも縮小していきます。

エリオットの経営メンバー(2022年現在) 出所:同社ホームページより作成

 そのため、シンガーは取引の中心をディストレスにシフトしていきました。ディストレスの場合、権利関係が入り組んでいて専門家でもやっかいな案件が多いと言われていますが、もともと弁護士の仕事をしていたシンガーには向いている投資対象だったようです。また、シンガーは交渉相手が誰であろうと臆せず果敢に挑んでいきました。

 特に90年代以降は、個別企業の案件に限らず、南米のアルゼンチンやペルー、アフリカのコンゴ共和国など、債務不履行に近い国の国債や債務をもターゲットにしています。例えば1995年にエリオットは、ペルー政府の保証が付いたペルー国立銀行向けの融資を半値で購入。裁判に持ち込んで勝訴した後は世界中のペルー政府の資産を差し押さえました。

 ついには人権侵害や収賄などの嫌疑がかけられ国外へ逃れようとする元大統領アルベルト・フジモリ(2007年に収賄と権力乱用の罪で6年の禁錮刑、2010年には人権侵害の罪で25年の禁錮刑追加)のジェット機まで没収。ペルー財務省から約5800万ドルの債務返済と引き換えに返還した、という逸話が残るほどの徹底した回収ぶりだったと言われています。
 

◆アルゼンチン政府を相手に丁々発止


 2001年後半にアルゼンチンが債務不履行となった際、エリオットは同国国債を額面の3割以下で約6億ドルも買い集めたそうです。その後、アルゼンチン政府は債権者に対して2005年と2010年に75%の元本削減を内容とする民間債務再編を強行。約92%の債権者が、これまでの債権を放棄し、額面が75%も減少した新しい債券との交換に応じました。

 しかし、エリオットは債券の交換に応じずに、全額返済を求めて米国で裁判に持ち込み、米裁判所は満額の支払いをアルゼンチン政府に命じます。この判決を受けてエリオットは債権回収のため、アルゼンチン海軍の練習船や人工衛星打ち上げ契約を差し押さえようとしました。一方のアルゼンチン政府は、債券交換に応じない債権者に対する利払いを拒否し、和解に応じて支払いをすること等を法律で禁じたほか、日米欧の各新聞に彼らを非難する全面広告を打つなど、ネガティブ・キャンペーンを展開します。

 こうしたアルゼンチン政府の対応を受けて、米裁判所はドル建て債券の利払いを禁止する差し止め命令を出しました。そのため、米国の銀行は送金手続きができなくなり、アルゼンチンは2014年に再び債務不履行に陥ります。しかし、2003年から続いたキルチネル・フェルナンデス夫妻によるアルゼンチンの政権が、2015年末の総選挙で中道右派のマクリ政権へ変わると事態は一変。債券交換に応じない債権者との交渉が再開され、25%の元本削減を内容とする債務再編で合意しました。この合意によりエリオットは16億ドル以上の利益を叩き出したとされます。

 

◆日本でのディストレス投資


 当時のシンガーは、自身のビジネスモデルを「市場のルールに従うことを拒否するペテン師との戦い」と表現しており、辛抱強く徹底的に戦う姿勢を貫きます。その根底にあるのは「絶対に損をしたくない」を指針に、できる限り控え目な予想をして、期待を上回る結果を出すという投資哲学です。そんなシンガー率いるエリオットは、日本でも積極的に活動しているようです。

 古いところでは、ディストレス投資として三光汽船に投融資しました。通商産業大臣や経済企画庁長官を歴任した自民党河本派の領袖、河本敏夫が事実上のオーナーだった同社は1985年、転売目的で抱え込んでいた過剰な船舶が痛手となって経営が破綻、その後に上場廃止となります。負債総額は5200億円にものぼり、当時は戦後最大の倒産と言われました。

 会社更生の後は業績を急回復させたものの、再び貨物船の大量発注が響き、2012年に二度目の経営破綻を起こします。翌年の2013年にエリオットは三光汽船とスポンサー契約を結び、10億円の出資とその2倍以上の融資を行いました。ところが、エリオットは三光汽船の海外オフィスの大半を閉鎖。保有船舶のほとんどを売却し、実質的には会社解体による投融資回収を図ります。そのため、二度目の破綻前に三光汽船が保有・管理していた185隻ものタンカーやドライバルク船などは粗方なくなり、2019年にはばら積み船5隻にまで減少したのです。(敬称略、後編につづく

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。